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南東の冬空に 大きな三角形が見えます。
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到着。 まだ暗い。
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まだ、真っ暗ですね。 行ってきます。
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高い芸術性をもっているこの映画は、それ自体に価値があって、何か他の目的のために優れているということではありません。 それでも、戦争体験の継承という重要な使命を果たすことのできる素晴らしい媒体であることには変わりありません。
#この世界の片隅に -
そのどちらでもない道、『日常としてのファンタジー』という回路を使って、観客に戦争を体験させるという全く異なった道をこの映画は選び、成功しています。
#この世界の片隅に -
同情や感情移入(カタルシスを含め)によって涙を通じた戦争体験の継承という道もあります。 戦争の悲惨な実状を克明に描くことで、恐怖や嫌悪による戦争に対する拒絶を伝える道もあります。
#この世界の片隅に -
映画の世界に入り込み、あり得ないファンタジーを現実として受け入れてしまっている観客は、 ファンタジー以上にあり得ない戦争におけるできごとも自分自身の体験として受け入れざるを得なくなっています。
#この世界の片隅に -
空襲が終わりほっとして防空壕から出てきた人々を狙い撃ちにする時限式の投下爆弾も、
#この世界の片隅に -
日本家屋を効率的に焼き払い、火の海にすることで、一人でも多くの民間人を殺すことができるように作られた焼夷弾も、
#この世界の片隅に -
そして映画の終盤。
#この世界の片隅に -
『この世界の片隅に』の感想の続きです。 映画の序盤中盤を経て、現実にはあり得ない化け物や座敷わらしを何の違和感もなく受け入れる心の下地がゆっくりと作られていきます。
#この世界の片隅に -
いったん、おしまいです。 続きはまた今度。
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この映画の芸術としての価値のひとつは、ここにあると思います。
#この世界の片隅に -
感情移入という手法でも、カタルシスという手法でもなく、この映画は観客を映画の世界に誘(いざな)い、映画の世界を観客のいる現実の世界へ重ね合わせ、一つのものとすることに成功しています。
#この世界の片隅に -
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同時にファンタジーとしての映画と観客である私の現実の境界もなくなり、スクリーンの中に広がる世界のどこかに自分がいるという感覚になり始めます。
#この世界の片隅に -
この手法により、『日常としてのファンタジー』と『ファンタジーとしての日常』が共存する世界が現れます。
#この世界の片隅に -
この映画では、現実にはあり得ないようなファンタジーが日常の延長にあるように、 細部にこだわった日常世界が、実はファンタジーのひとつなのかもしれない、と思わせるように、 描かれています。
#この世界の片隅に -
気になる相手のちょっとした仕草が好意の現れに違いないという身近なファンタジーも、ほんとうは事実かもしれない。
#この世界の片隅に
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