資本家は庶民を政治から遠ざけることに成功したという記述をよく見るようになった。
確かにバーニー・サンダースも下層とされる人々が連帯をすることの難しさと希望を述べていた気がする。
自分の通う大学でも、経済や格差の話に爆睡している化粧の勉強しかしていなそうな頭が空っぽな女やらがうじゃうじゃいる。
男も大概そんなやつだ。
この大学がレベルが低いということが理由なのは確かなのだろう。
しかし、それだからこそ格差は考えなければいけないのではないかと思ってしまう。
知り合いが握手券をかき集めていたが、某アイドル集団の『アインシュタインよりディアナ・アグロン』とか言う歌詞は間違いではないのだろう。
性的な価値をいかに高めるかという闘争が結局はいちばん大切なのだ。
政治というので、それは解決できないだろうし何よりも自分の欲求である。
フェミニストっぽい人間が、この歌に激おこしたそうだが、実際そんなものだ。
怒っている人も、「ディアナ・アグロン」になりたくないとは言っていない。
なれたら、黙る。
女子大生を見ていると、その多くはどこまでもセックスすることと公務員試験に受かることくらいしか考えていない。
かつて、日本が戦争を仕掛けて破れたら米兵のペニスをしゃぶった。
当時は女性に参政権がなかったから、悲惨だったという一言で片付けることができるが今は国民主権で男女平等である。
次に戦争を仕掛けて破れても、しゃぶればいいのかもしれない。
あぁ、この女たちには武器があるのだろう。
政治に参加するというのは、充実していない人間という証なのだ。
顔が良ければ、大概は参加しないということなのだ。
ネトウヨちっくな人間も沢山いるし、年を取ってから政治に目覚めたどこまでも他責的な女というのが自分は嫌いである。