倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて(3)
前の投稿に引き続き、倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて記述したいと思う。
なお、この連載のサブとして、トウギャッターに私のツイートしたものをまとめたものもあるので、
以下にリンクをしておく。
倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて
今日現在で既に16055件のアクセスが有った。こちらのまとめの方で、むじん書院のむじんさん、「dragoner.ねっと」のdragonerさん等、たくさんの方から激励やご指摘を頂いた。ほんとうに有難いことである。なお、トウギャッターの上部に表示しているタグは、読者の方が付けたものであり私の付したものではない。はじめは私も2ちゃんねる調で書こうかとしていたが、某掲示板で、なんだか倉山氏じみた文体になっており、事実を淡々と述べていくほうが優れているというご指摘を受けて改めた。それがこの手のトンデモ本の指摘としては最も優れた方法だと思う。2ちゃんねるの倉山満スレや「カリスマの砦」なる倉山氏の掲示板(?)も見たが、そこにもこのサイトのURLが貼られていた。私は浅学非才の身、ただただ戒慎恐懼するばかりである。
さて、指摘を続けたい。
4、倉山氏の先秦思想(孔子・韓非子)解釈の誤り・その1 孔子
倉山「嘘だらけの日中近現代史」P28~31
P28「大陸では、毛沢東が突如として『孔子は封建的だから批判せよ』と言い出してから儒学は肩身が狭くなります」
孔子・儒教批判は既に後漢の王充、明の李卓吾などが行っており、近現代中国では五四運動で李卓吾の説を元に呉虞(ごぐ、1872‐1949)などが盛んに儒教批判、孔子批判をやっているのである。魯迅の『狂人日記』もその延長線上にある。毛沢東はその説を政敵追い落としに使っただけのことである。毛沢東は孔子批判の元祖でもないし突如おっぱじめたわけでもない。
p29「そもそも、今に伝わる孔子は、生涯成功しなかった経営コンサルタントのようなものです。孔子は春秋時代(紀元前五五一年~紀元前四七九年没)の人ですが、生涯付き従った弟子はわずか七十人という、決して成功者とは言えない人生を送りました。この時代のコンサルタント(諸子百家と言われるほど多くの競合者がいました)は、成功すると大国の宰相に抜擢されます。」「孔子はハッキリ言って負け組でした。」」
孔子は天下は取れなかっただけで、十分成功していると思うのだが。孔子は五十二歳の時に「魯の中都の宰(中都という町の町長)」になり、功績で前500年春には大司寇(法務大臣)になっている。その前にいつか分からないが司徒(外務大臣)もやっている。晩年は国老(元老)として厚遇されていた。(史記・孔子世家。官位の解釈は貝塚茂樹『論語』中央公論社の説により、百度百科などで補った)
これは実は破格の待遇である。諸子百家で閣僚にまで上り詰めたのが確実なのは他に管仲(管子、斉の丞相[総理大臣])、商鞅(秦の丞相)、呉起(楚の令尹[総理])、李克など意外と少ないのである。商鞅や呉起より下だから孔子は失敗したというのもどんなものか。二人共悲惨な死を遂げていて成功者と言えたものかどうか。孔子より官位が上で畳の上で死んだ諸子百家の大物は管仲くらいであろうか。
内閣参与レベルでも孟子くらい、将軍クラスで孫武・孫ピンくらいだから、孔子を成功しなかったというのもなかなか大変である。
諸子百家が全部成功者だったかというと随分疑わしい。縦横家の蘇秦が六国の丞相を兼ねたというのは現在では疑問視されていて彼の官位はよくわからないし(詳しくは『世界の歴史2』中央公論新社参照)、荀子は地方県令止まり、韓非子は生涯無役、老子・荘子はノンキャリアの小役人止まりであった。
弟子七〇人というのも誤りである。「弟子蓋三千焉,身通六藝者七十有二人」(孔子世家)という。孔子の弟子は七十人というのは子供のお習字の教科書の「三字経」が覚えやすく概数を言ったまでにすぎない。倉山氏はこの間の「チャンネルクララ」の放送でも同じようなことを言って、ドヤ顔で「孔子は失敗した大前研一みたいな人ですよ!」と言っていた。大前さんにも失礼だと思うし、誰か恥ずかしいから放送関係のスタッフは指摘してあげた方がいいよ。
それから、孔子世家に付き従った弟子の数の記載はないです。
なお、この連載のサブとして、トウギャッターに私のツイートしたものをまとめたものもあるので、
以下にリンクをしておく。
倉山満『嘘だらけの日中近現代史』の誤りについて
今日現在で既に16055件のアクセスが有った。こちらのまとめの方で、むじん書院のむじんさん、「dragoner.ねっと」のdragonerさん等、たくさんの方から激励やご指摘を頂いた。ほんとうに有難いことである。なお、トウギャッターの上部に表示しているタグは、読者の方が付けたものであり私の付したものではない。はじめは私も2ちゃんねる調で書こうかとしていたが、某掲示板で、なんだか倉山氏じみた文体になっており、事実を淡々と述べていくほうが優れているというご指摘を受けて改めた。それがこの手のトンデモ本の指摘としては最も優れた方法だと思う。2ちゃんねるの倉山満スレや「カリスマの砦」なる倉山氏の掲示板(?)も見たが、そこにもこのサイトのURLが貼られていた。私は浅学非才の身、ただただ戒慎恐懼するばかりである。
さて、指摘を続けたい。
4、倉山氏の先秦思想(孔子・韓非子)解釈の誤り・その1 孔子
倉山「嘘だらけの日中近現代史」P28~31
P28「大陸では、毛沢東が突如として『孔子は封建的だから批判せよ』と言い出してから儒学は肩身が狭くなります」
孔子・儒教批判は既に後漢の王充、明の李卓吾などが行っており、近現代中国では五四運動で李卓吾の説を元に呉虞(ごぐ、1872‐1949)などが盛んに儒教批判、孔子批判をやっているのである。魯迅の『狂人日記』もその延長線上にある。毛沢東はその説を政敵追い落としに使っただけのことである。毛沢東は孔子批判の元祖でもないし突如おっぱじめたわけでもない。
p29「そもそも、今に伝わる孔子は、生涯成功しなかった経営コンサルタントのようなものです。孔子は春秋時代(紀元前五五一年~紀元前四七九年没)の人ですが、生涯付き従った弟子はわずか七十人という、決して成功者とは言えない人生を送りました。この時代のコンサルタント(諸子百家と言われるほど多くの競合者がいました)は、成功すると大国の宰相に抜擢されます。」「孔子はハッキリ言って負け組でした。」」
孔子は天下は取れなかっただけで、十分成功していると思うのだが。孔子は五十二歳の時に「魯の中都の宰(中都という町の町長)」になり、功績で前500年春には大司寇(法務大臣)になっている。その前にいつか分からないが司徒(外務大臣)もやっている。晩年は国老(元老)として厚遇されていた。(史記・孔子世家。官位の解釈は貝塚茂樹『論語』中央公論社の説により、百度百科などで補った)
これは実は破格の待遇である。諸子百家で閣僚にまで上り詰めたのが確実なのは他に管仲(管子、斉の丞相[総理大臣])、商鞅(秦の丞相)、呉起(楚の令尹[総理])、李克など意外と少ないのである。商鞅や呉起より下だから孔子は失敗したというのもどんなものか。二人共悲惨な死を遂げていて成功者と言えたものかどうか。孔子より官位が上で畳の上で死んだ諸子百家の大物は管仲くらいであろうか。
内閣参与レベルでも孟子くらい、将軍クラスで孫武・孫ピンくらいだから、孔子を成功しなかったというのもなかなか大変である。
諸子百家が全部成功者だったかというと随分疑わしい。縦横家の蘇秦が六国の丞相を兼ねたというのは現在では疑問視されていて彼の官位はよくわからないし(詳しくは『世界の歴史2』中央公論新社参照)、荀子は地方県令止まり、韓非子は生涯無役、老子・荘子はノンキャリアの小役人止まりであった。
弟子七〇人というのも誤りである。「弟子蓋三千焉,身通六藝者七十有二人」(孔子世家)という。孔子の弟子は七十人というのは子供のお習字の教科書の「三字経」が覚えやすく概数を言ったまでにすぎない。倉山氏はこの間の「チャンネルクララ」の放送でも同じようなことを言って、ドヤ顔で「孔子は失敗した大前研一みたいな人ですよ!」と言っていた。大前さんにも失礼だと思うし、誰か恥ずかしいから放送関係のスタッフは指摘してあげた方がいいよ。
それから、孔子世家に付き従った弟子の数の記載はないです。
スポンサーサイト