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2016-12-13

南京城攻略に参加した日本軍部隊(陸軍)

1937年12月の南京攻略戦を行った日本軍部隊は、中支那方面軍(11月7日編成、方面軍司令官松井石根大将、参謀長:塚田攻少将、参謀副長:武藤章大佐)です。

中支那方面軍は、上海派遣軍(軍司令官朝香宮中将参謀長:飯沼守少将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将参謀長田辺盛武少将)を統合指揮するための組織ですが、司令部の実態としては貧弱なものでした。

上海派遣軍は隷下に、第3師団師団長:藤田進中将)、第9師団師団長:吉住良輔中将)、第11師団師団長:山室宗武中将)、第13師団師団長:荻洲立兵中将)、第16師団師団長:中島今朝吾中将)、第101師団師団長:伊東政喜中将)、野戦重砲兵第5旅団旅団長:内山英太郎少将)を持っていますが、南京城攻略戦に参加したのは、第16師団、第9師団、山田支隊(第13師団の一部:山田栴二少将)、第3師団先遣隊になります。

第10軍は隷下に、第6師団師団長:谷寿夫中将)、第18師団師団長:牛島貞雄中将)、第114師団師団長:末松茂治中将)、国崎支隊(第5師団の一部:国崎登少将)、野戦重砲兵第6旅団旅団長:石田保道少将)を持っていますが、南京城攻略戦に参加したのは第6師団、第114師団になります。

関連師団

この頃の日本軍はまだ4単位師団が基本です*1

所属歩兵旅団及び連隊備考
第3師団先遣隊 歩68
第9師団 歩6旅(歩7、歩35)、歩18旅(歩19、歩36)
山田支隊歩65第13師団の一部
第16師団歩19旅(歩9、歩20)、歩30旅(歩33、歩38)
第6師団 歩11旅(歩13、歩47)、歩36旅(歩23、歩45)
第114師団歩127旅(歩66、歩102)、歩128旅(歩115、歩150)

連隊と虐殺事件の対応(不完全)

第3師団歩兵第5旅団歩兵第68連隊3D先遣隊
第9師団歩兵第6旅団歩兵第7連隊 「七千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」*2
第9師団歩兵第6旅団歩兵第35連隊
第9師団歩兵第18旅団歩兵第19連隊
第9師団歩兵第18旅団歩兵第36連隊
第13師団歩兵第103旅団歩兵第65連隊山田支隊幕府山事件「皆殺せとのことなり」
第16師団歩兵第19旅団歩兵第9連隊
第16師団歩兵第19旅団歩兵第20連隊 馬群における捕虜虐殺事件、「六百人近くの敗残兵の大群を(略)一度に銃殺」*3
第16師団歩兵第30旅団歩兵第33連隊佐々木支隊「俘虜ハ処断ス」「敗残兵三百名処決セリ」
第16師団歩兵第30旅団歩兵第38連隊佐々木支隊「各隊ハ師団ノ指示アル迄俘虜ヲ受付クルヲ許サズ」「白旗ヲ植立スルモノ数千」
第6師団歩兵第11旅団歩兵第13連隊 「「一千名以上の敗残兵」を、中華門外で集団射殺」*4
第6師団歩兵第11旅団歩兵第47連隊 「敗残兵一五名ヲ刺殺」
第6師団歩兵第36旅団歩兵第23連隊 「チャンコロ約二千名ゾロゾロ白旗掲げて降参(略)殺して仕舞ったらしい」*5
第6師団歩兵第36旅団歩兵第45連隊
第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊 旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ」*6
第114師団歩兵第127旅団歩兵第102連隊
第114師団歩兵第128旅団歩兵第115連隊
第114師団歩兵第128旅団歩兵第150連隊

*11937年12月時点で3単位師団は第26師団のみ

*2:秦「南京事件 増補版」P137

*3:笠原「南京事件」P176

*4:秦「南京事件 増補版」P151、引用にあたり()内の記載は省略した。

*5:秦「南京事件 増補版」P155

*6:秦「南京事件 増補版」P158

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