わたしたちは常に世界を切り取っている
紙を星型に切り取るように
パン生地を型で切り取るように
流れる時間をファインダーで捉えるように
紙やパン生地と同様に
世界にはそれ自体にアプリオリな意味や価値は無い
常にその「切り取り行為」によって、
意味も価値も 生み出される
それは -- 常に我々の生命のために
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言葉で切り取る -- 文学、詩。
旋律で切り取る -- 音楽。
色彩で切り取る -- 芸術。
生命は奏でる。
生命は描く。
生命は語る。
それはまるで、世界の切り取りを行う自分を確認するために……必死に。
いずれ訪れる死からは逃れられないが。
それでも残るモノ
詩、芸術や音楽。
切り取られた欠片。
それは -- 生命の残響。
生命の残響は それを生み出した生命が死んでも 他者の世界に響き渡る
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わたしの生命の残響は誰かに聴いてもらえるものだろうか
いやそもそも、わたしが死んだ後に残る響きがあるだろうか
そしてこうも考える
意識そのものが世界の切り取り行為なのだと
わたしが死んだ後に、意識は消えるだろう
その意識の残響は
つまり「わたし」の残響は --- 他の世界に響くだろうか