伊達娘にライブの感情がない、と書いて、その対極として"君の名は。"を挙げていろいろ公式ビジュアルガイドを読んだけど、想像した通りやん。~ さややについても。
私もカンがええよなあ。
たとえば新海監督インタビューのP59の最後あたりから、RADWIMPSが、映画に合わせて歌詞を変えてきたと書いてある。
具体的には、
私たち越えれるかな、
この先の未来、数え切れぬ困難を。
言ったろう?2人なら
笑って返り討ちにきっとできるさ
と書いてある。
RADWIMPSのインタビューでは、それ以外にも歌詞がいいから、監督がセリフを減らして、代わりに歌を聴かせるようにしたり、歌を聴かせるために尺を長くしたと言うとる。
けど、RADWIMPSの案を完全に採用したわけではなくて、監督がイメージを伝えるためにめっちゃ長文の感想と注文が何十回と来てイヤになったとも、P81あたりに書いてある。
私が伊達娘にイヤがられてもファンレター出し続けたというのは、そういうことなんやと思う。
だから、"君の名は。"の中でRADWIMPSの歌って、映画の中であるにもかかわらず、ライブ感に溢れているとも言える。
私は上で上げた歌詞とか、"あと少しだけでいい"を繰り返す歌詞とか、現実を考えると違うかもわからんけど、ガチガチに真剣になりきらずに、「できる、できる、できるよ」というような、根拠のない自信を、2人で言い合う、というようなことって必要と思う。
私ずっと言うとるやん。
"あと少しや"なんて、日立製作所時代から言い続けてきた。
まあ、それは少しではなかったわけやけれども、そんなんどうでもええ。
私が日本政府ぶっ潰したら、私と同じ思いをする人間は、当座のところいなくなる計算になる。
新しい革命政府だって当然のように腐敗するし、私の目が黒いうちはなんとかするつもりやけど、私が死んだ後のことまで責任持てん。
改めて、私ずっと言うとるやん。
ひとりで考えるから悩んでまう。
相手にちょっとアドバイスする、そのちょっとの努力をお互いにしただけで、人間はもっと生きやすくなる。
RADWIMPSの歌って、全体的にそんな主張やろ?
いやそれは新海誠の主張かもやけど。
私は新海誠を通してしか、RADWIMPSについて知らんし。
伊達娘も、なんか正解がある歌ではなくて(いや正解なんて自分で見つけるしかないんやけど)、RADWIMPSの歌とか歌ってみたほうがええのかなあ。
今泉さんのボイトレとか、祐天寺のダンスレッスンの先生も、そんな観点を持ってないのか?
あと、改めて思ったけど、さやや、よくよく考えると、もえきゅんとかひななとか、かよよん、あえり、とか、同期とゼンゼン仲良くしてないよなあ。
同期はライバルではあるんやけど、お互いに切磋琢磨できるライバルであって、切磋琢磨できる関係がなかったらダメになる。
切磋琢磨できずに、さややは、誰かから認められる存在になると思うか?
AKBの先輩だって、順位はついたかもやけど、芸能界ではなかなか苦しんどる。
優子は演技はできとるし、批判的な記事が出るというのも、ひとつの勲章と思う。
いや実際天狗になっとるかもワカランけど。
けどとにかくさややは、これから卒業して劇団にでも入って、劇団のみんなと一緒に、たまには裏方に回って、実践していくしかない。
(芸能事務所に入ったとしても、実態として似たようなもんやろ)
だからこそ、実践を想定して、AKBにいるうちからAKBのメンバーを大切にして欲しいと思う。
まあ、いまさらドラフト1期と仲良くするのは難しいわな。
けど、ドラフト2期に対して自分のノウハウを教えるというのはあるよなあ。
そして、ドラフト2期の全員と友達になったら、友達の友達は友達、という理屈で、ドラフト1期と仲良くできるやろ。
私が難攻不落のヒトと仲良くなるための秘策な。
狙ったオトコを落とすのだって、そいつの友達全員と仲良くなったら、外堀り埋めてまえる。
コレはさややだけに言っているのではなくて、誰に対しても言っている。
革命家に対しても、言っている。
あ、そうそう、ついでに書くと、安藤雅司さんが、P68で、アニメで人間の骨格をどう表現するか?という話で、それを具体的に考えた先輩として近藤喜文の名前を出しとって、伊達娘もさややも生まれる前に亡くなったヒトやけど、彼の考え方が"君の名は。"にもリアルに生きていることを、感じて欲しい。
自分が亡くなって18年経ってさえ、こうして、自分の考え方を大事に思って、新しい創作活動をしてもらえる、そういうのこそが、自分が生きた証ちゃうか?
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