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創価学会の悲劇は本部職員という聖職者が本来は信心のプロでなければおかしいにもかかわらず、信心のプロが先生しかいない所ではないか?
題目、折伏、御書、先生の御指導
どこをとっても、普通に仕事をしている会員の上をいく努力をしているのが聖職者たる本部職員でなければならない
3人で、修行していた
順番に家事をしながら修行していたが、修行がなかなか進まない
1人が家事を専念することになる
他の2人が修行に専念し、悟りを得たら交代することにした話がある
本部職員というのは修行に専念している人
信心のプロのハズ
信心のプロの話を聞きたい!と会員が殺到する幹部はいるのだろうか?
12.4 聖教 名字の言
「歌ひとつ、口ひとつでそれだけの人間の心を掴むことができる
学会もそれくらい力がある人材が欲しいものだ」
「先生がいらっしゃる」となるとどれほど大勢の人が集まるのだろうか?
10万人?
100万以上?
時間、交通費をかけても「この幹部の話を聞きたい!」と思う信心のプロはいるのだろうか?
創価学会は在家教団
本来職員は不要だと思う
職員は会員の「扶養家族」
扶養家族が贅沢三昧では家計は破綻する
扶養家族は少数精鋭にして貰いたいものである
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