NNNドキュメント「ゼロ戦乗りの遺言~真珠湾出撃 原田要の肖像~」
2016年12月11日(日) 26時05分~26時35分 の放送内容
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最終更新日:2016年12月9日(金) 20時0分
番組詳細説明(内容)
【見どころ】
零戦パイロットとしてハワイ真珠湾を戦い、その体験を語り継いできた原田要さん(享年99)。霞ヶ浦航空隊を首席で卒業、命がけで敵を撃墜することが最高の名誉と考えていたが、出撃を繰り返す中で意識が変わっていく。平和を重んじる人間を育てたいと戦後は幼稚園を経営。半世紀近く自身の体験を語らなかった原田さんが、湾岸戦争をテレビで見た園児の言葉に衝撃を受け、語り部として生きる覚悟を決めたという。元零戦乗りの遺言。
【内容】
真珠湾攻撃に出撃し、南方戦線を戦った元零戦のパイロットが、今年この世を去った。
原田要さん享年99。海軍に憧れ、17歳で入隊。日中戦争から太平洋戦争にかけて戦闘機搭乗員として敵と交戦し、19機を撃ち落した。亡くなる2か月ほど前まで、自身の壮絶な戦争体験を人々に語り続けた。
75年前の12月8日、空母・蒼龍に乗り込みハワイ沖へ出撃。「零戦乗りとして国に命を捧げ、敵機を撃ち落とす…」。霞ヶ浦航空隊を首席で卒業し、操縦技術に誰よりも自信があった青年が命じられたのは、攻撃隊ではなく上空で味方艦隊を警戒する直掩隊の任務だった。「御国のために」と操縦桿を操り、相手を撃墜することに闘志を燃やし、命をかけた原田さんだったが、出撃を重ねていくうちに、戦争への考えは変わっていった。
真珠湾の翌年3月にはセイロン島で、イギリス軍機5機を撃墜。ミッドウェー海戦を経てガダルカナル戦へ出撃するも、空戦の末に不時着。日本へ戻った後、霞ヶ浦航空隊の教官として終戦を迎えた。
戦後、原田さんは故郷・長野で幼稚園の経営を始める。命を惜しまず誇りをもって敵を殺してきたことを悔い、平和を重んじる人間を育てたい――と、考えたからだ。しかし自身の戦争体験については半世紀近く口を閉ざし、家族にさえ語ることはなかった。転機となったのは1991年に勃発した湾岸戦争。その光景をテレビで見ていた園児の言葉であったという。「花火のようできれい」「まるでテレビゲームみたい」……。以来、原田さんは100回近くにわたり戦争の醜さを語り続けることになる。
晩年は、憲法改正についてこう訴えていた。
「今、日本は平和憲法で、世界に向かって軍隊は持ちません、戦争はしませんと謳っている。私ほど人を殺めた人間はいない、でもそれは戦争だから仕方ない、だから私は戦争くらい罪深いことはないと思っている」
奇しくも5月3日の憲法記念日に99年の生涯を閉じた原田さん。元零戦乗りが投げかける平和へのメッセージ、“遺言”を伝える。
憲法記念日に死去した原田要さん(享年99)。ゼロ戦操縦士として戦場の空を転戦する中で、彼の意識は変わっていく。「戦争は人殺し。私ほど人を殺めた者はいない」と。
出演者
- ナレーター
- 萩原聖人
番組内容
今年の憲法記念日に死去した原田要さん(享年99)は戦時中、ゼロ戦操縦士として各地の戦場の空を転戦した。繰り返す出撃経験の中で、原田さんの意識は徐々に変わっていく。「戦争は人殺し。私ほど人を殺めた者はいない」。長い間口を閉ざし続け、戦後は幼稚園を経営してきた彼が、ある時を境に語り始めた戦争体験と平和への思いとは。ハワイ真珠湾の開戦も体験した元搭乗員が語り遺した最後のメッセージ。
制作
テレビ信州
その他
- 属性情報?
-
- ジャンル
- ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般 ニュース/報道 - 特集・ドキュメント
人物情報
出典:日本タレント名鑑(VIPタイムズ社)(外部サイト)
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