「あなたの《音楽ワークショップ》の一環としてオペラでも作ってみない?今、日本にあるのは團伊久磨の『夕鶴』くらいだからその価値はあると思うよ」。

何度か行われた寺山宅での《深夜の二人会議》の会話中に寺山さんの口から出た言葉だった。
これが見世物(呪術)オペラ『身毒丸』誕生のきっかけとなった。

そして1978年、新宿・紀伊国屋ホールで初演された。



寺山さん死後、わたしの仕事も劇団の演出が中心となり、コンサート活動は休止。


おのずとバンド(「紫瑠舞」)も解散。

演劇実験室◉天井桟敷の再演(再演ではなく新しい演劇世界の上演)はするものの、バンドを持たないわれわれに『身毒丸』の再演は不可能とされ、長きに渡って《幻の作品》と言われてきた。



が、2012年、運命的な演奏家たちとの出会いとともにバンドが再結成された。

《アジアンクラックバンド》だ。

そのヴァージン活動コンサート『山に上りて告げよ』の打ち上げで、なぜかみんなが『身毒丸』の再演を切望した。



そう、このバンド結成はまた『身毒丸』上演を前提としたバンド結成だったともいえる。

そして、2015年、切望、念願だった『身毒丸』は、その長きに渡った封印を解かれ、ほとんど当時のまま、オリジナル作品のままで上演された・・・ほとんど当時のまま、オリジナル作品のままで・・・(もちろん俳優、すなわち演者たちは総入れ替え。バンドを始め、琵琶奏者、三十弦箏奏者の演奏力、表現力、合唱の歌唱力、表現力もまったく違うが)・・・

この上演実現の喜びは、わたしにも、演者・奏者・歌唱者たちにも、観客にも行き渡ったはずだ・・・・



そう、今こそわれわれは寺山さんに変わって言わねばなるまい。

「どれだけ時が過ぎようとも、廃れることなき《生きた演劇》。それが《寺山演劇》だ」と。


この公演で再び、いや、永遠の印を捺されるであろう演劇実験室◉天井桟敷、演劇実験室◎万有引力の『身毒丸』は、寺山修司ファンはもとより演劇実験室
天井桟敷、演劇実験室万有引力ファン、そして『少女革命ウテナ』ファンにとって必観(再観)のみ。



劇場で待つ。

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