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【芸能・社会】

高麗屋37年ぶり史上2度目 幸四郎親子孫三代同時襲名発表

2016年12月9日 紙面から

襲名披露会見を行った(左から)松本金太郎、市川染五郎、松本幸四郎(稲岡悟撮影)

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 松竹は8日、歌舞伎俳優の松本幸四郎(74)が2018年1月に二代目松本白鸚(はくおう)を襲名すると発表した。同時に長男の市川染五郎(43)が十代目松本幸四郎を、孫の松本金太郎(11)も八代目市川染五郎を襲名する。直系の親子孫による三代同時襲名は81年10月の初代松本白鸚(幸四郎の父)と幸四郎、染五郎以来37年ぶり史上2度目となる。

 幸四郎、染五郎、金太郎の3人はこの日、東京・帝国ホテルでそろって記者会見。江戸時代から約400年続く歌舞伎界でも高麗屋しか成し遂げていない“直系三代同時襲名”が再び実現することに、幸四郎は「奇跡に近い。初舞台から71年。今日の日のために自分は全部、今までのことをやってきたのではないかなと、しみじみと思えるぐらい今、本当に幸せ」と喜びをかみしめた。

 長く親しんだ幸四郎の名前を譲る寂しさを問われても「まったくない。ただただ感謝だけです」ときっぱり。「白鸚という名前に準じて、まっさらな気持ちで一からお芝居を勉強したい」と前を見据えた。

 父から大名跡を継承する染五郎は、「尊敬している志村けんさんの“お笑い職人”という言葉をいただき、歌舞伎職人を目指す」とユーモアたっぷりに決意表明。「名前が変わっても高麗屋の芸を体現したい思いは変わらない。歌舞伎という言葉にこだわって新しい歌舞伎を創っていく」と意気込んだ。

 金太郎は「まだ実感がないです。うれしかったです」と言葉少な。染五郎は前回の三代襲名会見を引き合いに「私は『ハイ』しか言えなかったので、私の30倍はしゃべってる。とても優等生。頑張ってね」と緊張気味の息子にエールを送った。

 今回の三代襲名を決めた時期は明確にしなかったが、幸四郎は染五郎の成長を指摘。特に染五郎が演じた「伊達の十役」の政岡役を挙げ「わが子ながら舌を巻いた。染五郎の芸は染五郎の器からあふれちゃって、もったいない。松本幸四郎という器に変え、その中に芸をいっぱい詰め込んでほしい」と期待を込めた。

 襲名興行でやりたい演目を問われると、幸四郎は「1月に『寺子屋』の松王(丸)をやらせていただく」と明かした。染五郎と金太郎は、幸四郎屈指の当たり役である「勧進帳」の弁慶を目標に掲げた。

 襲名披露興行は歌舞伎座の開場から130年を迎える年に開幕。1月と2月は東京・歌舞伎座、その後、京都・南座、大阪松竹座、名古屋・御園座、福岡・博多座で上演予定(日程は未定)。

<初代松本白鸚> 1910(明治43)年7月7日〜82(昭和57)年1月11日。七代目松本幸四郎の次男で、兄は十一代目市川団十郎、弟は二代目尾上松緑。25年に松本純蔵を名乗り初舞台。31年に五代目市川染五郎を襲名。49年に八代目松本幸四郎を襲名。81年に初代松本白鸚を襲名。白鸚は父の俳名から取った。同年、親子孫三代の襲名披露興行が最後の舞台となった。“英雄役者”と称され、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助や「菅原伝授手習鑑」の松王丸、「熊谷陣屋」の熊谷直実などが当たり役。文楽との共演や、歌舞伎以外の舞台にも挑戦。文化勲章や人間国宝など受賞歴多数。

◆記念に特製日本酒ふるまう

 この日、会見に集まった報道陣に三代襲名を記念した特製の日本酒も配られた=写真。高麗屋と親交のある「はせがわ酒店」の長谷川社長が選んだ米・山田錦を使用し、京都市伏見区にある老舗蔵「松本酒造」に仕込みを依頼。この日のために間に合わせた。ラベルには3人の名前や高麗屋の定紋をプリント。「日本酒のスパークリングで酸味とキレの良いうま味が味わえる」という。

 

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