1960年代、中国は核実験を繰り返し、日本に大きな不安を与えていた。
1970年、NPT(核不拡散条約)が発効し、現在では200近い国が加盟している。これは、文字通り核の拡散を防ぐ条約で、NPT加盟国はこれにより、「核兵器国」と「非核兵器国」の2種類に分けられた。
NPTの定める「核兵器国」の定義とは、「1967年1月1日以前に核兵器を製造し、爆発させた国」(条約第9条)である。アメリカ、ソ連(当時)、イギリス、フランス、中国がこれにあたり、この5ヵ国は未来永劫、核兵器を保有してもよいことになった。
一方、その他の国は、核は夢に見てもいけない。平和利用に関しても、厳しく監視される。
中国は1964年10月、初めての核実験を行い、ギリギリで「核兵器国」の仲間に滑り込んだ。その頃、日本人はちょうど東京オリンピックに熱狂していたこともあり、大した抗議もしなかった。
ただ、中国は核実験によって「核兵器国」の地位は手に入れたものの、なかなかNPTに加盟しようとはしなかった。それどころか、そのままの状態で30年間、黙々と核実験を重ね、核兵器を貯め、ついでにパキスタンの無謀な核開発も助けたということは、前回すでに書いた(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50347)。
子供の頃、「黒い雨」という言葉を聞いたことを思い出す。「今日は、雨に当たるとハゲになる」などと言われた。日本人は、中国の核実験のたびに、放射性物質が日本に飛んできていることをもちろん知っていたのである。これはほぼ10年間続いた。そして、飛来した放射性物質の量は、決して軽微なものではなかった。
しかし一番深刻な問題は、日本が中国の核ミサイルの射程にすっぽりと入ってしまったという事実だった。丸腰の日本にとって、大いなる脅威である。しかも、中国の核開発がさらに進むことは想定済みだった。
そこで対抗策として、日本も核武装で防衛すべきだという意見が、当然、政府内で出てきた。
ところで当時、中国の核に脅威を感じていたのは日本だけだったか?
否。中国は、現在250から300発の核弾頭を持つと言われているが、彼らの仮想敵国の筆頭は、いまも昔も、日本とインドだ。しかもインドは、隣のパキスタンの核にも脅かされている。パキスタンはNPTに加盟しておらず、前述のように、中国のおかげで核兵器を手にした。
中国とパキスタンの核に狙われたインドに、多くの選択肢は残されていなかった。国家を守るためには、抑止力として、自らも核を持つしかない。つまり、インドと日本は、60年代、まさに同じ危機にさらされていたわけである。
だから、国連でNPT(核不拡散協定)が採択された1968年、インドも、そして、日本もすぐにはそれに署名をしていない。将来、核武装をするかもしれないなら、NPTに加盟して「非核兵器国」になるわけにはいかなかったのである。