今回のインタビューでは本書や、本書のもととなった博士論文『社会運動のサブカルチャー化 ——「2008年G8サミット抗議運動」での経験に焦点を当てて』を執筆するきっかけから、「社会運動サブカルチャー」という耳慣れない概念の正体について、社会学者の富永京子さんにお話を伺った。
「社会運動をやらなければだめ」と他人に言い始めてしまったら、自分は社会学や、社会運動論に対して貢献できなくなる
―― 学部時代は経営を専攻していたと伺っています。経営学という実学の方が面白そうですが、「社会学」に興味を持ったきっかけは?
富永京子(以下、富永) 私が籍を置いていた大学の経済学部は、学科に経済と経営があって、やはり経営学科が人気を集めるという傾向にありました。私も例に漏れず、いわゆる、分かりやすい実学としての「経営」に興味を持って地元の北海道大学に入りました。
分かりやすく実践できそうなイメージのある経営学をやりたいという気持ちは強かったんですが、2005年の堀江貴文さん(当時ライブドア)を筆頭とするベンチャーブームみたいなものがありましたよね。そうした現象に付随する形でビジネスコンテストがかなり流行っていた時期に、私もビジコンに出て企業家の方々にお会いするんですけど、この人たちのように、社会に対して“断言”できないな、という気持ちになった覚えがあります。
一方で、議員インターンシップで選挙活動のお手伝いをしていた時期もあります。そこで現職の議員さんと触れ合う機会が多かったんですけど、この人たちも別のベクトルで、社会を語る人たちだったんですね。理想とする社会がある人たち。私はそういった理想があまりない人間だったので、まず一旦、立ち止まって考えることが重要なのかなと思いました。それでとりあえず大学院に行こうと思った。
―― 実際に行動に移す前にということですね。
富永 そうです。もうひとつ、これは大きなきっかけだと色々なところでも言っているのですが、20歳のときに知人の選挙運動を手伝うんですね。その人は、33, 34歳で地方議員をしていて、比較的私たちに目線の近い候補者でした。彼は落選してしまうんですけど、その時に、すごく違和感があったんです。
応援していた周りの人たちは、「俺たちは正しいのに、なぜ負けたんだ」と言っていましたが、そこに違和感がありました。正しいことが、必ずしも選ばれるわけではないということに。それこそ、社会運動と引きつけて考えられる話だと思うんですけど、私は正しさをそこまで主張できないし、正しいと思うような判断基準も足りないと。それで改めて「負けた私たちはこれからどうすればいいんだろう」ということを考えました。
選挙に当選して、という正式な政治過程を通じて意見を言えない私たちは、これからどうすればいいんだろうと。そう考えていた時期に「社会運動」というのがルートとして思い浮かびました。それが大学2年生の終わり頃で、まだゼミの選択も始まる前の時期だと記憶しています。
―― 議員インターンシップに参加するということは、少なからず政治的なもの、つまり社会を変えるだとか、社会の構造を変えるということに興味があったように思えるんですが。
富永 実はあんまり。“意識の高い学生”が、北海道の閉鎖的な状況のなかで、なんとかしようとして選んだだけです。そういう意味で、議員インターンとビジネスコンテストって当時の私たちにとって等価だったんですよ。ビジネスマンごっこですよね。そういう人、他の大学でも、一杯いたと思います。
―― なるほど、そうした経験があって、ゼミに入る前段階でやりたいことがぼんやりと見えてくるわけですよね。それが、政治活動に参加することで知った「社会運動」。
富永 対象は決まっているので、とりあえず社会学的な枠組みで深く考えてみたい、ということを当時仲の良かった先生に相談したら、経済社会学者の橋本努先生が、社会をマクロに見るような道具立てを考えてくれるんじゃないかな、と教えて頂いて、橋本先生のゼミに進みました。彼の思想を直接的に受け継いでいるかと言われるとそうではないし、『社会運動のサブカルチャー化』もフィールドワークで書いた本ですから、正式な弟子とは言えないと思うけれど。ただ、今私がやっていることはむしろ不思議で、経営学に近いんですよ。経営学の組織文化などにすごく近い話をしている。そういう意味で、ずっと経営学や社会学をやっていたのでは書けなかった、できなかった博論が書けたのかな。
―― 経営学の外にいて、別の手法で作られたものが経営学と結びついたのは面白いですね。ちなみに当時、研究者になろうという思いはありました?
富永 研究者になろうとは、今まで一度も思ったことがないです。友達と一緒にいたいとか、そういった理由だけです。目的が研究者ではなくて、やりたいことの手段として研究や、そのための職として研究者があった。
―― この本のあとがきに「友達とずっと友達でいたいという思いと、家族とずっと家族でいたいという思いが、私に研究を続けさせ、この論文を書かせた」、とあります。この “関係性の維持”に対する気持ちについて聞いてみたいです。
富永 パッとは思い付かないけど……自分は札幌の階層的に高い地域じゃないところの出身で、たとえば進学するたびに友達と話も合わなくなってくるわけです。そういう中で、「差違をどう乗り越えるか」というのがありました。それは無理やり結び付けてしまうと、グローバル化の人間関係に対する、ある種の帰結ですよね。出自が、同じ職業や生き方を確定させるとは限らないということです。
ただ、その中でどうやっていくかというのは、やはりすごく考えていました。毎年会う友達がいたんですけど、お互いのキャリアについて首を突っ込まないのが暗黙の了解で、「変わった自分たち」みたいなものはあまり表に出したくないんです。表層的であれ、つながっている方法みたいなものは考えたいと思っていました。
社会運動に置き換えても、同じようなことが言えるのかなと。G8サミットもその抗議行動も、1年に1回しかないというのがすごく個性的な点なんです。だから、そこでしか会わない人もいる。ただ、多かれ少なかれ、社会運動ってそういうものだと思うんですよね。安保法案反対のために国会前に行ったら、全共闘の頃の友達と会ったというように。やっぱり、ずっと一緒にいるとその人たちって喧嘩してしまうことも多いんですよね。たとえばシェアハウスで暮らしていたりすると。
―― 同じ思想で動いているはずなのに、それはなぜですか?
富永 全部が同じでないと気がすまない、とまでは言わないけれど……。例えば、どういう言葉づかいが適切か、何を食べるかなど日常的なことを考えた時に、それぞれに正しいと思うことが細かく違うから。そう考えると、年に1回とか、3ヶ月に1回デモで交わされる話が、もしかしたら彼らにはちょうど良いのかもしれない。
社会運動に携わる人たちは、人は平等であらねばならない、暴力を用いてはいけない、自然は守らなければいけない、といった各々の「正義」があるから、その度合いや適用範囲をめぐって起こるコンフリクトなのではないかな、と思います。
―― 先ほどおっしゃっていたG8サミット、本書で扱われている事例でもありますが、2008年に北海道の洞爺湖で開催されています。
富永 応援していた方が選挙に破れた現実を見て、これからは社会運動、と思ったんですけど、社会運動の世界はかなり独特だなとも思ったのがG8の時でした。常識的に考えて、「洞爺湖でのG8サミット反対」と普通の人が言っても、中止になるわけがないという現実がある。でもそこに5000人くらいの人が集まって、色々な行動をするわけですよね。それはとても不思議じゃないですか?
それで彼らを見ていくうちに、この人たちはこういう世界を楽しんでいるし、(運動の)成否はどうあれ大切にしたいんだと思いました。現場での付き合いや情報交換、プレステージ争いを含めたもの全てが、G8サミットに抗議する運動だということが分かったんです。それが22歳の自分にとって、とても不思議だったんですよね。G8サミットでの社会運動を経験する前にも、川をきれいにする運動とか、ボランティアみたいなものに触れる経験はあったんですけど、「社会運動」として意識したのはG8サミットの抗議行動がはじめてですね。それを経由したからこそ、身近な市民活動も延長線上にあることがわかったんだと思います。
―― 実際に、富永さんご本人はサミットのデモに参加されたりは?
富永 全く。傍観者ですらありませんでした。少し不思議だなと思っていただけ。けれど、修士課程に進む段階で社会運動論、G8サミットをテーマに研究しようと決めてからは、とても長い付き合いです。(G8サミットをめぐる社会運動に参加した当事者に)インタビューできるような環境が整っていて、ちょうど在籍していた大学院にも間接的に関わったという人がいた。サミット抗議行動そのものを論じた先行研究はあまりなかったんですが、「社会運動論」という分野があったので、なんというか、環境が整備されていた。かつ、居心地がいい居場所として社会運動研究に関わることが可能になって、G8サミットが手放せなくなったということでしょうね。
―― 大学院で東京に出られるわけですが、現在もよく行われているように、当時もデモが活発だったかと思います。そういった東京でのデモ、社会運動についてはどう見られていましたか。
富永 正直に言って、社会運動に関わることは、今でも怖いんです。だから抵抗がありました。でも、その抵抗を手放してしまったらいけないと思っています。一般の人から見ても、社会運動はなんだか怖いものとして見られているケースが多い。おそらく、その抵抗感が良くも悪くも私を支えているので、もし「社会運動をやらなければだめ」と他人に言い始めてしまったら、自分は社会学や、社会運動論に対して貢献できなくなるのかなと。
―― 自分がその内側に入ってしまうと、研究の意義そのものが揺らぐんでしょうね。他の学者さんもそうかもしれません。先行としてある研究でいえば、社会運動は日本で長い歴史を持つので多くあると思うのですが、従来の研究の跡を継ぐという形ではなく、関わった人たちの「日常」に焦点を当てていたり、「サブカルチャー化」という概念を使っているように、今までの研究とは異なる視点から描いています。どういったきっかけから、本書にあるような社会運動に対する問いや仮説は生まれたのでしょうか。
富永 まず日本に限定してお話しすると、社会運動を論じた研究は問題の生じる「場所」に重きが置かれていたと思うんです。住民運動、環境運動などですね。一方で、G8サミット抗議行動は、サミットがたまたま北海道であったので、北海道にいる人が巻き込まれ、東京や大阪、海外にいる人たちが北海道に来たわけです。私自身、国内外と移動していることも多くて、あまり場所に思い入れのある人間ではなくなってきたというのもあり、従来の社会運動論で論じられている「場所」というものから少し離れてみたんです。もうひとつは、「組織」です。従来の社会運動論が対象としていたのはNGOであれNPOであれ、組合であれ、組織的・集合的な行動でしたが、私たちが今「いろはす」を飲んで、ペットボトルを分別するというのも社会運動では? と思いました。そういった、組織に参加できない/していない人たちを論じてみたいという思いがありました。
―― 社会運動って参加する人も多いけど、組織が嫌になって出て行く人も多いですよね。そこで、組織や運動からの「離脱」という考えが、とても重要だなと思いました。
富永 調査の最初の方で知り合った女性と男性がいて、彼らの友達がG8のデモの時に逮捕されてしまうんですよね。その友達はノンポリで、社会運動の初心者だったので、社会運動に逮捕があるとは想像していないわけです。そして、逮捕されてしまったから、その友達を誘った二人も「あいつは危険だ」と周りの人に思われ、周りの人から排除されてしまう。それで、社会運動も怖くなってできなくなってしまいます。逮捕されるのも、逮捕者を出すのも怖くて。そのお話から、こういう人たちは実はたくさんいると思いましたし、そもそも論じられていない。彼らが社会運動の外でも中でも、レッテルを貼られて扱われてしまうのは問題だなと思います。
―― 社会運動からの離脱は、何を示唆しているんでしょうか。
富永 色々な事情があるということはみんな分かっていると思うんです。ひとつのコミュニティになっている以上、抜ける人に対して詮索しないのも優しさかもしれないですよね。そこはもっと難しい問題があるのかもしれないけれども。
―― 初歩的な聞き取り調査の質問ですが、離脱者も含め、インタビュー対象者はどうやって見つけていますか?
富永 本書に出ている人に関しては、基本的には名前が表に出ている人たちなので、それこそメールアドレスも見つけやすいですし、住所を公開している方もいます。そこに手紙を送ったりする場合もある。そして、付き合いが密な世界なので、やはり紹介をすごくしてくれるんですよね。
―― 初対面の相手と話をするとき、個人的には相手がどんな属性の人であれ、怖いと感じてしまいますが、インタビューするうえで心がけていること、または、注意していることはありますか?
富永 これは23歳の私ができて、今の私ができづらくて困っていることなんですけど、「分からないから教えてください」という姿勢です。社会運動に関わったことは無いけれど、関心があるので教えてくださいという態度をとり続けることができたからこの本は書けた。今書けと言われたらたぶん、無理。今は若者の社会運動を調査していますが、やはりそこは大きく違う、難しい点ですね。
―― 今だとスタンスが違ってくる。
富永 前はその人の家とか喫茶店にいってお話を聞いていましたが、今は社会運動をしている学生さんが私の研究室に来てくれるわけですよね。そういう時に、理解しあえない、ではないけれど、世代も何もかも違うので、言葉の使い方が違うということを前提に、話を聞いているのかもしれないですね。あとは、社会運動について教える側になったということもある。
―― 本書で印象的だったのが、やはり「サブカルチャー」というワードです。「社会運動サブカルチャー」という理論的フレームを用いて事例を扱っているわけですが、なぜサブカルチャーだったのでしょう。
富永 カウンターカルチャーとの対比、というのが大きかったです。1970年代くらいにカウンターカルチャーというものが流行って、例えばヒッピーなどですが、それは対抗文化としてまだ、ある目的の下で一枚岩になりえたわけですよね。現代の社会運動にはそういうものがなくて、例えば同じようにフェミニズムという課題に取り組んでいたとしても、世代によって状況はぜんぜん違うし、同じく働く女性でも正規か非正規かといった違いもある。「違い」がどんどん細分化されるから、志をともにする仲間同士ですら、分かり合えなくなっていくときもある。つまり、サブに分化されていく様子というものを、どう表現するかということです。まだまだ議論の余地があると思うんだけれど、「サブカルチャー」という単語が当てはまるのではないかなと思いました。
もう少し噛み砕くと、要するに社会運動は、今までの論者によると、不満や不平によって参加して、強い目的があって、それに共感して集合した人々が合理的な行動をしていく、というものでした。でも、それは違うでしょうと思います。例えば同人サークルとか、バンドマンの集団とかと、同じようなしきたりやこだわり、規範や作法があって、それは目的だけでは説明しえない。しばしば偶発的に生じてしまうしきたりを、目的や理念だけでは説明できないでしょう、と。そこをカバーできるのが、サブカルチャーという概念なのかなと。
―― この研究で、ご自身の課題として残されていたことだと思うんですけど、今後の社会運動サブカルチャーの分化、細分化についてですが、どうみていますか。
富永 この本の元となった博論を書くのと同じ時期くらいに、SEALDsを中心とした現象が起きました。この本を書いたときまで、私は社会運動をやっている人たちが、どこか特殊な経歴を持っている人たちだと思っていたんですね。たとえば生い立ちであるとか、出た学校であるとか。そういったことを考えた時に、政治に無関心だった「普通の人」が運動を始めたというのは、ある意味衝撃的でした。ただ、どこかで、この人たちもコアメンバーはいわゆる普通の人ではない、という確信もあったんです。事実、話を聞いてみるとリベラルな教育を受けていたり、親御さんが社会運動をやっていたりするわけです。
ただ、その人たちの「普通性」みたいなものを、評論家や年長で昔運動をされていた方たちが、こぞって褒めそやした。それはある意味で、すごく問題というか。結局、コアには彼らに固有の家族体験であったり、学校体験などがある。そういった個人的な背景みたいなものもあるにもかかわらず、「社会運動は正義のための運動で、普通の人たちが共感すべきもの」という考え方に覆い隠される。本来は別のところに原因があるかもしれない物事を、外野はなかば都合よく解釈します。それは今回のような運動参加者に対するバッシングに行き着くような気がします。それでやっぱり社会運動はそれまでだとなると、もう過去の社会運動をめぐって起きた出来事と同じですからね。
―― 先ほどもお聞きしましたが、あるコミュニティの「正しさ」から逸脱した人たちを、双方どう見ているのかは非常に気になりました。
富永 悪い、ということじゃないんだけど、これは社会運動論で、組織を外れた人というのは「動員されない人たち」と見なされてしまうわけじゃないですか。戦力外通告ですよね。それは良くないと思いました。やはり、やめた人たちも彼らなりに、例えば前に運動をやっていた人の八百屋さんや雑貨屋さんで、自然に良いアイテムを買ったりだとか、つながり自体はある。ただ、組織だけをみることで、単にやめたやつ、みたいな見方になってしまう。むしろ彼らの世界というよりは、彼らの世界に対するまなざしが、やめた人とやめていない人を断絶させているように見えます。
―― これは個人的な興味ですが、サブカルチャーに引きつけて言うと、さまざまなカルチャーを社会学的想像力を働かせて見るとき、また社会学的な視点で見るときに心がけていることが知りたいなと。
富永 ひとつは、これは研究でもそうですけど、多くの人は自分の目の前にあるものを新しいと論じがちなんですよね。例えば、「SNSは新しい。SNSのある現代社会は、今までにないものなんだ」という言い方をしたりする。それは社会運動でもあって、3.11以降の運動を指して、これだけ社会運動が盛り上がった社会は、戦後日本ではありえない、というものです。でもそれは違っていて、自分の目の前にあるものの新しさを、過度に誇張しないこと。むしろ、ありがちな側面を見ていくというのは大事だと思います。学生さんが、新規性を論じたがる漫画作品で『テルマエ・ロマエ』と『聖☆おにいさん』があるんですが、どちらも確かに新しくて、斬新さで評価されてはいるんだけれど、ある特別な人たちが日本社会と出会って驚くというのは古典的で、今までもあったようなものだよね。
―― アクターが違うだけ。
富永 そう。そして、時代考証が面白いわけですが、時代考証だってたぶんこれまで小説や教科書でなされてきたものだったり、あるいは過去の漫画でやっているようなこともあったりするわけじゃないですか。そういう、ありがちなものほど見て欲しいなと思います。ありがちなものが、どう組み合わさって新しいものを生み出しているかということが、研究にしろ、カルチャーを理解するにしろ、とても重要なことなんじゃないかな。
もうひとつ大切なことがあって、研究でもそうですけど、「好きになりすぎないこと」。好きで良いんだけど、例えば、自分がこれを好きだ、だからこの漫画は新しい、人気がある、売れている、と形を変えて言ってしまうだけのことになりやすい。それは、重要なものを見えなくさせてしまうんじゃないかなと思います。
社会運動のサブカルチャー化
『社会運動のサブカルチャー化 ― G8サミット抗議行動の経験分析』 富永京子
インタビューの副読本
美味しんぼ
『美味しんぼ』 雁屋哲・花咲アキラ社会運動をやっている人のお話を伺うと、家に岩波の『世界』があったりするんですが、そういうリベラルな文化とは縁遠い家庭でした。敢えて言うとすれば父親の愛読書の『美味しんぼ』でしょうか。案外これでリベラルになった人は多いと思います。そうでもないか?
ユートピアだより
『ユートピアだより』 ウィリアム・モリス選挙活動が終わった後は分かりやすく燃え尽きていたんですが、ユートピア文学は特に好きで読んでいました。色々な人が期間限定で集まって、食住を通じて「いま、ここ」を理想の世界にしようという試みは、最近の社会運動の中にも多く見られます。
学問の技法
『学問の技法』 橋本努大学で学ぶといっても何をすればいいかわからない人は多いと思うんですが、橋本先生のご指導は、知識そのものを蓄える喜びをまずはじめに教えてくれる点がとても良かったです。学問をすること自体がきちんとかっこよく見えるところも、さすがです。
ミンガリング・マイクの妄想レコードの世界
『ミンガリング・マイクの妄想レコードの世界 アウトサイダーソウルアート』 ドリ・ハダー音楽家と名乗りつつ、曲を作るわけでもなく、ただ架空の「レコードのジャケット」だけを作ってきた男による「妄想レコード」集。妄想の世界で手繰られる狂気じみた何かは、アートともコメディとも言えない、ただおそろしく豊かな何かです。こういう人生に憧れます。
社会運動という公共空間 ―― 理論と方法のフロンティア
『社会運動という公共空間 ―― 理論と方法のフロンティア』 曽良中清司・長谷川公一・町村敬志・樋口直人編社会運動を読み解くにあたっては色々な理論的アプローチがありますが、多くのアプローチと研究対象が分かりやすく書かれたこの本はとても参考になりました。他にもたくさんの教科書や参考書がありますので、社会運動を研究したい人はぜひ色々手にとってください。
Photographs by Sakie Miura
プロフィール
1986年生まれ。日本学術振興会特別研究員、チューリッヒ大学直接民主主義研究所外部研究員、台湾國立東華大学客員研究員などを経て、現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会運動を中心とした政治参加が、個人の生活とどのように関連しているかを中心に研究している。博士論文を元にした『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)が2016年10月に発売、社会運動に参与する現代の若者を分析した『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)は年内に発売予定。
個人ウェブサイトは kyokotominaga.com
ライターについて
編集者・ライター。平成元年生。神保町か新宿で猫背を見かけたら、だいたい僕か猫です。karasumaoike1989@gmail.com
プロフィール
1986年生まれ。日本学術振興会特別研究員、チューリッヒ大学直接民主主義研究所外部研究員、台湾國立東華大学客員研究員などを経て、現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会運動を中心とした政治参加が、個人の生活とどのように関連しているかを中心に研究している。博士論文を元にした『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)が2016年10月に発売、社会運動に参与する現代の若者を分析した『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)は年内に発売予定。
個人ウェブサイトは kyokotominaga.com