コロンビア和平プロセスの課題――新和平合意をめぐって

はじめに

 

南米コロンビア政府と左翼ゲリラ、「コロンビア革命軍-人民軍(FARC-EP)」(以下FARC)の和平合意が僅差で否決された国民投票(10月2日)から2ヶ月余りが過ぎた。停戦協定は年末まで延長されたものの、この間、宙に浮いた和平合意とその後のFARC兵の身の処し方をめぐって、国民全体が不安に苛まされている。そのような中、12月10日にはサントス大統領に、これまでの和平合意への努力を評価するものとして、ノーベル平和賞が授与される。

 

和平合意文書の国民投票での否決は、衝撃的な出来事として国際メディアに取り上げられた。しかし、その後平和賞受賞のニュースでコロンビアの和平プロセスに一条の光がさしたと理解され、国際メディアにはほとんどこのテーマは登場しなくなった。一方で、現地では政府とウリベ上院議員を筆頭とする「合意内容に対する反対派」(以下、反対派)との合意形成が難渋した。これまでも「クリスマス停戦」は幾度となく宣言されてはその後決裂し、紛争が再燃した。特に近年紛争地として苦しんできた周辺県—チョコ、ナリーニョ、カウカなどでは住民の不安が高まった。

 

出口が見えなくなった和平プロセスを前に、政府は反対派の意見を吸い上げる姿勢をみせ、これを踏まえて政府交渉団とFARC代表との間で11月12日に新合意文書が作成され、同24日にボゴタのコロン劇場で歴代大統領をはじめ、政府要人を含む750名が臨席の上、調印式が行われた(注1)。

 

こののちすみやかに新合意文書は国会に提出され、11月末に国会特別総会にて承認審議にかけられることになった。11月29日、上院で102議席のうち賛成75票、反対0票で、30日には下院で166議席のうち賛成130票、反対0票でそれぞれ可決された。両院ともに、ウリベ上院議員率いるCD(民主中央)党を中心とする反対派はことごとく棄権した。とはいえ新合意文書が国会での承認を得たことになり、FARCの武装解除プロセス開始のめどがついたことになる。しかし「新合意文書」内容の履行には課題が多く、和平構築プロセスはようやくその端緒についたばかりである。

 

以下では、今回の政府——FARCとの和平合意の意味と、それが宙に浮いてしまった背景、今後の行方と課題について、コロンビアの国内紛争の歴史とその背景にある社会的政治的構造も考察しながら、読み解いてみたい。

 

 

サントス政権の和平プロセス

 

コロンビアでは半世紀以上続いた紛争の解決にむけて、FARCと政府との間で停戦協定を含む和平合意文書が2016年8月24日に確定した。9月26日には、ボリバル県カルタヘナで、対話交渉のホスト国であったキューバのカストロ国家評議会議長、キューバとともに仲介と対話の立ち会い保証の役割を担ってきたノルウェー代表をはじめ、国連事務総長、各国首脳の列席のもと、華々しく調印式が行われた。

 

同国は「1000日戦争」や「ラ・ビオレンシア(暴力)」など、20世紀半ばまで、国を二分した内戦の歴史に苦しんできた。その後も政治エリートが政治も経済も掌握する伝統的二大政党制という特異な政治体質が温存し、左派勢力は公的な政治参加から排除された。その結果、1960年代以降はキューバ革命の「核」(フォコ)の実現をめざすもの、毛沢東主義を掲げるものなど多様な思想的背景をもった左翼ゲリラが組織され、各地で武力紛争が絶えなかった。1980年代以降、歴代政権は和平交渉に臨んだがことごとく頓挫した。2002年~10年はウリベ大統領が一転してタカ派路線を貫き、軍事力強化によって当時最大の勢力を誇っていたFARCへの徹底抗戦により、その戦力衰退に追い込んだ。

 

サントス大統領はウリベ政権期には国防相をつとめ、FARCの中核に徹底的打撃を与えた国軍戦略を率いた経験をもつ。大統領に就任後は満を持して和平プロセスを対話路線に切り替えた。以来、FARCへの徹底抗戦による和平構築を求めていたウリベ前大統領とは袂を分かつことになり、上院議員として影響力を持ち続けるウリベ派と与党との間で国政は二極分裂してゆく。

 

一方、サントス政権は4年以上の年月をかけ、「総合的農村開発」、「政治参加」、「終戦」、「麻薬関連問題」、「移行期正義と被害者補償」、「履行手続き」の6つの柱を立て、停戦後の和平構築アジェンダとしての和平合意文書の作成にこぎつけた。本来の法的手続きにおいては国民投票の実施は義務付けられてはいなかった。だが今年3月の時点で支持率が30%を下回ったサントス大統領は、次期大統領選(2018年)でウリベ派が率いる野党がたとえ勝った場合でも、和平合意内容の確実な遂行を担保しておきたかった。そのため調印ずみの和平合意を国民の審議にかけるという賭けに打って出たのである。しかし、10月2日の国民投票は僅差(賛成49.73%、反対50.37%)で否決された。

 

 

コロンビアの国内紛争の経緯と背景

 

今回の和平合意は政府とFARCの二者間での対話交渉であり、ゆえにFARC結成時からの52年の紛争に対する終止符が打たれたという一般的認識がある。しかしながら、コロンビアの国内紛争はFARC対政府という二者関係に限定されるものではない。したがって、今回のFARCとの和平合意は長年の国内紛争の解決への大きな一歩として受け止めるべきだろう。コロンビアの紛争の歴史はより複雑で、多様なアクターが関与してきたことを踏まえる必要がある。他方、左翼ゲリラという名の下に扱われる「反政府非合法武装組織」も、時代とともにその性格を変えてきたことも考慮しなければならない。

 

1980年代後半は、M-19(4月19日運動)、PRT(労働者革命党)、マルクス・レーニン主義の EPL(解放民衆軍)、先住民の解放をめざしたQuintin Lame (キンティン・ラメ) など多様なゲリラ組織が異なる地域基盤で社会変革を求めて武装闘争を続けていた。この時期は、同時に国内の麻薬密売組織が勢力を拡大し、左翼ゲリラの勢力圏と重なることもあった。当局の麻薬撲滅政策への抵抗だけでなく、ゲリラによる身代金目的の誘拐が麻薬密売組織幹部家族に及んだことも契機となり、麻薬密売組織も傭兵などで自警団を組織した。

 

1980年代後半、多元的民主主義を求める政治開放の機運が高まり、1991年の憲法改正につながった。1990年の制憲議会の成立を前に、M-19ほか複数の左翼ゲリラ組織が武装放棄し、M-19は市民政党として政治参加の道を選択した。これは当時の和平交渉の一定の成果とみなされるが、他方で、1984年に結成された左派愛国連合(Unión Patriótica: UP)は、その代表をはじめ多くの政党員が政治暴力によって暗殺され、2000年代には政党としての活動停止に追い込まれたが、2013年に復活した。こうした状況を前に、FARCとELN(民族解放軍)は一層武闘体制を強めていった。

 

この背景には1990年代のパラミリタリズムの拡大を考慮しなければならない。パラミリタリーは基本的に左翼ゲリラへの自警や制圧を目的とした正規軍以外の右翼の準軍事組織である。パラミリタリーはゲリラ兵以外に、農村部における社会運動家やコミュニティリーダーなど、左翼ゲリラとの接触が疑われる一般市民も弾圧、殺戮の対象とした。こうした政治暴力の悪化と農村部の国軍、パラミリタリーと左翼ゲリラの共存によって、中立的立場を維持しにくくなった農民の多くが土地を追われ、強制移住民となった。こうした人々は今日までに累積およそ600 万人にものぼると推計されている。

 

他方、1990年代、麻薬密売組織カルテルの勢力が当局の追及によって衰退をみせる頃、FARCは活動資金源を麻薬密売への関与によって確保するようになる。コカの栽培、麻薬精製基地、仲介業者と輸送ルートまでの一連の過程における「課税」によって資金調達を行うと同時に、農村部の支配を拡大していった。行政サービスが及ばない僻村における農民のコカ栽培への関与は、生存戦略の一つでもあった。しかし、この頃からFARCは革命運動の思想的基盤を失い、「ナルコ・ゲリラ」に変質したという認識が生まれていった。

 

 

国民投票実施が否決された背景

 

いったいどれだけの国民が「国民投票」の意味をきちんと理解していたのだろうか。海外メディアの一部には「和平にNOをつきつけたコロンビア国民」に対する困惑、といった内容で報じたものもあった。確かに「和平について、総論賛成、各論反対」というロジックは理解しにくい。「No」に投じた有権者にしても、どれだけ和平合意内容の可否を国民投票にかける意義を理解し、またその結果が与え得る国内外の影響を予見したうえで決断したかは疑わしい。先のBrexit(ブリグジット)現象にも似て、可決を疑わず、和平合意内容の一側面への批判や現サントス政権への経済政策への不満から、そして親ウリベという立場から反対票を投じた有権者も少なくなかった。

 

それ以外にも投票者の半数が反対票を投じた理由がある(注2) 。

 

 

(1) 合意文書の理解普及の不足

 

合意文書の項目を追ってゆくと、この和平合意が、DDR(武装解除、動員解除、社会復帰)だけでなく、「総合的農村開発」や被害者への土地返還を含む補償、麻薬密売問題の解決など、コロンビア社会で武力紛争が生まれた背景にあった構造的問題―社会階層格差、農村部の貧困、麻薬問題―に対する政策アジェンダを盛り込んでいることが理解できる。

 

しかし、残念ながら和平合意の内容がきちんと国民に理解されていなかった。有識者、大学関係者、人権擁護や民衆教育部門のNGOなど、実際に和平プロセスに密接に関わってきた層はともかく、297頁に及ぶ和平合意文書を通読した市民はごく限られ、政府の広報の時間も工夫も不十分だった。

 

 

(2)都市中間層・低所得者層のFARCへの反感

 

むろん、合意内容には課題も多かった。その筆頭がFARCへの譲歩がゆきすぎであるという批判であり、先に述べたように、1990年代以降のFARCの体質変化の結果、増幅された市民のFARCへの嫌悪感がその根本にあった。「なぜ真面目に働いても最低賃金しか稼げない自分たちがいる一方で、FARC兵の市民社会復帰に公的資金が投じられるのか?」という率直な疑問である。

 

他方、この国の過去の和平プロセスや政治体制そのものへの信頼度の低さが、政治的アパシーにつながり、和平プロセスについても同様の選挙行動を生んだ。投票日、会場前で列をなす人々を尻目に「どうせどっちに投票したって汚職まみれの政治家が勝つに決まっているさ」と吐き捨てて去った人がいたが、実は核心をついている。「国民投票」の意義が市民に浸透しておらず、結局はサントス(与党)VSウリベ(野党)という投票パターンになってしまった。

 

特に、紛争地にならなかった都市部では、ハバナでの和平交渉を自らの問題として受け止めた市民は限られていた。こうした都市と農村、特に長年武力紛争で苦しんできた周辺地域の農村部とアンデス山脈が縦断する中央都市部との温度差が、投票行動にも反映された。紛争地域では賛成(Si)が優勢であったが、ボゴタとボヤカを除いて、中核都市を擁する中央地域はことごとく反対(No)が勝ったのである。

 

加えて悪天候も影響した。ハリケーンの影響を受けて、賛成派が多かったと分析されたカリブ海沿岸のいくつかの市町村では、投票開始が遅れ、投票場に辿りつけなかった市民も出た。さらに、賛成派の中でも、賛成予想に安心し、悪天候を前に出足が遠のいた市民も少なくない。政府は投票率の低さへの対策として、国民投票の結果の有効条件として最低獲得投票率を13%に決めていた。しかし、皮肉にも、63%の棄権率を前に、賛成票もこの最低獲得投票率はクリアしたものの、反対派が僅差で制した形になった。

 

 

(3) Noキャンペーンとパラミリタリー支援企業家の関与

 

都市部での政治的アパシーと国民投票への理解度の低さに加えて、反対派のダーティ・キャンペーンが奏功した。投票前一週間、SNSによって紛争被害者への返還予定地情報がFARCへの土地提供として流れたり、年金受給者に「今後年金の2割がFARCの社会復帰プログラムに還元される」などの誤った情報がまことしやかに届いたりしたのである。こうした誤った情報の拡散が、「平和は望むがFARCへの譲歩には今一つ同意できない」というタイプの有権者の反対票につながった。

 

国民投票が否決された直後から、反対派のダーティ・キャンペーンの実態も明らかになった。10月15日のエル・エスペクタドール紙には、Noキャンペーンがアンティオキア県ウラバのバナナ流通業者の献金によって賄われたという告発記事が掲載された(ウラバはバナナ・プランテーションが集中する地域で、労働者搾取により労働運動と抵抗運動が著しい地域であった。FARCとパラミリタリー両者の介入によって長年紛争に苦しんだ地域でもある)。

 

FARCの存在に悩まされた企業家がパラミリタリーに資金提供を行うという構図は他にもみられ、その背後に政府関係者が関わってきた。こうした汚れた資金が今回のNoキャンペーンに流れた。

 

 

(4)ジェンダー・パースペクティブと保守派教会の影響

 

否決の背景には有権者の和平合意文書内容の総合的理解の不足や、「FARC優遇措置」と理解された社会復帰プログラムや政界参加に対する拒絶反応、という点が大きいが、合意文書内容の一部が曲解され、それがNoの勢いを押し上げた側面もあった。これが、福音派をはじめとするカトリック以外のキリスト教団体、特に保守派の教会とその信者たちの動きであった。

 

ハバナの合意文書には紛争被害者への補償の項目において、「ジェンダー・パースペクティブ」が盛り込まれた。すなわち、暴力がとくに女性とマイノリティグループ(アフロ系住民、先住民)に打撃を与えたことを踏まえ、和平合意の実施にあたっては、彼らへの補償を追求すべきである、というくだりである。コロンビアの紛争地では、先住民やアフロ系住民(特にカリブ海沿岸や太平洋沿岸地域)が紛争被害者として苦しんできた。また、コロンビアに限らず、武力紛争社会において、レイプをはじめとする女性に対する人権侵害が深刻化し、さらに紛争後社会においてもDVが悪化する場合も多い。

 

このように、ジェンダー・パースペクティブは不可欠の要素であるが、保守派キリスト教団体にとっては、彼らのもつ伝統的な家族観に反し、LGBTIの容認という解釈につながりうるため、脅威となると受け止められた。都市部、農村部を問わず、特に低所得層における福音派などのプロテスタント系宗派はカトリックをしのぐ勢いで拡大している。このような状況を考えると、宗教団体の政治的影響力が反対票を押し上げた一因となったのは明らかである。【次ページにつづく】

 

 

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