マーケットバリューのある人材は「二刀流」 日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏(9)
日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏。普通のサラリーマンだったという同氏は、米国留学を経て3つの会社の経営トップを経験、「プロ経営者」の先駆けとなった。外資系のIT(情報技術)企業のほか、再建の渦中にあったダイエーなど流通大手も率いた。激しく経営環境が変化するなか、リーダーには何が求められるのか。樋口氏の連載9回目は「マーケットバリュー(市場価値)のある人材」について語る。
◇ ◇ ◇
私は5回、転職している。それが多いのかどうかは分からない。しかし現代は、私が勤め人になったころのような転職者をネガティブに評価する時代ではなく、むしろポジティブに評価する時代になっている。
私自身は、自らのマーケットバリューを上げようと転職を繰り返したのではない。砕けて言えば「飽きっぽい」。エネルギーが高くて散歩に出ないとストレスがたまってしまう犬のように、ある程度勉強しきると「次なる目標」を設定して挑みたくなる“性”がある。
逆にプロ経営者として採用する側に立った経験から、どのような人材がマーケットバリューが高いのかについては感じるものが多い。
■IBMのスマートさに魅せられて
履歴書風に書けば私は、大学を出て松下電器産業(現パナソニック)に入り、溶接機事業部という辞令を受けとると二度と離してもらえないようなベタな部門に配属になった。
そこでも一生懸命に勉強したり、特許を出願したりもして実績を示し、やっとの思いでIBMのマルチステーションをOEM(相手先ブランドによる生産)で開発する部署への異動が認められた。
ここでIBMから来ている人たちのスマートな会議術や発想に魅せられ、ハーバード大学経営大学院に入学。卒業後は、松下で映画ソフトの活用策を練る部署に配属になったが、これが窮屈でしようがなかった。経営学修士(MBA)課程で学んだことがさっぱり生かされないのである。そこでボストンコンサルティング・グループ(BCG)に転職した。
コンサルタントを3年やったが、直接、実業を担いたいという思いは抗しがたくアップルコンピュータ(日本)に入社。アップルのパソコン「マッキントッシュ」互換機の開発を担う部長に就任した。しかし当時のアップルはどん詰まり感に満ちていて、コンパックコンピュータに転じてコンシューマPC(パソコン)事業の立て直しに取り組んだ。コンパックは2002年にヒューレット・パッカード(HP)と合併して新生HPとなり、私は翌年に日本法人の社長に就任した。
2年後にはダイエーの社長に転じ、さらに2年後にはマイクロソフト(現日本マイクロソフト)に代表執行役兼最高執行責任者(COO)として入社し、08年に代表執行役社長、そして15年に会長に就任した。
■キャリアは単なる知識やスキルの積み重ねではない
振り返ると20歳代や30歳代の初頭は、キャリアとは知識でありスキルだと思い込んでいた。しかし30歳代の後半になると(ちょうどアップルに入社したころは)経営に一歩近くなり、「どうやって人をマネジメントするか」「どうやって他の部署を巻き込むか」「お客さま対応をどうするか」、さらには「上司は尊敬できるか」など関心と課題に「人」が介在し、広がりが出始めてきた。
その期待に当時のアップルは応えられず、転職を決意するのだが、以後の経験からは「キャリは単なる知識やスキルの積み重ねではなく、マネジメントに集約されていくのではないか」という思いが確信になってきた。
もう一つ振り返って感じるのは、松下電器とダイエーという「ドメスティックな企業」と、外資系というまったく異なる風土を持つ企業群の両方を経験できたことによって、私自身のマネジメント論の基礎的な発想ができていることだ。
■企業経営は「二刀流」でなくてはならない
ちょっとおこがましいかもしれないが、日本HPや日本マイクロソフトの社長として業績回復をリードできたのも、その発想による。つまり日本における企業経営では「二刀流」でなくてはならない、ということだ。
例えばダイエーでは数々のリストラ策が実行されていたが、現場はすでに“リストラ疲れ”で疲弊しており、再建の妙手を見いだせないでいた。こうした状況下では、トップとしての意志を明確にして一人でも多くの従業員に共有してもらう愚直な行動しか手は残されていなかった。だから浪花節しかできないし、そもそもマネジメントの根幹は従業員の生きがいをいかに創造するかにあると思っていたので必然的に浪花節にもなった。
外資系企業では、日本法人の社長は優れた業績を出して本社に貢献するのが使命である。だが、日本のお客さまにものを売るには、ものすごく日本的な営業力、つまり人間同士としての親密さや信頼を醸成した上でのウェットな関係や、そこに至るまでの情熱、そして営業力が求められる。
一方で、本社とのやり取りや連携はきっちりとやっていかなければならず、そこは非常にアメリカナイズされたロジカルでタフネゴシエイトの世界である。しかも米国にしろ欧州にしろ非常にタフなトップが多いので、日本法人のトップもタフなやり取りができなくてはならない。
現地法人の運営でも同じことがいえる。外資系といえども日本法人は、日本文化のウエットな部分を抱え込んでおり、現場の気持ちを忖度(そんたく)しながら変革しないとうまくいかない。破壊と創造で大胆な再建を図ろうとしても、日本では破壊後の人や組織のあり方を丁寧に練り上げないと改革は実を結ばない。それでいてウエットなところばかりに振り回されているとシャープな実行力は出てこない。
■日本のウエットと欧米流のタフさの「二刀流」
つまり日本人に受け入れられるキャラクターや営業力と、真逆のアメリカ人に受け入れられるキャラクターやタフさの両方を持ち合わせていなければ、日本法人の成績は上げられないのだ。
「日本のウエットと欧米流のタフさ」という意味での「二刀流」。この両面能力は、現在の日本企業がグローバル化を背景にして取り組まなければならない経営改革にそのまま通じるものであり、両面能力を備えたリーダーを育てるか招へいするかしなければ新たな経営体制に脱皮できないのではないか。
「二刀流」は、もう一つ違う側面からも必要とされている能力だと思う。組織の外部的なものと内部的な能力という意味である。
日本的なウエットさと欧米流のタフさの両方の能力を身につけるには、まずは自分の器をものすごく大きくする努力をしなければならない。両方が一つの体の中で共存できるほどの“帯域幅”がないとできない。
■マネジャーはルーターのようなものである
私は、「たくさんの部下を持つマネジャーはルーターのようなものである」と思う。コンピューターやパソコンの周辺機器をつないでいるルーターは、帯域幅が狭く、伝送スピードが遅いとデータのやり取りがすぐに遅滞してしまう。同じようにマネジャーの帯域幅が狭ければ、部下から入ってきた情報はすぐに滞留するし、処理が進まない。つまりマネジャーになるとは、かなりハイスピードで帯域幅の広いルーターになるのと同じだ。
どうしたら「帯域幅の広い高速ルーター」になれるのか。私に先天的な能力があったのではない。偶然にも若いときから、二刀流にならざるを得ない経験が重なったからだけである。帯域幅を広げるのは、窮屈なシャツを筋肉の成長だけで破っていくようなもので、それは意識しなければできないことでもあった。
これは本当に若いうちに両方の文化を体験しなければ身につかず、中高年になって気がついても感性や発想がすでにどちらか一方になっていれば「トゥーレイト」である。誰もが実感できることだろう。
■孤高の遊軍兵はいらない
マイクロソフトには、「組織のブループリント」と呼ばれるものがある。それぞれの部署・部門について組織としてのあるべき姿が想定され、スタッフやマネジャーに求められる資質や職能も記されている。そのなかに、「ある程度、位が高くありながら部下がいないことはあり得ない」という趣旨の規定がある。
位が高ければきちんと部下を持ち、ビジネスと部下をマネジメントできなければマネジャーではないという意味だ。孤高の遊軍兵はいらない、ということでもある。
人とのリレーションシップも上手で、取引先からの評判もよい。社外人脈も厚く、尊敬もされている。だとしても組織長、マネジャーになったときに帯域幅の広いルーターとしての能力や俊敏性を持ち得ないのであれば、ブループリントでは、その人をキープする余裕はないとされる。
したがって外部とのいろいろなリレーションシップにたけていることと、内部のハイスピードな俊敏性の高いオペレーションとを両立できている状態を保ち続けなければならない。その意味でも「二刀流」の能力が求められている。
■スキルはマネジメント能力に集約される
スキルはマネジメント能力に集約されていくし、集約されないのであればマネジメントする立場にはなれない。日本的なものと欧米的なもの、外部的なものと内部的なもの。スキルを、常に両面に対応できる二刀流のマネジメント能力へと昇華するような努力をし、実際に身につけているか。
人材のマーケットバリューとは、まずこの点で評価される。次回は、20歳代から30歳代の人たちが、スキルをいかにマネジメントへと拡張していくかについて触れたいと思う。
樋口泰行氏(ひぐち・やすゆき)
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。
(撮影:有光浩治)
「プロ経営者が語る変革のリーダー」は原則、隔週水曜日に掲載します。
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