試合・成績
|
ファーム
|
国際試合
|
特別試合
|
球団
|
選手
|
歴史
|
NPB情報
|
NPB事業
|
トピックス
|
グッズ
年度別成績(1936-2014)
|
歴代最高記録
|
達成記録
||
統計データ
||
プロ野球70年フォトヒストリー
浪商高から59年に東映に入団。バッティングセンスを見込まれ開幕から六番・左翼でスタメン出場。その日はノーヒットに終わったが、翌日の1打席目にヒットを打つと2打席目には本塁打も放った。この年は四番を78試合も務めるなど1年目から主力打者に成長、新人王も獲得した。翌60年は打率を3割(.302)に乗せ、61年は打率.336で初の首位打者に輝く。
翌年は首位打者には届かなかったが、初優勝に貢献しMVPを獲得。67年からは4年連続首位打者、4年目の70年には、先輩の大下弘が51年に作った記録を3毛上回る.3834の新記録を樹立。74年まで7度の首位打者を獲得するなど「安打製造機」として球界に君臨した。
76年に前年最下位に沈んだ巨人に移籍。その年は谷沢健一(中日)と翌77年は若松勉(ヤクルト)と熾烈な首位打者争いをするが、惜しくも2位に終わり、両リーグ首位打者はならなかった。しかし長嶋巨人のV2には大きく貢献した。
78年に足を負傷して、以後思うような成績を残せなかったが、「3000本安打はどうしても達成したい」という意気込みで80年にロッテに移籍し現役続行。その年の5月28日に前人未踏の3000本安打を達成。3085本まで記録を伸ばし81年限りで引退した。
写真提供:ベースボールマガジン社
|
メールマガジン
|
ご意見箱
|
プライバシーポリシー
|
リンク集
|
サイトマップ
|
Copyright (C) 1996-2015 Nippon Professional Baseball Organization. All Rights Reserved. 掲載の情報・画像等の無断転載を固く禁じます。