母ちゃんです。
子供がおなかにおるとき、よく思ったことが
ある。
自分は子供をちゃんと愛してやれるやろう
か、父親のようなことをしてしまわんか、子
供を傷つけてしまわんか、こんな自分が子供
を育てることができるのか。
子供は、生まれる親を選べへん、母ちゃん
は、これから待つ責任の重さに狂いそうやっ
た。
生まれてきた我が子は、本当に本当にかわい
かった。抱っこすると、母ちゃんの脇に顔を
うずめて寝る姿も、いつも同じところに寝癖
がつくのも、本当にかわいかった。
まだ寝とるだけの頃、母ちゃんより先に起き
て、母ちゃんの横で、赤ちゃんなりに手をく
るくる動かして遊んでいた。名前を呼ぶと、
首だけをこっちに向けて、母ちゃんを見てニ
ッコリわらった。
そのとき母ちゃんは、幸せっていうのは、こ
ういうことなんかもしれやんと、何かすごく
そう思ったのを覚えとる。
子育ては分からんことばっかで、随分悩ん
だ。自分はちゃんとした母親になれとんのか
いつもそう考えては、自分を追い詰めた。
お母さんおってええなと、親子三世代で歩く
人を見るたび、その姿が、眩しく見えた。
そこで母ちゃんは、育児日記をつけることに
した。育児日記には、子育てのHow toよりか
は、母ちゃんが子供をどれだけかわいいと思
っとったかを、そんな毎日毎日のかわいい変
化を、得意な絵を入れて書いた。
もしもこの子がいつか親になった時、母ちゃ
んが死んどっても頑張れるように。
淋しくないように。
困らんように、不安にならんように、自分が
愛されて育ったことが分かるように、それを
伝えたくて書き続けた。
そしてそれは今、居間で娘の愛読書となって
いる。日々更新される最新号の催促に、母ち
ゃんは日々追われている。
母ちゃんの予定では、娘が親になった時に読
ませるつもりやったけど、絵があるから面白
いと言う。何度も何度も読んでいる。本当は
ちょっと感じるものがあるようやけど、そこ
は娘のプライバシー、触れたらあかん。
母ちゃんはいつも、この子は幸せやろか、母
ちゃんのこと怖いと思ってないやろか、怖い
や悲しいの感情を我慢させてないやろか、そ
れを心配し続けた。集中し続けた。
母ちゃんには、母としての美学がある。
外で嫌なことがあってどうしてもイライラし
てしまうときは、
「今日はイライラしとるけど、あんたのせい
とちゃうでな。少しほっといてくれたら怒り
冷めるで、ちょっとほっといてな。ごめん
な。」
こう伝える。子供には、母ちゃんがイライラ
しとる時の対処法を教えとく。
そうしてもらうと、母ちゃんの怒りはただの
10分もあれば冷める。これは子供ももう分か
っているので、「OK~」と軽く受け入れても
らっている。
母ちゃんは飽き性やから、怒りにも早く飽き
るらしい。
怒りが冷めたら、本当はちょっと冷めてなく
ても、「よっしゃ!怒りさめた~。ありがと
う。」と言うようにしている。
親の機嫌が何で悪いんか分からんかったら、
子供はただ怯えてしまう。知らせておけばど
ちらも苦しまんとすむ。
ちょっと怖いなと思うことがあっても、子供
の前でそれは感じさせやんようにしとる。
「そういうときは、こうやったらええんや
で。こう考えたら楽なんやで。大丈夫。」
母ちゃんは全然平気なんやと、子供に安心さ
せてやりたい。母ちゃんがおったら怖くない
と思わせてやりたい。
それについては、母ちゃんがこの世で一番怖
いカエルだけは、例外にしている。
辛いことがあったときは、必死で隠す。
それでもどうしてもあかんとき、子供にもそ
れが隠せやんくてバレた時は、あったことは
簡単に話すけど、そこに悲しいや辛いの言葉
は入れないことにしている。淡々と、話の流
れが分かる最小限しか話さない。
本当は話したくないけど、一緒に暮らす以
上、バレたら話すんは礼儀やと思う。
子供やって知る権利がある。
悲しいは、ムカつく。辛いは、悔しいに変換
している。
本当は落ち込んどるけど、すごくムカついた
話に仕立てあげて話す。
それでも本当はバレとるんやろう、子供が悲
しそうな顔をするので、最後にこう言う。
「そんな心配せんでも大丈夫。母ちゃん強いでな。そんなやつ、ちょちょいのちょいやでさ。何も気にしてへん。何とかなるで大丈夫やで。母ちゃん敵に回すなんて、大した度胸やわ。ギッタギッタのボッコボコやわ」
本当は泣きたい時でも、子供に弱さは見せな
い。
子供は安心して笑う。
母ちゃんは子供の頃、あらゆるものが怖かっ
た。人が怖かった。なんかあっても、誰も教
えてくれる人はおらんかった。
一番知りたかったのは、辛いところから立ち
上がる方法やった。
子供には、母ちゃんがおったら大丈夫や。
辛いことあっても何とかなる。母ちゃんの生
き方見てついておいで。世の中そんな捨てた
もんやないんよ、怖くないんよ。と教えた
い。母ちゃんが怖がっていたら、子供は社会
を怖いところやと思うやろう。
これから育っていくなかで、あらゆる怖いも
のに怯えやんですむように、一人で乗り越え
ていける力をやりたい。
母たるもの、演じてなんぼ。
母ちゃんは、子供の気持ちしか見ていない。
子供の前では無敵や。(カエル以外)
母ちゃんはこれを、自分の子もそうじゃない
子も、母ちゃんと関わった子供にはみんな例
外なく伝えている。
誰の子であろうと、人としてあかんことした
時、人を傷つけた時は、そりゃもう烈火のご
とく怒る。
そんなアホを世の中には出せへん。
自分の子も、よその子も、子供はみんな母ち
ゃんが大好きになる。
「母ちゃん大好き~」
「母ちゃんかっこい~」
「母ちゃんみたいになりたい~」
母ちゃんとおったら、何も怖くないって知っ
とる。安心しとる。
その子供達の顔を見て、涙が出そうになる。
嬉しくて嬉しくて。
なぜなら、そんなときはいつも、その子供達
の後ろに、幼い母ちゃんが見える。
怖くて怖くてどうしたらいいか分からん幼い
母ちゃんがそこにおる。
そして、目に涙ためながら嬉しそうに笑う。
だから、泣きそうになる。
実はその感覚は、大人だろうが子供だろう
が、母ちゃんが人に向き合う時には、いつも
ある。
母ちゃんは、間違わんと大人になれた。
あんなに嫌いやった母の日は、娘に似顔絵を
描いてもらえる日に変わり、楽しみな日にな
った。
ただ、娘は母ちゃんとよく似ているので、無
駄な愛想は振りまいてくれない。よって、母
ちゃんが本当に落ち込んどるときにしか描い
てくれへんくなった。母の日は暇や。
誕生日の時には頼み込んで描いてもらってい
る。
見るのも嫌やったカーネーションの花は、今
はそんなに嫌いじゃない。
むしろ、いつ送ってもらえるのかと待ち望ん
でいる。まだ一本も届いてない。
テレビでの、親子の再会するとかいう話は、
相変わらず「ケッ!」とは思うが、前ほどは
嫌じゃなくなった。なんやったら少し泣いて
いる。そのときは、テレビに負けたと悔しく
思う。
テレビでの暴力シーンは、こんなん流すから
世の中にアホが増えるんやと、やはり怒り狂
っている。
娘は今日も、時々憎たらしくて、時々面白
い。
母ちゃんを、母ちゃんにしてくれてありがと
う。
母ちゃんの夢を叶えてくれてありがとう。
人を許すことは、自分を楽にする。
許したらいい、分かったったらいい、許さん
とおることより許すことのほうが、明らかに
幸せになれるんとちゃうやろか。
誰でも失敗するやろう。
その人と同じ人間にならんだらいいんや。
自分が一番、その気持ちが分かるんやから。
母ちゃんにはもう、お母さんはいらん。
守るものができた母ちゃんには、もう怖いも
のはない。
厳密に言うと、子供の頃に体験したことに比
べたら、あとは全てが生ぬるかった。
生き方も立ち上がり方も知っとる。
母ちゃんは、母ちゃんになった。
人には言いたくない過去ではあるが、これは
辛い過去だからというわけじゃない。
聞いとる人が嫌かなと思うだけや。
あの時があったから、今の母ちゃんがある。
経験できた母ちゃんは、幸せや。
おかげで間違えやんですんだ。
子供、傷つけやんくてすんだ。
だから、ただただ感謝する。
自分の歩んできた道を誇りに思う。
戻るのは死んでも嫌やけど。
母ちゃんが、娘にひっつく。
「あ~いいニオイ。お日様のニオイがす
る。」
娘が母ちゃんにくっつく。
「母ちゃんのニオイすきー。」
何かしらんけど、泣きそうになる。
母ちゃんは今日も子供達に、愛を伝えてい
る。
母ちゃんには、次の夢がある。
それは、一日でも長く生きること。