これは フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016 9日目の記事です。

年末の金曜日に何を書いているのだろうとは思いますが

クリスマスもお祭りならば、ネットのお祭りに参加するのも、また祭りです。見ているだけより踊ったほうがより楽しいので、書いてみます。

能ある鷹は爪を隠す、あるいは沈黙は金と言います。しかし、ネット経由でお仕事を募集している身で、またネットに露出しなければ存在すら認識されないため、定期的に書くことは生命線でもあります。

格言なのかどうかはわかりませんが、俺の屍を越えてゆけ、と言います。しかし屍になるようなイベントがあるところに、わざわざ自分から出向いても、死体が1つ増えるだけで意味がないのではと、よく思います。

俺の屍を避けてゆけ、が正しいのではないかと思います。あるいは1つの事例をみただけで、その先には何もないと思ってしまうのも、検討が浅い正しくはないふるまいなのかもしれません。行動するのも、また行動をしないことも、何事も自分の頭で考えて決めていく、あるいは思考を停止して決めることすらやめてしまうなど、自分で決められるのは、それは自由なのかなと思います。

まともなことは昔書いているので、今回はパスで

2009年10月から個人事業主を始めたので、もう満7年が経過しました。どこか相手先で作業をしたりではなく、在宅で作業をして成果物を納品する、完全リモートというか、委託などで業務をしています。いままで運良くいままで生き続けられています。

これまでに行ってきている業務は:

  • iOSアプリ開発
  • iPhoneとイヤホンで連携するハードウェアとファームウエアの試作
  • BLEのiOSアプリとファームウエアおよびハードウェアの試作
  • 著作、講演、技術サポート
  • 技術的な講師やハッカソン主催のお手伝い

などです。

真面目なことは2011年から2012年に、その頃使っていたブログサービスで書いています。退職するときは退職前にクレカを作っておいたほうがいいとか、任意保険や健康保険税とのつきあいかた、あるいは家から一歩も出ずに法人を作る方法とか、そういう自分で調べてやってみた記録です。

フリーランスって、歩兵のイメージがあるけど、じつは重装備で訓練が必要な言葉なのかも

今回のは、お祭りなので、こういうのじゃないことを書けなのかなと、空気を読んでみます。

フリーランスとよく言いますが、自分でランスという槍を持って、自分の身一つと才覚とを携えて、戦場に出向き仕事を探す個人で活動するイメージかと思います。

ランスといえば、騎兵が用いるものです。なんとなくフリーランスは歩兵のイメージがありますが、ランスですから歩兵ではなく騎兵、つまり馬と馬具そして防護の鎧などの道具を一揃い持っていて、かつ馬に乗る訓練など時間がかかる教育訓練の投資もしているわけですから、昨日今日はじめました、と言ってなれるものでもないのかなと思います。

会社をやめた話

会社勤務は10年間していました。奈良先端で修士を取得して、2年間キヤノン株式会社にいました。この時の業務は半導体設計部門でデジタルカメラの映像エンジンのなかの画像コーデックのファームウェア作りです。その後愛知県蒲郡市に本社がある、日本電産ではない方の、株式会社ニデックに8年間いました。この時の業務は人工視覚デバイスの研究開発でした。

ある5月の朝のことです。起きると目の覚めるような青空でした。愛知県蒲郡のあたりはミカンの産地でもあるように、年間を通じて雨も雪も少なく、冬ですら青空が広がっています。この気持ちよさは、冬は重たい雲と雪に閉ざされる山陰地方出身の人にしか通じないと思いますが。

辞めよう、そう思ったので9月いっぱいで会社をやめて、さて何をしよう?と思ったとき、たまたまiPhoneが話題になっていました。個人でアプリを販売できるストアもあり開発情報はネットですべて入手ができるらしいので、それで食っていけるのかな?と思ったのが、始まりです。

キャリアプランがとか、世界を変えるとか、かっこいい言葉で外向きに飾ることもできるのかもしれませんが、そんな重たい言葉で毎日それをやり続けるのは、しんどい話だろうと思います。飽きた、きっかけは、そんなものです。

最初の1年

2009年10月から個人事業主をはじめました。手続きは、市役所に行って国民健康保険に切り替え、税務署に行って青色申告の申請まですませるだけです。

それまでの業務でFreeBSDで遊んでいたり、C# でWinFormそしてWPFでアプリを作り、組み込みLinuxボードでWinアプリにカメラをストリーミング表示する実験装置を作っていたりしていました。ですがMacは全く触れたことがないものです。

iOSアプリの開発を始めるのにObjective-Cを使うのですが、新しい言語を覚えるのを体が拒否してくれ、難儀しました。そのころMonoTouchというC# でiOSアプリが開発できる環境がでていたので、それを使って3ヶ月ほどアプリ開発の自習をしていました。3ヶ月後、Obj-Cを覚えちゃっていました。なんじゃそれ。

それでアプリを作ろうとして気がついたのですが、私は音楽や絵を作るのが壊滅的に才能がない。かといって、その頃出ていた白い画面を表示するだけのアプリを、”照明アプリです”といってストアに出す、ひらめきキラメキの才覚にあふれてもいなかった。

アプリ作って売るつもりだったけど、作れないやん。どうしよう。

一人でアプリを作るのを、すっぱり、あきらめました。でも他にやれることもないわけです。会社辞めただけで人脈があるわけもなく当然、仕事のつてもありません。

とりあえず、アプリを作るのは無理なので、iPhoneのイヤホン端子で連携する外部ハードウェアを作りました。いままで実験装置を作るのに組み込みの開発をやっていたので、そういうのはできるわけです。とはいえ、iPhoneでハードでといっても売れるとは思えないので、iPhoneで操作できるロボットを作ろう、としました。

その費用をどうしようかと探すと、蒲郡市のサイトに創造的事業育成プログラムがあり応募しました。市役所の方も、なんか正体不明の中年男性が書類を持って、国の流れで特に応募もないだろうものに応募者がふらりと来たのに、親切丁寧に対応してもらって、こういう仕事もあるんだなと思います。

100万円の助成金をうけてiPhoneで操作できるロボットを開発して、メイカーフェアーに出てたりしてました。市役所は定期的にプレス発表会を開催していて、そこで成果として発表して新聞掲載されたりしたのも、もはや懐かしい思い出です。

市役所の方と冗談で、フリーでやっているけど食えなくなったら生活保護のお世話になりに来ることになるかも、と言ったら、あなたは大丈夫でしょう…、と言われたときの顔が、けっこう記憶に残っています。世の中には自分が接したことがない部分があるんだなと、ちょっと感じました。

環境しだいでどうにもなるのだなと

会社を辞めて地元でもないところで一人住まいをしていると、人と接する機会が文字通りゼロになります。集団でいることがあまり好きではない性格ですが、この環境に3ヶ月ほどいると、例えばお風呂に服で飛び込んだり、微妙に面白い行動をしていました。

アマゾンでダンボールの小さな家が4000円くらいで売っていたので、部屋の中でリラックスゾーンを作ってみようとしたら、小さすぎたとか、そんなことをちょくちょくやっている感じです。

奇声を発するような、周りのご迷惑になるようなことはしていなくて、理性はあるのですが、何か思いつきで普通はしないようなことをしてた気がします。環境で人ってどうにでもなるのかなと。

いまはネタにするのですが、市役所からロボットをテーマにイベントをするから、開発したロボットの展示を依頼されました。行ってみると、小学校の入学説明会のあとに同時開催されていて、子供さんがたくさん来て、けっこう楽しそうに遊んでくれて、出した方の自分としてもかなり嬉しかった。

その次の年もイベントがあるからと出展を依頼されて、また子供が来るのだろうと思い、そもそも、この時点で何かおかしいスイッチが入っている気もしますが、今度はキグルミで行ってみようかと思いつきます。一生のうち一回くらい、キグルミしてみたいよねと。

2回めのイベントに出てみると、みなさんスーツの大人ばかりのイベントでした。昨年のイベントは市政55周年くらいの記念で子供も来てたけど、今回は通常イベントで大人しか来ないよと。

2月の冷える日で屋内なのでそれなりに暖房が入っていますが、それでも低温な室温ですが、キグルミって15分で中の人間が熱暴走するんだなと、体験しました。

その時の記念撮影:

このキグルミの話には後日談があって、5年後くらいに古巣の奈良先端から、IoTと起業をテーマに講演を依頼されました。

聞くと起業する予定の学生がいるとのことで、起業ってまず失敗するし、うまくいくものも最初の資本政策ちゃんとやらないと、美味しいところ持ってかれるだけで、頭おかしいことやることになる場合が多いよなと思って、バカやってみようかな、バカやってもいいよね(古巣だし)、と。

キグルミで講演を提案したら、先生方、すんなり受け入れてくださいました。ノリノリです。やっぱ、頭おかしいです(褒め言葉) たまに、なんとなく、着たくなるんですよね。

ネットのフォームでお仕事の話

お仕事は、おもしろい、そう思います。

iOSアプリを作りますというウェブページを作って、問い合わせフォームを作ってました。そんなフォームでも、まだiOSアプリ開発が今のように会社があったりしない黎明期だったので、いくつか案件が来たりしました。

アプリ改修で2週間くらいの仕事だと思ったので、15万円で見積もりを出して着手、その後、機能追加を要望されたのですが、ちょっと技術的に無理かなと思って、それはできないとお断りしてたら、なぜできない?みたいな雰囲気になって、とか。そんな感じです。

最初に、これはできる、これはできない、これを作るのが今回の見積もりの仕事範囲という書類を、けっこうがっつり作って着手前に送っておいてよかったなって思います。あれがなかったら、泥沼だっただろうなって。

こういう話は、自分は自分にとっての絶対正義なので、自分を悪くいうことも、そもそも自分が悪いと認識することも困難ですから、相手を悪者にしがちなのですが、相手の目線からすれば相手の都合と考えと理由があり、そういうものなんだろうなと思います。

人づてでお仕事の話

メイカーフェアに出展していたときに、iPhoneでこんなものを作りたいのだがという方と、あの人ならできると聞いたのだがとブースに来られました。この時も15万円で見積もりだしてました。2週間くらいなら、30万円くらいの月給の半分で15万円という計算です。バカですよね。いまなら200万円くらいスタートで出すのに。

この時作ったのは、プロ用のステージ機材で、いろんな音を出すというシンプルな機能のアプリでした。ただ画面タッチで動くだけではなくて、外部に接続したスイッチで動くもの、です。iPhoneと連携するハードをやっていので、紹介を受けたのでした。

この方とは、その後は相応の開発費用をもらうようになり、今もアプリの機能拡張や改修でお付き合いしています。普通出会わないところで、自分が全く知らない業界での話なので、やっぱりおもしろいのです。そして相手の方が回路やアプリそして技術者というものを理解して接してもらえているので、それでお付き合いが続いているのだろうと思います。こういう出会いがあるのは、ほんとうに感謝しかないです。

またデブサミというイベントで話してみないかとお話をもらったりもしました。お仕事って、あたりまえのことなのですが、人づてなんだなって。

また紹介をもらって、会社の立ち上げで必要になるという、スマホでクレジットカードの磁気情報を読み出す回路とライブラリの試作をしたりもしていました。こういう道具それ自体には価値はないのですが、それをクレジットカード決済などのサービスとして事業にするうえでは、道具が必要になるというのは、自分が何をやり何を得るのか、技術それ自体の価値とはどの視点から言えるのかとか、ちょっと考えちゃう材料です。

英語でお仕事の話

ネットにしか存在してないようなものなので、こんなことをやっているよというブログ記事を、英語でも書いて出したりしてました。英語圏のお仕事は、日本語圏の10倍くらいは確実にあるのかなっていう感じでした。

Githubに、AudioUnitという低レベルなオーディオのフレームワークのMonoTouchのラッパを公開してたりしたのですが、それを見た方が、ちょっとアプリに使いたいので少し手を入れたのがほしいとメールをもらったりしました。ユーゴスラビアかどっかそのあたりの方。

半日でできるものでした。5万円の金額でした。メールをやり取りしていると、そっちの物価であれば5万円は小さな金額だがこっちだと結構大変でとかあって、たいへんだなーっておもいました。

たしかクロアチアの、アプリ開発会社を経営されている方がいて、コードを作ってもらって納品を受けて、送金しようとしたら、送金手段がネットとかではなくて、結局はスイフトコードを教えてもらって郵便局で送金をしたとか、けっこうおもしろ体験でした。郵便局の方が、はじめてやる業務らしくて、手順書を見て1つ1つ確認しながら、めちゃくちゃ慎重に処理してはりました。

受託にはいたりませんでしたが、ブログとGithubのコードを見て、金融系の開発を依頼したいけど、みたいな話がありました。シンガポールからSkypeでインタビューを受けたのですが、私も微妙な英語でもここまで応対できるのかすごいなって、相手の英語力に感心しました。そこかよ。

ツイッターでお仕事の話

実は、この7年間のお仕事は、ツイッターで紹介をもらったり、あるいは問い合わせをもらっています。 もともとは、孤独に耐えかねて作ったアカウントでしたが、いまはネットに存在しているものとして存在の根拠となっている状態です。

https://twitter.com/u_akihiro めっちゃ2次元アイコンですが、お仕事のやりとりも、このアイコンです。問い合わせしてくる方々は勇気があるなと、正直自分で思います。

ではどんな仕事かといえば、いろいろです。

岐阜県大垣市はIT、2010年の頃はiOSやモバイルのベンチャー育成に力を入れていたのですが、その頃ツイッターで面白いからと、トリガーデバイスの佐藤さんに、プレゼンの機会をもらいました。

これがつながりで、その後の大垣でのiOSアプリ開発の講師や、iOSアプリ開発のお仕事など、ずっとお世話になっています。

また大学の研究成果をiOSアプリにする、という仕事もありました。めちゃくちゃ作るのが遅くて、発注を受けて10ヶ月くらいでやっと納品、納期を何ヶ月遅らせているんだと、怒られるなとビクビクして出したのを思い出します。プロジェクト提案の相手に見せるには、なんとか間に合ったよみたいなお話をもらって、その場はホッとしたのですが、2回めのお仕事は来ないので、そうだよなーって、思ったりしています。

iPhoneで動くロボットつながりで、ニューヨークのメイカーフェアの前に開催されるオープンソースハードウェアサミット、その第2回に出展したりもしました。その時は、スイッチサイエンスさんから、10万円(もしからしたら15万円だったかも)の援助資金をいただいたりしました。これもツイッターでのつながり経由です。

スイッチサイエンスさんからは、iPhone+ロボットの接続部分の基板を設計製造していただいたり、めちゃくちゃ助けていただいたのですが、私本人がプロジェクトを盛り上げるでもなく活動をせず、しょぼしょぼのままに、自然消滅状態です。事業をするのは腰を据えないとだめですけど、ふにゃふにゃです。

あとは、本を何冊か出しているのも、ツイッターがきっかけだったりします。iPhoneで電子工作という本は、こんな本を出したいなーというつぶやきを、出版社の方が見て、たまたまその日は東京出張だったので、その日のうちに打ち合わせで、あれこれあって出版になりました。

原稿を出す出すといいながら半年以上遅らせてしまい、さらには、てにおはのレベルでおかしな文章を修正してもらったりと、今思い出しても迷惑このうえないと冷や汗しかでないのですが。

その後、アップル、グーグルが神になる日 ハードウェアはなぜゴミなのか?、が光文社から出ています。iOS8をもみたときの感想をブログに書いたのですが、それを見た山路さんに出版を進めていただき、でも文を書くのはと思っていたのですが、インタビューを受けて本文は山路さんが書いていただいて、出版されました。

自分のキャラを冷静に文章に書いてみると、どんだけご迷惑なんだろうと思うのですが、それでも見てくれる人がいて、その御蔭で人のつながりの中にいるんだなと、今書いてて実感します。

ときどき怒ることがあるけど、なにもいいことはない

2年に一回くらい、めちゃくちゃ怒り状態になることがあります。だいたい原因はつまらないことなのですが、何か自分でも知らない逆さ鱗があるのだろうとは思っています。

最近だと、パートナーのiOSアプリ開発で、ちょっとしたバグというかがあり、そういうのを見てカッチーンと来て激怒状態になっていました。今思い返せば、そんなのちょちょっと直してコミットすればいいだけ、1時間もかからない仕事なのですが。

アホですね。相手は迷惑だっただろうなって思います。こういうのをやると、お互いああいうことがあったねと話し合えるようになっても、相手には起こっている私の記憶が残っているわけで、人間関係を潰すだけだなと、つくづく実感します。

立場が違うときついよなと

かなり有名な会社のiOSアプリ開発の案件での話です。アプリのコードがほぼ出来上がり、もう納品できるかなと思ったあたりで、あるところで画面遷移を200回ほど繰り返すとメモリ不足でアプリが落ちるというのが、バグとして上がってきました。

これが、おそらくiOSのフレームワークの深いところでメモリを解放していないんだろうなとは思えるけど、もしかしたら自分のコードか、あるいは相手会社のライブラリかどこかなのか、ぱっと見では原因箇所がわからない、ちょっといやんなやつです。

会社で技術者やっていたら、技術に向き合っていたら、こういう”バグ”はバグなので、直そうとするのはそりゃそうだと思います。一方で、外部から関わっている人間としては、1アプリいくらの予算金額で仕事を受けているので、関わる時間が短い方がいい、ぱっぱと納品して終わりにしたい立場です。

こんなのでアプリが落ちても気にする人いないだろう、そもそも何百回も画面遷移を繰り返す人なんかまずいないぞ、とアプリ体験への影響度つまりバグ修正する重要度は限りなくゼロに近いものなので、べつにいいじゃんと思うのですが。でも仕事は仕事。バグというならバグなんですよね。

結局、実行時のプロファイルをとって、2週間くらいかけてメモリ解放忘れらしい挙動の箇所を特定して、それを再現するアプリを作って、iOSのフレームワークが原因だと証明して、それで事なきをえた感じでした。

で、私はAppleにこれをバグレポートしたかといえば、しなかったんです。ですから、全く誰にとってもうれしいことがない、フィードバックもしない、自分で自分の仕事を無駄というか、ゴミにしたわけです。

今こうやって書いて思い出してみると、バグレポくらい投げとけばいいのにと思うのですが、たぶん仕事を憎んだのかもですね。もう見たくない、さっさと終わらせたい、そんな感じだったのかもしれません。こういう状態って、誰も幸せにしないですね。

とりとめないですけど

とりとめないですけど、冷静に考えて一人でいるって危険しかないです。自然界を見渡しても、個体数の多い動物は群れを作る動物です。昆虫で大繁栄しているのは、極端に社会性を発達させている蟻です。

それはそうです。例えば病気で誰かが倒れたとします。それが一人でやっているところであれば、即倒産でしょう。でも10人のところであれば、周りが0.1余分にがんばれば、なんとかなります。これが1万、10万の数なら、もはや確率と統計学で扱えるでしょう。

自分が在宅で成果物納品で仕事ができるのは、時代がそうなっているラッキーさがあります。

Githubで実力の程はわかります。SNSで、なんとなくどんな人物かもわかるでしょう。正体不明の何者かに問い合わせるなんて、無謀で危険なことでしかないですが、問い合わせるまでもなくある程度の情報が得られるならば、問い合わもするかもしれません。

ネット側に情報があったのも大きいです。i-modeの頃などは、技術情報がネットで公開されていなくて、東京の会社に日参して情報をもらって仕事をしていたという、ネットの仕事なのに、リアル世界にいないと仕事すらできない過去の話を聞くと、本当にiOSはネットにある世界でラッキーだったと、今も思います。

またiOSアプリ開発の黎明期だったのも、ラッキーです。まだ始まったばかりで、事業としての開発専業会社が確立していない頃はまだ、個人でも開発の仕事はありましたし。

こういうのを書いていると思うのは、フリーランスってそういう生き方があっているか、そういう生き方しかできないだけの話で、そういうやつもいるだけの話でしかないです。残酷物語とか言いましても、生きてることが残酷なら、そりゃ生きていることに付随する仕事も残酷になる人もいるのかもしれません。

とここまでカッコつけて書いてきましたけど、仕事場がこれですからね。自分でも、どうしてこうなったと思いますけど、今までいろんなことがあった、その蓄積からくる、すでに私にとっては日常なので、その経歴は語れるが、だからといって、それがどうした、でしかない話です。

この環境が日常になっちゃうと、そりゃ普通の会社に務めるかとか、検討しないわな。

傘をささずに雨の降るところにいたら濡れる。いままで傘があることに気づかなかった。雨がふるような場所に出たことがなかった。そこにいたら、そうなる。これまで延々と書いてきたのは、そういう話です。

俺の屍は避けてゆけ。他人のことなど、知ったことか。

では。

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2016-12-09