国道4号から荒町商店街に入ってすぐ右手、数年前まで荒町市民センターが立っていた空き地に、高さ3メートルほどの石碑が立つ。荒町出身の旧日本海軍中将・斎藤七五郎(1869〜1926年)の顕彰碑だ。
↓顕彰碑と説明板
「軍人が尊敬される時代ではなくなりましたが、昔は中将といえば神様のような存在でした」。広場近くに住む庄司博さん(84)は振り返る。
貧しい家で育ち、少年時代は納豆売りなどで家計を助けながら苦学した斎藤中将。海軍兵学校卒業後は日露戦争で活躍するなど、立志伝中の人物だった。仙台への愛着は強く、たびたび帰郷して講演をしていたという。
庄司さんは少年時代、志願兵として三重県の海軍航空隊に所属しており、斎藤中将への尊敬の念は深い。「今は郷土の発展に貢献した人物として敬っています」と語る。
約600平方メートルの空き地にはもともと、斎藤中将の生家があった。斎藤中将の「郷土のために使ってほしい」との遺言で1934年、市に寄付された。
戦前は斎藤記念館が建てられ、斎藤中将の遺品が展示されていた時期もあった。その後は地区集会所や障害児施設が置かれるなどして、地域に活用されてきた。
4年ほど前、荒町小の新築に伴い旧校舎が取り壊されようとしていたとき、斎藤中将の遺品が保存されていることに地元の人が気付いた。斎藤記念館が閉館するときに移管されたとみられる。
廃棄されかねないところを荒町市民センターが引き取り、本年度事業で地元住民らと展示方法について話し合っている。
遺品は、南洋群島巡航の際の土産とみられるヤシの工芸品、タペストリーなど三十数点。先日、目録を作成するため市歴史民俗資料館の学芸員を招き勉強会を開いた。
庄司さんは「斎藤中将は荒町の歴史を語る上で欠かせない人物。遺品に光を当てる方法を模索したい」と話す。
↓斎藤中将の写真などを見ながら、遺品の展示方法について話し合う地元の人たち=荒町市民センター
(横山寛)
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