アピタル・高山義浩
2016年12月4日15時32分
12月1日は世界エイズデーでした。その前後はエイズウィークと呼ばれ、これに合わせて各地でエイズ関連イベントが開催されています。
ここで、ちょっと復習です。
エイズとは、後天性免疫不全症候群(Acquired Immune Deficiency Syndrome)の頭文字をとったもので、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染して、数年間を経て発症する致死的の疾患です。ただし、いまは治療薬が開発されており、ウイルスの増殖を抑え込むことができるようになりました。現時点で根治させる(ウイルスを排除する)ことは不可能ですが、感染していても長期にわたって生存することが可能となっています。
HIV感染症の存在が認知されたのは約30年前にすぎません。しかし、ヒトへの感染を繰り返すようになり、ヒトの免疫による相互作用によって、現在、多様なウイルス株が流行する状況になっています。そして、落ち着くことなく変異と選択が繰り返されており、将来的にHIVが徐々に弱毒化していくのか、あるいは強毒化していくのかが注目されているところです。
現在、世界では、毎年あらたに200万人以上がHIVに感染し、150万人以上がエイズを含む関連する疾患で死亡しているものと考えられています。そして、HIV感染者数は3,500万人を超えて増加の一途であり、とくに、その約7割を占めるアフリカ地域での感染拡大は深刻な状況です。
日本国内における感染者数も年々増加しています。エイズ動向委員会の報告によると、2014年の1年間に届け出られた新規報告件数は1,434件で、これまでの累積報告数は25,995件となっています。とくに、新たに感染が判明した人のうち3割もがエイズ発症までHIV感染に気付けなかった人だったことから、日本では早期発見ができておらず、これらの報告数は氷山の一角にすぎないと考えられています。
世界でも、日本でも、まだまだエイズのために私たちが取り組まなければならないことは沢山あります。治療薬が開発されたとはいえ、完治はできませんし、それどころか薬剤耐性の問題が深刻になりはじめています。
ただ一方で、エイズの負の側面ばかりでなく、私たちが、エイズからもらたされたものにも目を向けておきたいと思います。人類社会は、ほんとにエイズから多くのことを学んだのです(とても傷つきもしたんですが・・・)。
たとえば、私たち医療者にとって、スタンダード・プリコーション(標準予防策)という重要な概念がありますが、これはもともとエイズパニックの時に「すべての患者がHIVに感染していたとしても、安全に医療を継続するための感染対策」(ユニバーサル・プリコーション)として米国で普及したのがきっかけでした。おかげで私たち医療者は、患者さんに対して疑心暗鬼になったり、見た目で患者さんを選別したりすることなく、公平に医療を続けることができるようになりました。
しかし、エイズが私たち社会にもたらした功績は、もっともっと大きなものです。
これだけ現実的な、そして「いのちの尊厳」に直結した性教育が普及したのはエイズのおかげですし、人権や差別についても大切な学びの場を提供してくれました。偏見とは何かについて、それをどう克服すべきかについて、エイズによって私たちは強烈に考えることになりました。それは、「いつ自分が感染者になるか分からない」という、他の差別問題とはちょっと違った当事者性を内包していたからかもしれません。そして、私たちがエイズへの偏見を考えはじめることは、地域社会の習慣や規範、性行動様式について再認識することにもなりました。
エイズからの学びをライフスキルとして習得するためには、ジェンダーや感染症、障害などへの自らの偏見を明らかにし、克服する必要がありました。そこには表面的な知識では解決できない壁があります。そう簡単に克服できるものではありませんが、乗り越えようと努力すること自体に大きな意味があったと思います。そういうロールプレイを重ねてきたことで、少しだけ日本社会は優しくなったと私は思います。
エイズの問題とは、当事者である感染者だけでなく、家族、学校、医療機関、地域、行政、企業など、当事者を取り巻く多様な人々が関わる問題です。こうした関係者が一緒にとりくむことで、偏見や障壁を克服するというプロセスを社会が学んだのもエイズがもたらした功績です。
なかでも、感染者自身が政策の企画や予防・啓発活動などの実施主体として参加することの重要性をエイズは教えてくれました。偏見にさらされる当事者の意見、提案こそが政策の実効性を高めていったのです。
こうした考え方は医療現場にも改革をもたらしました。患者さんを主体とするチーム医療の普及は、臓器別や職種別の縦割りの弊害から患者さん自身を守り、そして治療の実効性を高めました。もちろん治療だけでなく、陽性者が主体となって<予防・啓発><自発的カウンセリング・検査><治療><ケア・サポート>といったセクションが連携することの意義をエイズは教えてくれました。
このようにエイズは、負の側面ばかりでなく、大きな進歩を人類社会にもたらしてくれたのです。これからも感染症医である私たちは、エイズの診療において気づかされたことを、「エイズの問題」として扱うのではなく、「エイズにおいて表出している問題」として社会にフィードバックしてゆきたいと考えています。
あるいは、エイズで学んだことを他の様々な課題へと適応してゆく、そういう感度のよさとか、提言力とかを、これまでどおり陽性者の方々との連携のなかで維持してゆきたいものです。
そうそう、最後に皆さんにお願いがあります。
「エイズ撲滅」というキャンペーン用語がありますが・・・、これやめてください。患者さんにとっては「撲(なぐ)って滅ぼす」という怖ろしい言葉です。HIVを撲滅することは、道義的にも、医学的にも無理だと私は考えています。結核や梅毒がそうであるように、社会にある程度広がってしまった感染症は、いくら予防法や治療法がはっきりしていてももう追い出すことはできないものです。むしろ撲滅しようという考え方自体が、感染者への偏見・差別につながっています。
病気に無頓着であってはいけませんが、エイズのイメージを独り歩きさせず、必要以上に恐れないことも大切なことだと思っています。(アピタル・高山義浩)
感染症診療や院内感染対策、在宅緩和ケアに取り組む。かつて厚生労働省で新型インフルエンザ対策や地域医療構想の策定支援にも関わった。単著として『ホワイトボックス ~病院医療の現場から』(産経新聞出版)などがある。
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