名古屋市千種区の今池は名古屋東部の繁華街、交通の要衝として発展を遂げ、今でも広範囲に商店街が広がっている街である。しかし商業地区としての機能は名駅・栄・大須に吸収されつつあり、周辺地域に比べ少し栄えている程度なのが今池の現状だ。
その今池の中心であるはずの地下鉄今池駅前を見ると、ある程度高層な建築物を見ることができるが、すぐ近くに大型のパチンコ店やドン・キホーテが乱立し、少しずつ郊外の都市へと変化を見せている。
そんな今池駅前、地下鉄の出口で言えば12番出口の目の前にある少し古ぼけたテナントビルが今回紹介する新今池ビルだ。
今池北交差点から見た新今池ビルの外観。詳細は調べてないが昭和30年代の三菱地所の建築物っぽい外観をしている。
かつてはこのビル内に映画館が3つもあったほどで、活気のあった今池の街を支えていた存在に違いないが、今はビル内の多くの業者が撤退しとても活気のあるようには思えない。1階の通りに面しているところにはパチスロと居酒屋チェーンが入居しているのが何とも場末的だ。
ビルの正面玄関と今は閉鎖された2つの映画館の掲示板。
映画館は廃業しており、映画に関連する掲示物は何も貼られておらず、現在も営業している新日本切手商会とテナント募集の掲示が貼られている。
1階の正面玄関から中に入ってみる。エレベーターホールとなっており、その右奥には中古レコード店の”ピーカン・ファッヂ”と切手・古銭と金券を扱う”新日本切手商会”がある。訪れた日はお盆の時期で、レコード店は休業中だった。
エレベーターは2基あるが、直角に並んでいる。見やすさを考慮してか右奥のエレベーターの階数表示灯が正面のエレベーターに対して並行して設けられているのが面白い。
2階へはエレベーターで行くこともできるが、先述の映画館の掲示板の裏側に直接外から上がることの出来る階段があるため、これを上がって2階へ行ってみる。
2階へ通ずる階段。
2階へ上がるとまず”ウニタ書店”が目に留まる。現在も営業している店で、主に人文・社会科学系の本を取り揃えているようだ。2階では唯一現在も営業を続けている店で、知人が定休日の日曜日に訪れた時は階段は閉鎖、エレベーターも2階のボタンが使えないと言っていたため、ここの営業日のみ2階に上がることができるようだ。
訪問した時は午前9時頃だが、ウニタ書店の営業は午前11時から。
書店の横には、1997年に閉館した映画館”今池劇場”が寂しげにそのまま残っている。かつて今池では一番人気のあった映画館だ。2階にはこの他に同時に閉館した”今池名画劇場”もあった。
昔の商店街にあった1スクリーンの小さな映画館がそのままビルに入居したような形で、シネコンと呼ばれる複合映画館が名古屋ではまだ名宝会館ぐらいしかなかった時代から、それらが急激に広まった昭和末期から平成初期までの間、大変な賑わいを見せていたことは想像に難くない。
因みに、かつての今池は多くの映画館が存在していたことで知られており、中でも東宝の封切館の”今池国際劇場”は2006年まで営業していた。
今池劇場の入口とチケット発売所跡。

上の写真と反対側の視点。
2階以上の上層階の店舗や事務所は撤退しており基本的に行くことは出来ない。実際に確認していないが、5階にはビルの管理事務所があるため行くことが可能と思われる。
さらにこのビルは地下鉄の通路と繋がっている地階も存在し、地下街のようになっている。かつて多くの飲食店が集結していたが、地階も例外ではなく飲食店は全ての店舗が撤退している。
では、その地階に行ってみよう。
“地下鉄連絡通路 新今池ビル飲食店街”と書かれた看板のある、外から地階に通ずる階段。因みに右上に写り込んでる階段は先述のウニタ書店に繋がっている。
地階が直前になると、レトロなフォントで書かれた看板がお出迎え。地下飲食街とあるが実際は…
地階の飲食店はシャッター街と化しているが、そんな中消費者金融業者の店舗の看板が光っている。飲食店街はこの通りだけではなく、結構広かったようだが一部が封鎖されて行くことが出来ない。
階段を降りた場所から地階を見る。新今池ビル西飲食店街の標識があるので、矢印の方向を見てみると…
封鎖されていた。
飲食店の中でも、”森永アイスクリームコーナー”はつい最近まで営業していたようだ。つい森永が運営する喫茶店ということだったのだろうか。札幌にある雪印パーラーとは少し違うかな?
2014年3月まで営業していたようだが、その割には渋さを醸し出してる感じがする。営業中に一度は行ってみたかった。
拡大してみると1977年以前に使われてたエンゼルマークのロゴが! ますます気になります。
先程、新今池ビルには3つの映画館が存在したと述べたが、地階のエレベーターの横にある”今池地下劇場”だけは今でも営業を続けている。成人向けポルノ映画を放映する映画館で、その特性上ここまで生き残ることが出来たのだろうか。
それにしても、飲食店のすぐ側にポルノ映画館を置くのは如何なものか…

古ぼけたエレベーターホールとポルノ映画館、いい具合に溶け込んでいる。
ところで、このビルはエレベーターの階数表示を見ると地上7階、地下2階建てのようだ。地下2階は立入禁止となっているが、ここも飲食店街だったのだろうか。
階数表示が改変されている地階のエレベーター脇のビルの案内。近畿日本ツーリストは撤退している。
地下2階へは立入禁止だが、そこへ繋がっている階段へ通じる道。一人で行くには少し心細いものがある。
外から地階へ通じる階段はビルの正面玄関の横にもう一つあり、この階段のから地下鉄連絡通路までのあたりは昭和30年代の薄暗いビルの雰囲気がある。
外から地階に降りることが出来るもう一つの階段。背の高い人は頭をぶつけそうなほど圧迫感がある。
階段を降りるとこの場所に出る。非常口の看板に”御手洗↓”の文字が隠れているが、地下2階に行くことは出来ない。
最後に地階から地下鉄方面へ向かう。この地階の通路は人の通りは疎らではあるものの、1分間に1人ぐらいは人の通りがあり、地下鉄の入口としても役に立っている。商売繁盛だった頃はどのぐらい多くの利用者がいたのだろうか。
地下鉄方面にはまたレトロな書体の看板が。
連絡通路からビル方面を見る。広告枠の掲示物はどれも新今池ビルのテナント募集の広告ばかり。
連絡通路と地下鉄の駅構内との境目。手前が地下鉄側だ。
日本における地下街は戦前から存在していたが、昭和30年代以降地下鉄の発展と共に地下街を持つ都市が増加した。中でも名古屋の地下街は急激に規模を広げ、地下街と共に地下鉄が開通し、名古屋は独自の発展を遂げてきた。
新今池ビルもかつてはビルの地階と繋がった一種の地下街として賑わいを見せていた。
しかし都市の発展は持続するものではなく、今池という土地がどんどんと名駅や栄・大須などの他の繁華街にその地位を奪われることとなった。駅構内の今池地下街が2013年に閉鎖されたことや、駅前の一等地なのにこのような物件が存在することが、そのことを何よりも物語っていることだろう。
新今池ビルは今後も姿を変えていく今池の中でひっそりと生き続け、そしてひっそりと消えていくのだろうか。