あとがきに記されているとおり、この本に通底する著者のメッセージは、「今の日本の音楽シーンは、とても面白い」ということに尽きると思う。センセーショナルな書名とはうらはらに、この本は「日本の音楽シーンを駄目にした犯人探し」でもないし、「古き良きミリオンセラー時代を振り返る」ような本でもない。いま音楽業界に起こっている変化の正体を、つぼを抑えた取材によって明快に解き明かした好著だ。
扱われているトピックは多岐にわたっていて、たとえば2010年代以降の大型音楽番組を取り上げた第三章は良い目のつけどころだな、と思った。言われてみればたしかに、やたら長い尺の音楽番組を最近よく目にしている。関係者へのインタヴューも交えながら、「長時間化する音楽番組はフェス文化を消化した取り組みだ」と指摘しているのも説得的だ。
個人的にもっとも興味深かったのは「ヒットチャート」をめぐる考察だった。
オリコンチャートは日本の音楽業界において「誰が人気か」を示すもっとも重要な尺度として捉えられてきた。それは、
オリコンチャートが「売上枚数」という具体的な数字でもってランキングをつけていたからにほかならない。しかし、
AKB48に代表される複数枚買いを前提とした
マーケティング戦略が普及するにつれて、
オリコンチャートは機能不全に陥った。著者は、「
オリコンチャートの上位に入ること=ヒット」という図式が崩壊したことを、具体的に
オリコンチャートをはじめとした各種ランキングを追いながら検証していく。
iTunes Storeでの配信ランキングやカラオケのリクエスト数ランキングを通して見えてくるオルタナティヴな「ヒット」の姿は、「CD不況」以後の時代に音楽がどのように人々のあいだへ浸透しているかを、垣間見せてくれる。
ただ、ちょっと危ういと思えるところがいくらかあった。スペクタクル化するライヴの現場と、
SMAP解散騒動に端を発するファンの購買運動を論じたところだ。
前者については、ライヴやフェス市場の成長やその現場の熱気を指して、「聴く」から「参加する」へと音楽の消費の軸が動いたと著者は指摘している。みんなで一緒にライヴで音楽を聴く、その体験にはたしかに特別な価値がある。けれども、本書に出てくるライヴやフェスの「
アミューズメント・パーク化」や「スペクタクル化」という言葉使いには、どこか腑に落ちない。というのも、どちらも「参加」とは反対の消費行動を連想させる言葉だからだ。そして実際、本書で取り上げられているような例が「流行っているCDを買う」という受動的な消費行動とは本当に異なるものなのかは疑問だ。「参加」や「コミュニケーション」を掲げるといかにもロマンティックで人間的な世界が広がっているように思えるけれど、その実情は果たして。
後者は、
SMAPの解散騒動へ抗議の意志を示すためにファンたちが『
世界に一つだけの花』を購入したという現象を取り上げたものだ。著者は、CDを買うという行為の持つ意味が変化した、その最も象徴的な例としてこの現象を論じている。つまり、CDを買うことは、「応援」とか「抗議」とかいった意思表示として機能するようになった、というのだ。しかし、少し考えればわかるとおり、そのCDの売上のいくらかは
ジャニーズ事務所の懐に入るのだ。10万枚という売上は、10万筆の署名に匹敵する意思表示にはなるだろう。けれども事務所の側から見れば、ファンは離れるどころかいそいそとお金を落としてくれているのだ。その願いに事務所がどれだけ耳を傾けるだろうか。音楽にお金を払うという行為が単なる消費とは異なる意味を持つようになったことは確かな事実だと思う。しかしだからこそ、そのお金が誰の懐を潤すことになるのかを考え、よりアーティストのためになるお金の落とし方をリスナーの側も考えるべきではないのか。
ライヴの現場には一体感やコミュニケーションがある、それは結構。CDを買うことは単なる消費を超えた行動(この場合は「
SMAP解散に反対する意思表示」)である。それも結構。しかし問題は、そこに生まれている一体感やコミュニケーションに批判の余地はないのか、あるいは自分の払ったお金が本当に自分が応援したい人に届いているのか、そこに尽きるのではないだろうか。この本は、お金を払ってなにかしているつもりになっているだけ、といういわゆるスラックティヴィズム的な隘路をどう避けることができるか、というところまでは、言葉を濁して言及してくれない。
とはいえ、新書というスケール感からいっても、この本はあくまで「音楽の今」を把握するための見取り図であって、そこから先は読者がそれぞれ考えるべきことだ。その意味で上記の批判はないものねだりでしかない。このレビューで触れた以外にもいろいろなとっつきどころが用意されているから、読んで損はしないだろう。