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白谷仁子
白谷仁子

愛日の冬苔に。。。

2016年12月03日

 白谷仁子 at 08:41  | Comments(0) | 私。。。
語るもなく
望むもなく
抱きとめた葉の朽ちるまで
露をふくんた冬苔は
その身を隠す雪を待ち
ただ愛日を受けとめる







ポツンと居住まう地蔵さま
その小さな御姿に
どれほと多くのおもいを背負うのか








語るもなく
望むもなく
ただ一途に手を合わせよと
地蔵さまは冬苔に
愛日の笑みを撒く


  


コンサート『SONNET〜ひとり芝居』を終えて。。。

2016年11月28日

 白谷仁子 at 17:31  | Comments(1) | コンサート

夢みたものは ひとつの幸福
   ねがったものは ひとつの愛





昨日、
コンサート『SONNET〜ひとり芝居』を終えた。
一部は、優しき歌」(柴田南雄 曲)と、解説・詩の朗読。
「優しき歌」は、もう何年も歌っていたけれど、コンサートで歌うのは初めて。

ただひたすら言葉を追いかけて歌い、語った、幸せな時を過ごしました。。。



SONNET〜ひとり芝居 プログラム

一部
『優しき歌』 立原道造 詩/柴田南雄 曲
序の歌
爽やかな五月に
落葉林で
(朗読)また落葉林で
(朗読)朝に
(朗読)また昼に
さびしき野辺
夢のあと
(朗読)午後に
(朗読)夢みたものは
樹木の影に










二部は、立原道造と同時代をいきた詩人、中原中也の詩「汚れつちまつた悲しみに」の朗読から。
道造の世界とは、一見対照的に思える中也の詩。
けれど、2人の詩人から受けるインスピレーションは、音楽に満ちあふれている。


二部
(朗読)汚れっちまった悲しみに 中原中也
サーカス 中原中也 詩/清水修 曲
ランボー詩集から
(朗読)涙あふるる我が心 ポール・ヴェルレーヌ(堀口大学 訳)
Spleen(憂鬱) ポール・ヴェルレーヌ / ガブリエル・フォーレ

(朗読)『みちこ』から 「みちこ」 中原中也
A Clymnene (クリメーヌに) ポール・ヴェルレーヌ / ガブリエル・フォーレ
・・・・・・・・・・・
(朗読)日曜日 立原道造
月の光に与えて 立原道造 詩/木下牧子 曲
夢みたものは 立原道造 詩/木下牧子 曲









フランス文学に傾倒していた中也の詩は、フランスの詩人 ヴェルレーヌを世界観をも思わせる・・・








コンサートを締めくくるのは、私の大好きな「夢みたものは」。


夢みたものは ひとつの愛
   ねがったものは ひとつの幸福


それらはすべてここに ある と

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コンサート『SONNET〜ひとり芝居』プログラム詩集。。。

2016年11月25日

 白谷仁子 at 22:37  | Comments(0) | コンサート
足元の冷たさが、冬の訪れを予感させた昨日の朝。
周りの景色を楽しみつつも、季節の移り変わりの早さに、心はおいてきぼりになったような寂しい気持ちになるときがあります。
でもそれは、小さな出会いも、大きな出逢いも、偶然ということばで終わらせたくない・・・そんな自分を大切にしたくなる時でもあるのです。

コンサート『SONNET〜ひとり芝居』を終えると、じきに景色は色を変え、冬支度を始めるでしょう。








今回のコンサートは、私がずっと温めてきた思いがいっぱい詰まっています。
立原道造の詩を知ったのは、歌がきっかけでした。
東京の立原道造記念館が閉館したのをきっかけに、私はそばに道造の詩集を置くようになりました。
そして詩を読む毎に、歌や音楽に限らず、私の中の全てのものが網の目のように少しずつ繋がっていったのです。

その想いを込めて作ったプログラムPhoto詩集。
私の想いが詰まっている一冊。。。
コンサート会場で是非、手に取ってください。






『SONNET〜ひとり芝居』。
明後日27日、朗読と歌で心を込めて。。。

会場でお会い出来るのを楽しみにしています。






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晩秋のホールにて、立原道造の詩に。。。

2016年11月16日

 白谷仁子 at 18:00  | Comments(0) | コンサート | 私。。。 | 


湖が穏やかな秋の色をしめし、
巨大な建物は聖地のように静まりかえる。
時折ヤマモモの下を通り過ぎる、
落ち着いた大人の人影が、
やけに似合って見えるの日は、
その空間の残る、様々な音楽の余韻たちが、
いっせいに歌い出すからだろう。。。




《びわ湖ホール 屋上テラスにて》





晩秋

あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午後には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いている
人どほりのすくない 裏道を

雲鳥を高く飛ばせている
落葉をかなしく舞はせてゐる
あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
おまへは 限りなくつつましくあるがいい

おまへが 友を呼ばうと 拒まうと
おまへは 永久孤独に 飢ゑているであらう
行くがいい けふの落日のときまで

すくなかったいくつもの風景たちが
おまへの歩みを ささへるであらう
おまへは そして 自分を護りながら泣くであらう
             立原道造





前を向いてばかりはいられない時がある。
思いきり弱い人になっても良いときが、人にはあると思う。
そんな時もなければ、自分の歩みをささえるものを見つけることなど出来ないとおもうから。

そんな時もなければ、限りなくつつましくあろうとする自分には、
出会えないと思うから。。。






歌と朗読で送るコンサート「SONNET〜ひとり芝居」
2016年11月27日(日)
午後2時半開演(2時開場)
びわ湖ホール 小ホール

http://otohitosato.shiga-saku.net/e1284861.html









  


ハーベスト・セラピーのすすめ。。。

2016年11月06日

 白谷仁子 at 20:41  | Comments(0) | 私。。。 | 園芸 | 

植物は、開花時期・収穫時期を私達人間の都合には合わせてくれない。
「ちょっと待って」がきかないから、だからこそ人は夢中になれるのかもしれない。

ハーベスト・セラピー。。。

実りを神秘を見て触り、自分の手で収穫する時、
植物から命をもらって生きている私達の身体の中で、
パチン、パチンと何かが弾ける音がする。



《11月6日収穫のオリーブ》





庭のオリーブが、今年は昨年に増してたくさんの実をつけた。
粒も昨年よりも二まわりほど大きく、良く熟している。
まだ青く堅い実だけ残し、今日、収穫することにした。



《完熟の実を2.5㎏収穫》



《収穫した分と同じくらい、まだ青い実がなっている。》





青い実を残し、熟した実を2.5㎏収穫。
昨年は収穫が少なかったので、全部塩漬けにした。

2015 ブログ音人里 幸せの実「オリーブ」
http://otohitosato.shiga-saku.net/e1199376.html




今年は、ほんの一滴でも良いから「オリーブオイル」をとりたかった。
実を洗って、潰して、揉んで、ろ過して・・・
2.5㎏のオリーブの実からとれる果汁は1200cc。
そこからとれるオイルは1割ほど。。。







一粒のオリーブからとれる、1滴にも満たないほどのオイルに、
私は愛おしさと感謝を感じる。

夏にがんばりすぎた人に、ハーベスト・セラピーを。。。









  


『SONNET〜ひとり芝居』 唄。。。

2016年11月03日

 白谷仁子 at 21:14  | Comments(0) | コンサート | 私。。。 | 


音楽は大きな海のよう。
果ての見えない時間・空間との戦いの連続だ。
同時に、チャレンジする限り、
無限の可能性を与えてくれる世界なのだ。








   唄

裸の小鳥と月あかり
郵便切手とうろこ雲
引出しの中にかたつむり
影の上にはふうりんさう

太陽と彼の帆前船
黒ん坊と彼の洋燈
昔の絵の中に薔薇の花

僕は ひとりで
夜が ひろがる

立原道造『日曜日』より(昭和8年)




立原道造の詩を読むとき、音楽の流れを感じずにはいられない。
それは言葉のリズムの調和という単純なことでなく、
背景と被写体が純粋に存在している様子を、言葉からすぐさま受け取ることが出来るからだ思う。

詩集『日曜日』に二度見られる、「郵便切手」(「唄」「愛情」)の文字が、私には心に優しく響いてならない。
昭和8年、まだ高校生だった立原道造は、これからの自身の未来に何をみていたのだろう。
自分の中の「言葉」に、どれくらい無限の可能性を秘めていたのだろう。
瑞々しすぎるほどの言葉一つ一つに、
私の心も、高校生にもどっていく。。。
帰っていく。。。






  


美しい食事。。。

2016年10月28日

 白谷仁子 at 21:09  | Comments(0) | 食べ物 | 
食べること・・・
それはもしかしたら、
私が考えているよりも、
もっともっと崇高で、尊いことなのかもしれない。









   午後に

さびしい足拍子を踏んで
山羊やぎは しづかに 草を 食べてゐる
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だらう!

私の飢ゑは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつとさびしく ふるへてゐる
私のおかした あやまちと いつはりのために

おだやかな獣の瞳に うつつた
空の色を 見るがいい!

〈私には 何が ある?
〈私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる

    立原道造『優しき歌』より










食べる力さえ出ないときが、誰にもある。
そんな時は、食べ物にお返しをするといい。
土に触れて、ドロドロになって、葉っぱの匂いを胸一杯に吸って・・・
私達の口に入るまで、どれだけ長い旅をしなくてはいけないのかを、
食べ物たちにちゃんと聞いてあげるといい。

そして、うんと誉めてあげるといい。
美しいその姿を、うんと、うんと誉めてあげるといい。。。






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じっと見て下さい。。。

2016年10月25日

 白谷仁子 at 20:49  | Comments(0) | 私。。。


じっと見て下さい。。。

華やかな薔薇や優美なユリにのような、甘い香りは感じないけれど、
素朴なこのエケベリアの真ん中に、あなたは何が見えますか?


昨日の出来事?
ついさっきのmailの相手?
ずっと昔々の、幼い日の思い出?

しばらくの間、ただじっと見て下さい。
何か大事なものが見えてくるかもしれません。



《エケベリア 花言葉「風雅な人」》





私には、なんにも見えません。
ただ、このエケベリアの真ん中の、
ずっと奥の奥に、心に吹きかかる何かを感じます。

歌でもなく、言葉でもなく・・・
静かな、懐かしい香りの温かい吐息を、
心のずっと奥に感じ続けるのです。。。



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私の一日よ。。。

2016年10月24日

 白谷仁子 at 15:48  | Comments(0) | 私。。。 | 

一日は短い。
その短い中に、誰もがいっぱいの自分を詰め込もうとする。
もうダメだと思いながらも、いっぱいの自分を詰め込もうとする。

だけれど、
自分の一生を大きな一日だとしたら、
そこにあるのは、心の中の、本当に大切なただ一つのもの。

綺麗なものを見せてあげたい。
美味しいものを食べさせてあげたい。
そっと抱きしめてあげたい。。。

裸の自分にとって、
それ以上に大切なものなどありはしない。

どんな時も
それさえ見失わなければ、
苦しさとか悲しみは
うんと減るはずだ。。。

私には、道造の詩が、いつもそう言っているように思える。








夕映えの中に

私はいま夕映えの中に立つて
あたらしい希望だけを持つて
おまえのまはりをめぐってゐる
不思議な とほい人生よ おまへの・・・・・

だかしかしそれはやがて近く
私らのうへに花咲くだらう と
私はいまは身をふるはせて
あちらの あちらの方を見てゐる

しづかだつた それゆゑ力なかつた
昨日の そして今日の 私の一日よ
心にもなく化粧する夕映えに飾られて

夜が火花を身のまはりに散らすとき
私は夢をわすれるだらう しかし
夢は私を抱くだらう

 1938年 8〜9月
 立原道造『優しき歌』と同時期の作品
  


立原道造の詩と私。。。

2016年10月21日

 白谷仁子 at 23:03  | Comments(0) | コンサート | 私。。。 | 

「私、恋しちゃいました!」
数年前、思春期の少女のように頬を染めた朗読教室の生徒さんの言葉に、私も思わず頬を染めた。

昭和十年代、今とは全く違った世の中で、これほど透明な言葉の世界を織りなした詩人に、今もなお、恋する人は絶えない。。。







JR山手線日暮里駅から5分。谷中墓地を通り抜けたところに、その詩人が眠る多宝院がある。








戒名「温恭院紫雲道範清信士」。
立原道造が亡くなって77年になる。








私が立原道造の詩に出会ったのは、声楽を学び始めて間もない頃。
歌を通してだった。
音楽のような言葉に、若かった私はとても惹かれた。

いつか、その詩を心から歌いたいと願う日が来たら、
きっと、形のあるコンサートにしようと思っていた。







墓前に、居心地良さそうに染井吉野の落葉が一枚。

軽井沢高原の植物をこよなく愛した立原道造は、今日も色とりどりの折り鶴と共に、東京の空から浅間山麓の大自然を見つめているのだろう。。。