練習?練習すればできるようになると言うのか?これだけの味を、寸分違わず再現することができるというのか。自分などに。
「無理です。何年かかるかわからない」
「そんなことはない。努力次第でどうとでもなるよ。ただし、あきれるほどの回数の失敗と、トン単位の砂糖と粉の無駄遣いぐらいは、覚悟しておいた方がいいけどね」
上田早夕里『ラ・パティスリー』
デザートは炭水化物を摂取するために必要なんだよ。体重が増えるのが心配なら、エクササイズで燃焼させればいいのさ。このハワイアン・フランのためなら、ぼくは喜んで外に行って、十キロでも二十キロでもジョギングしてくるよ
ジョアン・フルーク『ストロベリー・ショートケーキが泣いている』
(まるで切り株のようね)
(私の頭みたいな綺麗な空洞ができたわ)
(なんという重厚感……こんなお父さんになりたいものです)
(ちょっと熱をかけすぎですって?いいえ、焦がしバターにこだわった証拠よ)
チョコレートケーキ、シュー生地にカスタードクリーム、カトルカール、フィナンシェ――あ、マドレーヌの写真を撮り忘れちゃったわ。
お菓子を作っているとき、私は心を整えることができる。やっぱり、お菓子作りはやめられない。最近は特にお菓子作りに熱が入っている。お部屋には、すっかりバターと砂糖の香りが染みついてしまった。……でも、こんな自分、嫌いじゃない。
さて、今日は何を作ろうかしら?
――
女「あれ?ちょっと太ったんじゃない?」
男「え?」
女「ほら、お腹のこのあたりとか、ぷにぷにしてる」
男「やめんかい!……太ってないよ、べつに」
女「本当?」
男「うん、少し前に会社の健康診断があったけど、体重もたいして変わってなかったし。担当医からも『100点満点のカラダね。前に来たメタボリックさんにみせてあげたいわ』って言われたもんね」
女「ふ~ん(信用していない声色)。フルマラソンを完走したころって、もっとスリムだった気がするけど」
男「そりゃそうでしょ。あの時は一番走りこんでいたもん。ボクサーだって、試合前の体重をずっとキープするわけじゃないのよ?本番に向けて体を研ぎ澄ましていくんだよ」
女「ふーん」
男「……まあ?なに?最近寒いし、風邪をこじらせたりしていたから、運動していなかったんだよね。だから、多少筋肉が衰えたかもしれないけど」
女「足の毛をそるからでしょ(笑)それに、食生活めちゃくちゃだからでしょ。一人暮らしの男はこれだから――」
男「いや、別に食生活は問題ないよ。ちゃんとコントロールしてるし」
女「コントロール?普段何食べてんの?」
男「なんだろうね。自分でも何を食べてんのかよくわからないな(笑)まあ、いいじゃん。若いんだし」
女「いいわけないでしょ。どうせ自分で作ったお菓子ばっかり食べてるんでしょ?バターと砂糖たっぷりのやつ。それに、お酒!お酒ばっかり飲んでんでしょ?」
男「いいとこついてるねえ。そこにチョコレートと緑茶とコーヒーを加えたら、90%くらい網羅できてるよ」
女「なに馬鹿なこと言ってんのよ。今は良くたって、そんな食生活続けてたら、年を重ねたときに大変なことになるわよ。もっと栄養とかに気を使ってよ」
男「あのさあ、君は僕のお母さまですか?……だってしょうがないじゃない。お菓子作りはやめられないんだもの。当然、出来上がった作品を食べないのはもったいないでしょ?唯一の趣味を奪わないでほしいね」
女「会社の人に配ったら?昔はそうしていたじゃない」
男「特定の人に配ると、全員に配らないといけないでしょ。『あ、あいつ、ヤマダには配ったのに俺にはくれなかった』とか。口に出さなくたって思うもんだよ。そういう気づかいが面倒くさいの」
女「そういうもんかしらねえ?じゃあ、お酒をやめなさい」
男「お酒はもっとやめられません。知ってるくせに。お酒をやめると心を病めるよ?心を病めると会社を辞めるよ?」
女「屁理屈ばっかり!」
――
こんな会話を、いったい何度したことだろう。
お菓子作りは確かに楽しい。もはや趣味と言っても問題ない領域に突入したと思っている(いいでしょ?)。
……ただ、お菓子作りに際して2つの悩ましい問題が生じている。
1つは廃棄問題である。
たいていの場合、作ったお菓子をすべて完食するわけではない。作ったお菓子をしばらく冷蔵庫や冷凍庫に入れる。
……しかし、全部消化しないうちに次のお菓子を作ってしまう。食べるよりも、作るほうが好きなのである。結果、家じゅうがお菓子だらけになってしまう。こうなると、前に作ったお菓子を捨てることになってしまう。この作業は、非常に悲しいものがある。それでも、腕を磨くためにはやむを得ないのかもしれない。
パティシエは、修行中、作って少しだけ食べては捨てる、を繰り返すという話を聞いたことがある。もったいないけど、そういうものだと割り切り切る必要があるのかもしれない(パティシエと同列にするのはおこがましいが)。
もう一つは健康上の問題である。
上記のように、作ったお菓子を捨てている。しかし、ある程度は食材に敬意をこめて食べるようにしている。
当然、こうなると体重が増えるわけである。今のところ、多少ランニングとかしてるからいいけど、この運動をやめたら、体重は一気に増えることだろう。
ある意味で
モッタイナイ
という思考を捨てる必要があるのかもしれない。――でも、それもなんだかねえ。
うーん、お菓子作りの専門家はスリムな人たちがたくさんいるけど、ここら辺の問題をどう解決しているのだろうか。やっぱり、『作ること』と『食べること』を切り離しているんだろうか?
この2つの問題はいつもお菓子作りに付きまとう。
ーー
女「二つじゃないわよ。あと一つ、大きな問題があるんですけど」
男「ん?」
女「お金よお金。お菓子作りにお金かけすぎでしょ?いろんな器材や材料を買ってるじゃない。それだって馬鹿にならないんだからね」
男「あ、それは別に問題じゃないです」
女「どうして?」
男「あのね、社会人の場合、どんな趣味だって、お金は一定程度かかるもんだよ。それって、お菓子作りだけに限らないじゃん。君だって、旅行が好きで一気に何万円もお金かけてるじゃない。別に僕だけが趣味に浪費している人間、というわけじゃないと思います」
女「うまいこと言うわね」
男「じゃあ、こう考えてみてよ。僕が風俗で数万円使って快感を得るのと引き換えに、お菓子作りにお金をかけて快感を得ているわけ。どう?どっちがいい趣味だと思うよ?私は断然、お菓子作りだと思うなあ」
女「……意味わかんない。そのお金を『君が喜ぶ顔をみるために使う』、って言ってくれる方が、よっぽど立派な彼氏だと思うよ」
男「……うまいこと言うね」
まあ、それは言い返せませんねえ……(苦笑)