きょうは何の日
1975年(昭和50年)2月16日「ロックシンガー相川七瀬が生まれた日」
1975年(昭和50年)2月16日「ロックシンガー相川七瀬が生まれた日」
大阪府出身。幼い頃はおばあちゃん子だった。お話し好きの母に無口だけれども頼りがいのある父。そんな両親に育てられた相川は引っ込み思案でおとなしい女の子だった。しかし歌を歌う時だけは違った。
最初に歌ったのは幼稚園のバスの中。その時歌ったのが西城秀樹さんの「ヤングマン」だった。「歌っているときだけは自分を表現できる」。相川はいつか歌手になりたいと夢を持った。夢に胸を膨らませた中学生時代。しかしこの頃両親の離婚。相川は人に伝えられないもどかしい思いを詞や日記に書き続けていた。
15歳の時、歌手のオーディションに応募。最終審査には残ったものの結果は不合格。しかし相川の隠れた才能に目をつけた男がいた。それは当時ZARDやTUBEに楽曲を提供し注目されていたシンガーソングライターの織田哲郎。不器用ながらも、歌で自分を目一杯表現する彼女にロックシンガーとしての才能を感じた織田は、相川をスカウト。そして織田は相川に詞を書く事をすすめる。歌でしか自分を出せない相川に表現する場を与えたかったのだ。高校2年生で学校を中退し後に上京。ボイス・トレーニングに励んだ。
1995年、20歳の時に織田哲郎プロデュース、「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。CMソングにも起用され大ヒット。日本のロック界の歌姫と称された。
そして翌年この曲で第47回NHK紅白歌合戦に出場。「LIKE A HARD RAIN」「恋心」「Sweet Emotion」など相川は休む事無く新曲を次々に発表。相川は今の気持ちを詩にし続けた。そしてデビューから1年10か月で、日本武道館コンサートを行ない一躍トップアーティストへと登りつめていく。
2001年、26歳で会社員の男性と結婚。その年に、男の子を出産。家族を持ち新たな気持ちで音楽に取り組めるようになったという。
この頃から相川は表現する場所を広げていく。子どもを生んだ自身の経験を踏まえ絵本を出版。相川は歌では伝えきれない思いを表現した。
そして2005年には日本テレビのドラマ「87%」に出演。相川は2人の子どもを育てながら、現在もライフワークであるロックを歌い続けている。そこには長年、自分を苦しめた孤独感から解放された以前とは違う相川の姿がある。かつて、引っ込み思案だった少女は自分自身に打ち勝ち、やがてタフな女性へと成長した。今年でデビュー15周年を迎える相川七瀬。彼女は、今日も歌を通して人々に元気を送り続ける。