最近つくづく思うことがある。
「直感」というものを大切にした方がいい、と。
振り返れば「この人無理かも」と思った人は無理な場合がほとんどだったし、偉い人から頼まれた仕事で「君のキャリアになるよ、絶対やった方がいい」なんて言われて取り組んだ仕事は、だいたい終わったあと後悔した。
同じように何か気がすすまないけど、ギャラが良いから受けようとか、この仕事をやればあの仕事がついてくるだろうとか、直感の外側で判断を下した仕事に、あまり良い思い出はないように思う。
そんなことを考えていたら、ふとあの事を思い出した。
会社員になって初めて1人で任された、ある仕事の話だ。こう言っちゃなんだが、とても大きいクライアントの、とても小さい仕事だった。担当者は上司全員に怖がられている、おじちゃんと呼んでもいい年齢の人だった。みんなが色んな言い訳を作って、おじちゃんの仕事を抜けていった。みんなの「直感」が判断していたのだろう「その仕事から逃げろ」と。
みんなが、おじちゃんの仕事から抜けきったあと、最後に残ってその仕事の担当になったのは「直感」のスイッチが備わっていない自分だった。
広告代理店に勤めるクリエイターの直感とは大したもので、とにかくその仕事は辛かった。何本書いても何本書いてもコピーが通らない。毎週毎週、おじちゃんに怒られながらコピーを書き続けた。初めての夏休み、彼女と行ったプーケットのホテルの机の上でもコピーを書き続けていた。夏に始まったその仕事は、秋になっても終わる気配を見せなかった。書いたコピーは1000を超えていた。
「こんなコピー書くんだよ(怒)」そう言って、その場でおじちゃんが書いたコピーは、当時の自分の腰が抜けるほどのクオリティだった。「クライアントは企画が苦手だから代理店に発注する」そんなわかりやすい構図を頭に描いていた自分にとってそれは、とても不思議な体験でもあった。
とても辛い、長い時間だった。クリエイティブを仕事にして13年経った今思い返しても、あの時が間違いなくダントツで辛かった。
とても辛い、長い時間だった。とても辛い、長い時間だった。けど、
とても楽しい時間だった。
「この人無理」先輩たちがそう判断を下したおじちゃんを、私は最後まで「無理」だとは思えなかった。
銀座の街角で、コートを身にまとう人が増えはじめた頃、その仕事はようやく終わった。最後にどんな言葉を交わしたのかも覚えていないが、それ以来パタリと、おじちゃんに会うことはなくなった。
社会人4年目の冬、自分にもようやく直感が備わってきた頃、退社することを決意した。今思えば大変無礼な話だが、私は当時仕事をしていたクライアントに「ついでに」伝えた以外、過去仕事をご一緒したどのクライアント担当者にも退社することを告げず、会社を去ろうとしていた。
退社まで数日に迫った2007年3月のある日。やることもなくなっていたので、ボーッとPC画面を覗き込んでいると、突然おじちゃんから4年ぶりにメールが送られてきた。差出人を見た時、心臓が縮み上がるかと思ったが、おそるおそるメールを開封した。
こう書かれていた。
会社を辞めることを、田中くん(仮名)から聞きました。おめでとう(?)ございます。なかなか厳しい世界ですが、歯を食いしばって頑張って下さい。
最後にこう添えてあった。
追伸:4年前のあの数ヶ月、楽しかったです。
読んだ後、涙が止まらなくなった。
辞める、という決意に後悔はなかったが、不安はあったのかもしれない。社内の誰からも「お前と仕事した4年間楽しかったぜ」なんて言われなかったから、今思えば大したことのないその4年間を、それでもちゃんと評価してくれる人がいた。しかも、それは先輩たちが直感的に「無理だ」と判断し、自分が直感的に「大丈夫だ」と判断した人だった。まだ何者でもない自分にも「何か」、何かわからない「何か」があるかもしれない、だから頑張ろう。そんなお守りのような勇気を与えてくれたのは、間違いなく一度しか仕事をしていないおじちゃんだった。
「直感なんて信用しちゃ駄目、ちゃんと冷静に考えなきゃ」
この13年間、そんな言葉ばかり聞いてきた気がする。仕事だけでなく人生においてもリスクをヘッジする。そんな時代のキリキリした空気に自分を慣らし過ぎて、直感というものがどんどん霞んで見えなくなってきた気がする。でも、
自分が人生の中で手にする、数少ない忘れられない思い出はきっと、直感と仲良しであるはず。
なんだと思う。
おじちゃんのことを思い出して、もう1記事書きました↓
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