久しぶりにおしゃべりについて書きます。と、言うか日本語についてです。
今さら僕が「正しい日本語」についてどーのこーの言うとか、かなりブラックジョークですが、一応は勉強してきたものとして。たまに書き込みで来るんですけど…
「『違和感を感じる』は正確な日本語じゃないんじゃないか!アナウンサーのクセに!」
これはですね、承認してません。この書き込みしてる人が恥ずかしい思いをするだけだからです。
勘違いをされてる方、少なくないんですが、上記した勘違いには2通りの誤解があるようです。
1、「違和感」は「覚える」ものではないのか?
違います。「違和感」とは「感覚」のことを指します。「なんか変だな~」と「感じる」のです。少し細かく分析してしまうと、「和」という漢字は「平和」にも見て取れるように、「穏やかであること」、「トラブルなどがない状態」を表す漢字です。聖徳太子が「和をもって尊しとなせ(わをもってたっとしとなせ)」と言ったのは有名ですね。はい。この「和の状態」と「違う」「感覚」だから「違和感」です。要は
なんだかしっくりこないよね~
って感覚ですね。そう「感じている」ので「違和感」は「感じる」が正確な表現です。覚えてどうするのってね。何を暗記してんだかって話です。もちろん、間違ったまま市民権を得た表現と言うのは日本語には沢山あります。これに通じるのは
「的を得る(まとをえる)」
という表現ですね。的は「射る」ものです。的を「もらって」も重たいだけです。でも、少なくない日本人が「的を得た表現ですね~」とか言っちゃってるんですけど、誤解です。「的を射た表現」が正しい日本語です。
2、「2重表現」ではないか?
はい、このご指摘も完全な間違いです。
「2重表現」ってのはですね、「消防車の車」とか「夕日の太陽が…」って表現です。要は「かぶっちゃってる表現ですね。「消防車」ってのはその段階で
「火事などを消火に行く『車』」
って言う意味があります。なので、「消防車の車」って言っちゃうと、「火事などを消火に行く車の車」って言ってるのと同じになっちゃうんです。
これを「2重表現」と言います。
で、「違和感を感じる」が2重表現ではないか、というご指摘ですが、一応これは違います。
「違和感」とは「感覚」のことを指します。2重表現とは「意味の重複」の時に使われる指摘なんです。「違和感」は名詞。「感じる」は動詞。先ほど、「違和感とは「なんだかしっくりこないよね~」と言う意味です、と書きましたが、それで言うと、「違和感を感じる」とは
「なんだかしっくりこないよね~と感じる」
と言ってる訳です。普通でしょ?これは2重表現ではないんです。
中には「アナウンサーのクセに正しい日本語を知らないのか」とか書き込みをしてくる人、いたんですけど、どうか安心してください。僕、一応はそこそこ日本語の勉強してきてますから。一応、高校生からやってきてますので、「日本語アクセント辞典」とかあったりするんですけど、そのほぼ全ページを暗記した人間なんて、そんなに多くないと思います。
確かに、僕はいわゆる「間違った日本語」を使う時があります。「『普通に』使ってます」みたいにね。でも、実はそれって、けっこう考えたうえであえて使ってたりします。勉強した上で、あえて、そこの部分にワンポイントだけ「正確ではない」日本語を入れ込むことで文章のメリハリをつけてみたりしてたりします。
改行とかも、意外とこだわってたりするので、分かる人はそんな視点でもブログを楽しんでみてください。
ちなみに、先々週の僕のメルマガで清原さんの「パチンコ営業」を「チンコ営業」と記したのは、ただの誤字です。ホント、失礼しました。誤字は一向に減りません。何故でしょうか(涙)。
今さら僕が「正しい日本語」についてどーのこーの言うとか、かなりブラックジョークですが、一応は勉強してきたものとして。たまに書き込みで来るんですけど…
「『違和感を感じる』は正確な日本語じゃないんじゃないか!アナウンサーのクセに!」
これはですね、承認してません。この書き込みしてる人が恥ずかしい思いをするだけだからです。
勘違いをされてる方、少なくないんですが、上記した勘違いには2通りの誤解があるようです。
1、「違和感」は「覚える」ものではないのか?
違います。「違和感」とは「感覚」のことを指します。「なんか変だな~」と「感じる」のです。少し細かく分析してしまうと、「和」という漢字は「平和」にも見て取れるように、「穏やかであること」、「トラブルなどがない状態」を表す漢字です。聖徳太子が「和をもって尊しとなせ(わをもってたっとしとなせ)」と言ったのは有名ですね。はい。この「和の状態」と「違う」「感覚」だから「違和感」です。要は
なんだかしっくりこないよね~
って感覚ですね。そう「感じている」ので「違和感」は「感じる」が正確な表現です。覚えてどうするのってね。何を暗記してんだかって話です。もちろん、間違ったまま市民権を得た表現と言うのは日本語には沢山あります。これに通じるのは
「的を得る(まとをえる)」
という表現ですね。的は「射る」ものです。的を「もらって」も重たいだけです。でも、少なくない日本人が「的を得た表現ですね~」とか言っちゃってるんですけど、誤解です。「的を射た表現」が正しい日本語です。
2、「2重表現」ではないか?
はい、このご指摘も完全な間違いです。
「2重表現」ってのはですね、「消防車の車」とか「夕日の太陽が…」って表現です。要は「かぶっちゃってる表現ですね。「消防車」ってのはその段階で
「火事などを消火に行く『車』」
って言う意味があります。なので、「消防車の車」って言っちゃうと、「火事などを消火に行く車の車」って言ってるのと同じになっちゃうんです。
これを「2重表現」と言います。
で、「違和感を感じる」が2重表現ではないか、というご指摘ですが、一応これは違います。
「違和感」とは「感覚」のことを指します。2重表現とは「意味の重複」の時に使われる指摘なんです。「違和感」は名詞。「感じる」は動詞。先ほど、「違和感とは「なんだかしっくりこないよね~」と言う意味です、と書きましたが、それで言うと、「違和感を感じる」とは
「なんだかしっくりこないよね~と感じる」
と言ってる訳です。普通でしょ?これは2重表現ではないんです。
中には「アナウンサーのクセに正しい日本語を知らないのか」とか書き込みをしてくる人、いたんですけど、どうか安心してください。僕、一応はそこそこ日本語の勉強してきてますから。一応、高校生からやってきてますので、「日本語アクセント辞典」とかあったりするんですけど、そのほぼ全ページを暗記した人間なんて、そんなに多くないと思います。
確かに、僕はいわゆる「間違った日本語」を使う時があります。「『普通に』使ってます」みたいにね。でも、実はそれって、けっこう考えたうえであえて使ってたりします。勉強した上で、あえて、そこの部分にワンポイントだけ「正確ではない」日本語を入れ込むことで文章のメリハリをつけてみたりしてたりします。
改行とかも、意外とこだわってたりするので、分かる人はそんな視点でもブログを楽しんでみてください。
ちなみに、先々週の僕のメルマガで清原さんの「パチンコ営業」を「チンコ営業」と記したのは、ただの誤字です。ホント、失礼しました。誤字は一向に減りません。何故でしょうか(涙)。
コメント
コメント一覧
覚える=記憶 だけでは無いし、「感じる」でもあるんだから
語感的にも私は「覚える」を使いますけどね。(「感じる」が間違っているとは言わない)。
「自覚」ってことばは、自分を(若しくは”が”)覚えてるわけじゃなく
自分で感じている、気付いているということだし。
「暗記してんだか」ってツッコミはちょっとおかしいというか、局地的すぎやしませんかね。
(「局地的」にツッコミ入るかな)
あと、伝わればいい、とか、時代によって変化するんだからって結論が大嫌い。
(長谷川さんが言ってるわけじゃないけれど)
じゃあ、どんなものでも結局なんだっていいよね、ってことになりますよね。
思考停止は楽でしょうけどね。(あ、変化する事は事実だし、否定はしません)。
多いんだね、
言葉なんか自由だと私は思うのだ。
「違和感を覚えよう」が
「違和感を感じよう」が、どっちでも
意味はよくわかる。
どこの社会にもどの時代にも、国語を正しく
話させる事を目的とした団体とか個人が
いるらしくて、そういうのが、口うるさく
主張するものらしい。
そういうのは嫌いだから、
私は国語検定とか漢字検定とかいうもの
にもかなり「違和感を感じているよ」。
アナウンサーというご自身の立場からの見解、とても面白く読ませて頂きました。
そもそも言葉は変化していくものなので「正しい日本語」など存在しないとも言えますよね。
大学で日本語学を学んでいた時に「全然」という言葉について取り上げた時に色々と考えさせられました。
現在の感覚では「全然〜ない」という形でないと「正しく」ない!などと揚げ足を取られたりしますが、もともとは肯定表現として使われていたものですし。
正確に言うならば「正しい日本語」ではなく「現在の感覚で認められている日本語」が存在する、ということになるのでしょうね。
言葉ってやつは面白いです。
語彙、表現力、洞察力。大変なお仕事ですよね。
発信していく力があり、世間にインパクトを与えるという意味では、まぁ、それなりの責任もあるんですかね。属人的な部分もあるんでしょうけれども。
長谷川さんのブログでの情報発信は、時に内容に眉をひそめることもありますが、こうして、コメント欄を通じて、双方向(死語)で、ご自身の考えを問うたり、それぞれのユーザーが考えの軌道修正なんかもできる時代になった。
私は長谷川さんより、いくぶんトシ食ったおっさんですが・・・アクセント辞典なども、小学生~高校生に読みましたよ。懐かしさを感じます。
私の田舎は、首都圏から少し外れていて、当時なまりが強くて、正しい「東京語」のアクセントが、書物だけでは分かりにくく、非常に苦労しました。学校放送やコーラスで使っていたんです。
鼻濁音の習得に特に気を使いましたね。「○○委員会の委員長」なんて呼び出しをかけると、すぐに国語の先生が注意をしに放送室に怒鳴り込んでくるといったこともしばしば。
その後、関西に進学して、同じ日本なのにこれほど一語一語のニュアンスが違うのにとまどい。驚きました。
大学の講義が、関西言葉でされてしまうと、ほとんど外国語みたいで理解不能となり、1年くらい悩みましたよ(苦笑)。
今では、関西語と東京語と利根川以北のトライリンガルですが(笑)。
『頭痛が痛い』は、頭痛が名詞で痛いが動詞…。・・・イヤイヤ、二重表現ですよね( ̄▽ ̄;)
日本語は奥が深いと言うより、乱れていると感じる今日この頃です。
長谷川さんがフリーになって、二年目も仕事があると言う事は、人としても
仕事も土台がしっかりあっての事だと
感じています。敢えて言う事じゃないかもしれませんが、言葉のプロに失礼です。
誤字の指摘はするべきですけど!
フジの頃から、長谷川さんは誰とのやり取りもスッキリ違和感無くて、
頭のいい人なんだなぁ〜って見てました。イケメンだったら完璧なのにぃ〜って(笑)
関係なかった。
これからもカチカチの完璧な文章は要りません、声の聞こえてくる文章でお願いします。
おおよそそういわれているけど、という条件付きで あえて こう使うというのはありですよね。
言葉と同様に知識も使い方次第ですね。
正しい用法とは別に、流行り言葉、若者言葉というのがあります。
一昔前にあった「チョベリバ」「チョベリグ」などは、カタカナ日本語になるんでしょうか(笑)
それを考えると、言葉を選んだりと、慎重になったりしています。
以前 国語で、全国模試1位を取ったことのある方に言われた
「て」「に」「を」「は」 に気をつけましょう! って言葉、、、
もちろん 毎回気をつけているつもりですが、
後で 失敗したナ っと思うコトも多々。
前回、今回と、長谷川さんのブログに食いついていませんが、
皆さんのコメントから、学ぶ所、考える所、自戒する所なども
長谷川さんのブログ、あってこそ。
海外からの御意見もあって、グローバルな情報、、、
毎回、刺激されていまーす。
僕はできる限り「違和感がある」を使うようにしています。
俺は使った事有りませんけど。
日本語って難しいんですよね。だからこそ面白くて奥が深い。
俺も広辞苑とか国語辞典とか、ひたすら読むのが好きな暗い少年時代を過ごしてたのに、まだ知らない言葉や間違って覚えてる言葉が有ったりします。
一生勉強ですね(笑)。
長谷川さんにくだらない揚げ足とりをしようとしてる方には、その書き込む時間を使って国語辞典を読み込まれる事をお勧めします(笑)。
結構楽しいですよ^^
すごくためになります(オチつきで面白いし)。
日本語って難しいですね。
そういえば、名詞なのか動詞なのか
よく分からない単語(「経験をする」「経験する」どっちが正しい?)も
たくさんあるなぁ。
「すごく」と「すごい」の使い方も難しい(「すごく大きい」「すごい大きい」どっち?)
「とんでもない」「役不足」みたいな表現も
よく考えてから使わないと赤ッ恥をかくかもしれませんね。
そもそも、日本語の表現として丸括弧とかはちゃんと認められているのか、などなど
知らないことだらけです^^;
よし! もっと辞書を引こうっと。
でも「日本アクセント辞典ほぼ暗記した」とか言っちゃうあたり、そんなコメント呼び込んでしまうポイントかもしれないですね。
私は長谷川さんのブログ読んでいて面白いですし、そう感じる読者が多くいると思います。メディア・マスコミ側の人として、変わらずこの強気なスタイルで読者が喜ぶ情報を発信してください。
「覚える=記憶する」だけでなく、「覚える=感じる」という意味もあります。
感覚語の後に「覚える」をよく用いているのは、少し前までの小説で、所謂文学的な表現として正確とされていたものですね。現代では「違和感を感じる」と書いている純文学も多くなったので、誤用という認識は徐々に消えつつあるかと思います。
ではなぜこの「覚える」が正しく、「感じる」が間違いとされてきたのか?
これは日本語的語感によるものだという説があります。(私はこれを支持しています)
違和「感」を「感」じるとすると、カンカンと二つ同じ響きが続くので、語感が良くないのです。故に、少し前までの小説だと(語感を大切にするために)あえて「違和感を覚える」を用いていたのです。
ではなぜ現代文学で「違和感を感じる」が用いられるようになったか? については、小説界に文言一致の流れが常にあるからでしょう。「現代人が喋り言葉でそう口にしてるんだから、人間を表現する文学として間違った表現ではない」ということですね。
そのうち「ふいんき」が文学小説の中に登場するかもしれませんね。だって、アナウンサーまでもが「ふいんき」って言っちゃってますから。言文一致です(笑)
でも「ふいんき」なんて小説で書かれちゃうと、違和感を感じますね。
決して、長谷川さんが間違っているとは思っていませんでしたが
プロなんだな~ なんて改めて感じてしまいました。
いつも長谷川さんのblogで楽しくお勉強しています。
これからも面白くてためになるblogをお願いします。