倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて(5)中国通史の認識誤認
倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて更に書こうと思う。
(元ツイッター)倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて
p44-p54には「中国各王朝の実態」と称して、王朝ごとの簡単な年代と解説が出ているが、その解説が「誤解」「中国共産党史観の丸写し」(日本の中国学界で否定)「誤記」が非常に多い。ブログにまとめるに当たり再度読みなおしたが読みなおすたびに誤りが出てくるのである。
まず、「中国各王朝の実態」でなぜ中国共産党の政策「夏殷周断代工程」で決められた年代をそのまま持ってきてしまうんだろうか。
日本の学界では夏王朝実在性について疑問視しており、「夏殷周断代工程」はトウ小平の娘を親玉とする中国政府お声がかりのやつなんだけどね。それを何故、「嘘つきチャイニーズによるプロバガンダの手口をバラす!」という趣旨の本に書くのであろうか。
ハッキリ畏友・永一氏が「夏商周三代の紀年について」(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column03.html)で断じている通り「夏王朝については、中国では既にその実在を前提に議論が進められているが、欧米や日本では懐疑的な論調がまだ支配的である。」というのが日本の学界の通説である。
例えば吉川弘文館の年表では夏王朝を認めていない。
なぜ倉山氏は日本史学の通説を否定して、あたかも中国共産党におもねるように夏王朝を実在として年代もそのまま写したのだろうか?
p45「(殷の)紂王は酒池肉林の語源になるような淫蕩と悪政を繰り広げたので」…それは後世の諸子百家の宣伝だというのが通説である。実は「酒池肉林」を行ったのは夏の桀王だという史書も複数存在しており、(冨谷至『四字熟語の中国史』岩波新書)「嘘つきチャイニーズによるプロバガンダの手口をバラす!」という趣旨の本であればそのこともちゃんと書くべきであった。
p47「漢は武帝の外征で(匈奴の)属国の地位から脱します」…
この本にかぎらずネトウヨ嫌中嫌韓本の「属国」の定義はメチャクチャ。漢ー匈奴は「約して兄弟」なのだから対等国扱いである。国際法学では「属国」は「事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。」なのだが、匈奴って漢からカネと宮女をもらっていただけなんじゃないんですかね。漢の皇帝が匈奴に認められないと即位できないとか聞いたことがないぞ。日本もODAを中国に出していたんだが、日本は中国の属国なのだろうか?
p47「『倭人』こと、日本人が文献史料に登場するのはこのころで、「百余国に分かれた国の一つの王が朝鮮半島の楽浪郡に朝貢に来た」とありますが、だからどうだというのでしょうか。」
漢書地理志の有名な記述「樂浪海中有倭人,分為百餘國,以歲時來獻見云。」(楽浪の海中に倭人あり、分かれて百余国となる。歲時をもって来たり、獻見すと云う)を誤解している。別に百余国のうちの一国が来たというわけでもないと思うのだが。「王が来た」とも書いていない。これは諸説あるところだが、例えば古田武彦氏は「倭の人は、百余国が時々定期的に朝貢してきて礼儀を尽くしている」と解釈している。他の論者もだいたい同じようである。「百余国に分かれた国の一つの王」という倉山氏の説は、かなり無理のある解釈ではなかろうか?
また、古田氏は前段の「「殷道衰,箕子去之朝鮮,教其民以禮義,田蠶織作。(中略)可貴哉,仁賢之化也!然東夷天性柔順,異於三方之外,故孔子悼道不行,設浮於海,欲居九夷,有以也夫!」
(大意:殷の箕子が朝鮮半島に来て民衆に農業や礼儀を教えたので、東夷の人々は他の蛮族と違い文明化されている。ああ、聖人が文明を伝えたというのは偉大なことだ!だから孔子も『私の道は中国人にはよくわからないようだ、海を渡り東夷へ行きたいものだなあ』と嘆いたというのもよく分かる)と合わせて解釈している。これは伊藤仁斎『論語古義』などにも似た説が出ており、「孔子は日本に憧れていた」という有名な説の元ネタであるが、どうして倉山氏はそこを略すのであろうか?
p48「倭などと『チビ』『猫背』の意味で読んでくれていたのが中国人です」…それは藤堂明保説(『学研漢和大字典』)であって古来の解釈ではない。なぜ右派の倉山氏が左派系の藤堂明保説を突然持ってくるのか良くわからない。
単に中国人を貶めるための目的で左派の説まで動員したのであれば、思想的に純粋ではないし、おまけに藤堂説が学界で通説になっているわけでもないのである。
漢字の解釈で古来最も権威があるとされている『説文解字』では全然別の説を述べているのだ。
(説文解字)
「順貌。(段注)倭與委義略同。委、隨也。隨、從也。」
从人。委聲。詩曰。周道倭遟。(段注)小雅四牡文。傳曰。倭遟、歷遠之貌。按倭遟合二字成語。韓詩作威夷。故與順訓不同。而亦無不合也。」
(意訳:倭とは順うさまである。委と同じ意味である。随う、従うと同じだ。※人に属する。詩経・小雅・四牡には「周道倭遅(いち)たり」とある。詩経の毛亨の注釈[毛伝]によれば「倭遅」とは遠くめぐり連なるという意味だ)
なお、白川静博士の『字通』でもこの説文解字及び段注の説をほぼそのまま用いている。
※竹内実『新版中国の思想』(NHK出版)では、「道義に従う」と解釈している。これは室町時代の学者・一条兼良の、説文解字を敷衍した『日本書紀纂疏』の説に従ったのであろう。
なお、学習院大講師の王瑞来氏の論考『「倭」の本義考――あわせてその意味変遷を論ずる――』(http://salon.gooside.com/wakao.htm)によると、倭を蔑称だとするのは『新しい歴史教科書』にも出てくる説だが、漢字「倭」にはもともと悪い意味はなかったという。
王氏によれば、五胡十六国時代には「燕の魯陽王(慕容)倭奴」という王族までいたという。わが聖武天皇の宣命に「大倭国」というのだから、「(倭を悪字とするのは)おそらく文字学の知識が乏しいための誤解か,あるいは故意に本義を無視して曲解したものであるとしか思われない。」と断ずる王氏の説はなかなか説得力がある。
p49「晋は建国当初から内紛が絶えず(安定した年が、一年としてない)」…いいすぎ。武帝期は安定して人口も増えている。
南北朝時代を「これまでとは比較にならないほど安定した統治」(p50)と言い出すのも訳がわからない。…いなかったことにされた宇宙大将軍キングカワイソス…あと東魏も西魏も政治的には混乱していた。
p51「倭王武が長々と演説」…上表文と演説を混同。
p52「この王朝(唐)の前半150年くらいは文化大国なのですが、それ以降は三国時代と変わらない戦乱と殺戮で衰亡していきます」…安史の乱以降復興してますけどね。
p52「あきれた日本はもはや学ぶものはないと菅原道真が遣唐使を廃止し」…遣唐使廃止は894年で唐滅亡寸前です。
(元ツイッター)倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて
p44-p54には「中国各王朝の実態」と称して、王朝ごとの簡単な年代と解説が出ているが、その解説が「誤解」「中国共産党史観の丸写し」(日本の中国学界で否定)「誤記」が非常に多い。ブログにまとめるに当たり再度読みなおしたが読みなおすたびに誤りが出てくるのである。
まず、「中国各王朝の実態」でなぜ中国共産党の政策「夏殷周断代工程」で決められた年代をそのまま持ってきてしまうんだろうか。
日本の学界では夏王朝実在性について疑問視しており、「夏殷周断代工程」はトウ小平の娘を親玉とする中国政府お声がかりのやつなんだけどね。それを何故、「嘘つきチャイニーズによるプロバガンダの手口をバラす!」という趣旨の本に書くのであろうか。
ハッキリ畏友・永一氏が「夏商周三代の紀年について」(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column03.html)で断じている通り「夏王朝については、中国では既にその実在を前提に議論が進められているが、欧米や日本では懐疑的な論調がまだ支配的である。」というのが日本の学界の通説である。
例えば吉川弘文館の年表では夏王朝を認めていない。
なぜ倉山氏は日本史学の通説を否定して、あたかも中国共産党におもねるように夏王朝を実在として年代もそのまま写したのだろうか?
p45「(殷の)紂王は酒池肉林の語源になるような淫蕩と悪政を繰り広げたので」…それは後世の諸子百家の宣伝だというのが通説である。実は「酒池肉林」を行ったのは夏の桀王だという史書も複数存在しており、(冨谷至『四字熟語の中国史』岩波新書)「嘘つきチャイニーズによるプロバガンダの手口をバラす!」という趣旨の本であればそのこともちゃんと書くべきであった。
p47「漢は武帝の外征で(匈奴の)属国の地位から脱します」…
この本にかぎらずネトウヨ嫌中嫌韓本の「属国」の定義はメチャクチャ。漢ー匈奴は「約して兄弟」なのだから対等国扱いである。国際法学では「属国」は「事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。」なのだが、匈奴って漢からカネと宮女をもらっていただけなんじゃないんですかね。漢の皇帝が匈奴に認められないと即位できないとか聞いたことがないぞ。日本もODAを中国に出していたんだが、日本は中国の属国なのだろうか?
p47「『倭人』こと、日本人が文献史料に登場するのはこのころで、「百余国に分かれた国の一つの王が朝鮮半島の楽浪郡に朝貢に来た」とありますが、だからどうだというのでしょうか。」
漢書地理志の有名な記述「樂浪海中有倭人,分為百餘國,以歲時來獻見云。」(楽浪の海中に倭人あり、分かれて百余国となる。歲時をもって来たり、獻見すと云う)を誤解している。別に百余国のうちの一国が来たというわけでもないと思うのだが。「王が来た」とも書いていない。これは諸説あるところだが、例えば古田武彦氏は「倭の人は、百余国が時々定期的に朝貢してきて礼儀を尽くしている」と解釈している。他の論者もだいたい同じようである。「百余国に分かれた国の一つの王」という倉山氏の説は、かなり無理のある解釈ではなかろうか?
また、古田氏は前段の「「殷道衰,箕子去之朝鮮,教其民以禮義,田蠶織作。(中略)可貴哉,仁賢之化也!然東夷天性柔順,異於三方之外,故孔子悼道不行,設浮於海,欲居九夷,有以也夫!」
(大意:殷の箕子が朝鮮半島に来て民衆に農業や礼儀を教えたので、東夷の人々は他の蛮族と違い文明化されている。ああ、聖人が文明を伝えたというのは偉大なことだ!だから孔子も『私の道は中国人にはよくわからないようだ、海を渡り東夷へ行きたいものだなあ』と嘆いたというのもよく分かる)と合わせて解釈している。これは伊藤仁斎『論語古義』などにも似た説が出ており、「孔子は日本に憧れていた」という有名な説の元ネタであるが、どうして倉山氏はそこを略すのであろうか?
p48「倭などと『チビ』『猫背』の意味で読んでくれていたのが中国人です」…それは藤堂明保説(『学研漢和大字典』)であって古来の解釈ではない。なぜ右派の倉山氏が左派系の藤堂明保説を突然持ってくるのか良くわからない。
単に中国人を貶めるための目的で左派の説まで動員したのであれば、思想的に純粋ではないし、おまけに藤堂説が学界で通説になっているわけでもないのである。
漢字の解釈で古来最も権威があるとされている『説文解字』では全然別の説を述べているのだ。
(説文解字)
「順貌。(段注)倭與委義略同。委、隨也。隨、從也。」
从人。委聲。詩曰。周道倭遟。(段注)小雅四牡文。傳曰。倭遟、歷遠之貌。按倭遟合二字成語。韓詩作威夷。故與順訓不同。而亦無不合也。」
(意訳:倭とは順うさまである。委と同じ意味である。随う、従うと同じだ。※人に属する。詩経・小雅・四牡には「周道倭遅(いち)たり」とある。詩経の毛亨の注釈[毛伝]によれば「倭遅」とは遠くめぐり連なるという意味だ)
なお、白川静博士の『字通』でもこの説文解字及び段注の説をほぼそのまま用いている。
※竹内実『新版中国の思想』(NHK出版)では、「道義に従う」と解釈している。これは室町時代の学者・一条兼良の、説文解字を敷衍した『日本書紀纂疏』の説に従ったのであろう。
なお、学習院大講師の王瑞来氏の論考『「倭」の本義考――あわせてその意味変遷を論ずる――』(http://salon.gooside.com/wakao.htm)によると、倭を蔑称だとするのは『新しい歴史教科書』にも出てくる説だが、漢字「倭」にはもともと悪い意味はなかったという。
王氏によれば、五胡十六国時代には「燕の魯陽王(慕容)倭奴」という王族までいたという。わが聖武天皇の宣命に「大倭国」というのだから、「(倭を悪字とするのは)おそらく文字学の知識が乏しいための誤解か,あるいは故意に本義を無視して曲解したものであるとしか思われない。」と断ずる王氏の説はなかなか説得力がある。
p49「晋は建国当初から内紛が絶えず(安定した年が、一年としてない)」…いいすぎ。武帝期は安定して人口も増えている。
南北朝時代を「これまでとは比較にならないほど安定した統治」(p50)と言い出すのも訳がわからない。…いなかったことにされた宇宙大将軍キングカワイソス…あと東魏も西魏も政治的には混乱していた。
p51「倭王武が長々と演説」…上表文と演説を混同。
p52「この王朝(唐)の前半150年くらいは文化大国なのですが、それ以降は三国時代と変わらない戦乱と殺戮で衰亡していきます」…安史の乱以降復興してますけどね。
p52「あきれた日本はもはや学ぶものはないと菅原道真が遣唐使を廃止し」…遣唐使廃止は894年で唐滅亡寸前です。