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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

条件付きなら精神的苦痛からの安楽死制度を認めていいと思うんだ

医学 広告不要

日本における安楽死について

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どうも、ぜーたです。今日は知識というより、絶対的な答えがない問題を提唱します。

ずばり、

安楽死制度は賛成か反対か

というもの。コメ欄荒れそうですねー

ですが、その前に背景知識とか私の立場とかを明確にしておきます。その後はご自由にどうぞ。友人にケンカ話題を吹っかけてみるなり、自分の中で考えて消化するなり、本を読んでみるなり……

私は皆さんが考えるキッカケを作れたら幸いです。ガチ議論吹っかけてきてもかまいませんが、あくまで理性的にお願いします。

安楽死とは?

ニュースなどでよく聞く安楽死ですが、意外とはっきりした定義は知られてないんですね。それもそのはず、国際的にちゃんとした安楽死の定義が定められていないから。

ですが、一般的に(言い換えるなら辞書に載っている意味で)は、

 

回復の見込みがなく、苦痛の激しい病人を、本人の依頼または承諾のもとに人為的に死なせること。

 

 

とあります(デジタル大辞泉より)。

つまり、安楽死のためには三つ条件がいるようですね。

1つ目に「回復の見込みがないこと」

2つ目に「苦痛が激しいこと」

3つ目に「本人の依頼が必要なこと」

ですがこれではまだ不十分と考えられます。

安楽死には二つ種類があり、一つが積極的安楽死、もう一つが消極的安楽死。この二つはそもそも違うものだからです。

積極的安楽死と消極的安楽死の違い

その二つの違いをわかりやすく説明するとすれば、

積極的安楽死は「患者を死なせてあげるために何かを行うこと」、

消極的安楽死は「患者を死なせてあげるために治療を行わないこと」ですかね。

例えるなら、痛みの激しい末期ガンの患者がいたとします。彼(彼女)は激しい苦痛を訴え、治る見込みがないのだからどうにかしてくれ、と頼みます。

そして医者が言うセリフにより、どちらの安楽死かが決まります。

「抗がん剤で治療を続けることも可能ですが、もしあなたが望むのであれば、お薬を打って楽になることもできますよ」

これが積極的安楽死。それに対し、

「抗がん剤で治療を続けることも可能ですが、副作用も激しいですから、何も行わない、という手もありますよ」

これが消極的安楽死。(もしかすると患者に意識がない場合、家族に聞くこともあるかもしれません)

今の日本では消極的安楽死のような方法は取られていますが、積極的安楽死は犯罪になってしまいます。※

 

※ 消極的安楽死も厳密にいえば犯罪です。医者が患者を「殺そうとした」という判定が出ないのは患者が延命治療を拒否した場合のみであり、患者に何も伝えずに放置した場合はやはり犯罪になってしまうようです。

 

実際の例としては東海大学安楽死事件なんかが有名です。

ここに勤めるお医者さんが、家族の「もう見ているのが辛いから治療を中止してやってくれ」という意見でカテーテルなどを取り外した後、

家族の「楽にしてやってくれ」の声で、塩化カリウムという物質を注射して患者を殺しました。

この「殺しました」が本当に殺しましたにあたるのかがこの事件の焦点になったわけですが、最終的にこのお医者さんは殺人罪で有罪になりました

まず問題は、積極的安楽死の定義に

「患者の承知」を含めるかどうか。

今回の事件では患者は寝たきりであり、あくまで医者は家族の指示に従ったにすぎません。これを安楽死としていいのか。

また、患者が痛みに苦しんでいたかどうか確認がとれず、その面でもやはり安楽死なのかどうかがわからない。

いわば、定義があいまいなせいで彼は犠牲になってしまった(というと、殺人をほう助してるように見えますが、そういうわけではないですよ)のですね。

患者や家族の苦しむ姿と、自らの医療倫理の狭間で悩んだことでしょう。見てられないですね。

自殺ほう助と安楽死

 日本臨床倫理学会のHPによれば、

 

安楽死が、行為主体として他人が関与するのに対して、自殺幇助は、その時点で意思能力のある患者本人が関与します。患者は、例えば処方された薬物、あるいは毒物、あるいは他の行為によって自分の命を絶ちます。

 つまり、安楽死というのはお医者さんが注射をしたりして患者の命を絶つのに対し、

自殺ほう助は医者に処方された毒薬を自分で飲んだりして自殺することだそうです。日本では今どちらも禁止されています。ですから、患者や家族からの頼みといえど、毒薬を打ったり毒薬を処方したりというのはできないんですね。

で、巷では医療関係者にとってこの状況は非常に苦しいといわれてます。なぜなら、自分は患者を楽にしてあげたいのに、法整備が追い付いておらずそれができないという現状があるから。(想像したらとても苦しそうですね……)

 

と、いうのが本来の安楽死です。

つまりここまでは序盤。前提条件。ここから私の説ですよ。

 

ずばり、

心の病気で悩む人も楽にしよう!

というもの。

新しい安楽死

これまでの安楽死はあくまで「身体の病気」によるものでしか使えないという話でした。しかし実際にはたくさんの人が「心の病気」によって自ら命を絶っています。彼らのための安楽死制度があればいいのではないでしょうか?

日本の自殺者数は公開されているだけでも3万人。本当はもっと多いのです。

彼らの中には悲惨な最期を遂げるものもいます。(あまり言いたくないのでお察しください)

でも、もし安楽死制度があって、彼らが周りに迷惑をかけずに死ぬことができたとしたら……それはきっと互いにとっていいものだと思うんです。

繰り返し言います。私は決して、

生きていけない心の病気の人は生きちゃだめ

と言っているのではありません。

学校になじめずに病んできた人を何人も見ていて、

 

彼らは生きていて幸せなのかなぁ

無理やり生かしておくことが本当に道徳的なのかなぁ

と思ったまでです。

むしろ、私の体験談という形になりますが、

いつでも自分は旅立てるのだ

なんて思っていたほうが、生きやすかったりするんです。私も病んでた時期がありましたから。

 

だからこうしませんか?

 

心の病気でも、

一定の条件を満たせば安楽死を認めてやろう

と。

 

新しい安楽死とその方法

まず、安楽死の定義を明確にする。具体的には、

「身体的・精神的苦痛を伴う人生を送っている」という自己申告があった人が受けられる制度。ただし、本人の意識がない場合は家族・親族の申告により受けることができる

なぜ家族・親族の申告による安楽死も可能なのか?それは、東海大学安楽死事件のような事件を起こさせないようにするためです。予め別人からの申告も可能にしておきます。

これに伴い、まずは法整備を行っていきます。安楽死とは何たるかを法律によって指定しておくのです。そして、医者を守ります。

  • 「安楽死」を実施する者は殺人罪や自殺関与・同意殺人罪に当てはまらない。

ただし、医者の中に悪いものが紛れ込んでいる可能性は否めないので、

  • 本人の意識がある場合でも、家族に安楽死の旨を伝え、家族の了承を得なければならない(患者と医者の密談では無効になるため、医者は患者を口車に乗せても意味はない)。患者は安楽死を望むが家族が望まないような場合は、患者・家族・医者の話し合いによって決定する

また、(いないことを信じたいですが)患者が安楽死を認められた瞬間に犯罪に走ったり金を借り逃げしたりしないよう、

  • 安楽死が承認されてから犯罪を犯したり金を借りたりした場合、承認は無効になる(マイナンバーとやらで管理できそう)

ただし、あんまり金がないけど安楽死がしたい という人もいるだろうから、

  • 国から一定の保障費を出す

とする。

ついでに、安楽死を定義してしまうと、その抜け道を突いた殺人や遺産相続問題が起こり得るので、

  • 必ず医者が安楽死の意志を確認する(「患者が安楽死したいって言ってましたよ」という家族親族からの伝言は無効とみなす)
  • 正式な遺書によって遺産のありかを指定してから安楽死する

また、突発的感情により安楽死を望む人が出ないとも限らないので、

  • 数か月の冷却期間を設け、なお安楽死を望む者にのみ承認を出す

最後に、

  • 承認が降りてからいつ旅立つかは本人の自由にさせる

これをもっと発展させれば、いずれ

今は健康だけどそのうちぼけてしまうのが怖いので、今のうちに旅立っておこうかな

なんて人も出てくるはずです。それをどうするかはまた別の話。(私は家族と本人の同意があればやっていいと思います)

 

このようにしてやれば、悲惨な最期を遂げる人も少なくなると思うのですが……

精神的な病気を患う人だって、薬漬けになってしまうのと、早めに自分で旅立ちを選ぶのと、どちらが幸せなんでしょうね。結局なったことがないのでわかりませんが。

もちろん、私一人の意見ですから穴だらけです。

でも、こういう風にニュースの題材について、自分で発展させることもできるんだ、ということはとりあえず伝えておきます。

大事なのは考えることであり、「何も行動しないんだから結局駄目じゃないか」という人もいるでしょうが、それでも考えないよりはましだと思います。

 

最後に。こういう記事みつけました。どう考えますか?

jp.sputniknews.com