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日本外国特派員協会 HPより

 投稿者:窮状  投稿日:2016年12月 5日(月)19時23分25秒
  http://www.fccj.or.jp/events-calendar/press-events/icalrepeat.detail/2016/12/08/4519/30/press-conference-shuichi-kodaira-yusuke-noguchi-kiyoshi-takigawa-co-authors-of-jitsumei-kokuhatsu-sokagakkai.html?filter_reset=1  

Twitterより。公明党ってもう存在意義ないよね。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年12月 5日(月)18時58分3秒
  創立の精神と過去の行為の乖離により、平和も福祉も語れなくなったことが確定して、

その上、核兵器の絶対悪まで「それはプロセスの違い」

なんて言っている公明党は、すでに存在意義を無くしてしまったのでしょう。
 

ジョーさんへ

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年12月 5日(月)18時16分37秒
  ジョーさん

ご理解ありがとうございます。
リンク貼りつけますね。

http://www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/index.htm

2016/12/04(Sun)
師匠に何とかしてもらいたいという発想

2016/12/02(Fri)
自分たちの“正義”のために池田名誉会長を法廷に呼ぼうと画策した足軽3人組

最近のアップでは以上の二点に証人申請した云々の記載がみれます。

元々は師弟観ということではなくして、柳原氏の掲載内容に<本当?>という疑問からの投稿でありました。

その投稿に際して、様々な投稿をいただき現在にいたっています。
 

法華経の智慧・如来寿量品第十六より飾らず「ありのまま」ひたぶるに生きる

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年12月 5日(月)18時01分59秒
  九界の労苦で仏界を強める

遠藤 生命の基底部を仏界にしていくためには、根本は勤行・唱題ですね。

池田 仏の生命と一体になる荘厳な儀式です。この勤行・唱題という仏界涌現の作業を繰り返し繰り返し、たゆみなく続けていくことによって、わが生命の仏界は、揺るぎなき大地のように、踏み固められていく。その大地の上に、瞬間瞬間、九界のドラマを自在に演じきっていくのです。また社会の基底を仏界に変えていくのが広宣流布の戦いです。その根本は「同志を増やす」ことだ。
ともあれ、この信心を根底にすれば、何一つむだにならない。仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、希望の未来へと進める。いな、むしろ九界の苦労こそが、仏界を強めるエネルギーになっていく。煩悩即菩提で、悩み(煩悩=九界)が全部、幸福(菩提=仏界)の薪となる。身体が食物を摂って消化吸収し、エネルギーに変えるようなものです。

須田 そうしますと、薪がなければ炎はなく、食物がなければ身体のエネルギーはないわけですから、仏界も九界がなければカを失ってしまうということでしょうか。

池田 そうです。九界の現実の苦悩と無関係な仏など、真の仏ではない。十界互具の仏ではないのです。それが寿量品の心です。
ある意味で、仏界とは「あえて地獄の苦しみを引き受けていく」生命といってもよい。仏界所具の地獄界。それは、同苦であり、あえて引き受けた苦悩であり、責任感と慈悲の発露です。弘教のため、同志のために、あえて悩んでいく──その悩みが仏界を強めるのです。
「自分が、あえて苦労していこう」というのが信心です。要領よく、″人にやらせよう″というのは信心ではない。組織主義であり、権威主義になってしまう。

斉藤 「あえて苦しみの中へ」──それは菩薩の願兼於業の精神とも、相通じますね。

池田 苦労しなければ人間はできない。苦労を避けて、本当の信心も人間革命もない。

戸田先生は言われていた。
「瀬戸内海の鯛というものは、内海で生まれ、玄界灘の荒波にもまれて育ち、再び瀬戸内海に帰ってくる。したがって、玄界灘の激しい潮流にもまれるので、肉がしまり、骨が堅くなって、おいしい。青年も、このように世の荒波にもまれてこそ、すぐれた人物に成長できるのだ」
ある調理師さんの話によると、魚の肉で味がいいのは、魚が生きている間に、よく使った部分だという。しっぼのつけ根とか、鰭のつけ根の肉とか。

須田 あんまり食べないところですね(笑い)。

遠藤 一番おいしいところを、皆、食べないでいるのかもしれません(笑い)。

池田 人間でも、苦労した人のほうが人間として味がある。人間味に深さがある。
なかには苦労に負けて、自分を崩してしまう人もいるでしょう。食物も、消化し吸収する力が弱っているときに摂りすぎたら体をこわしてしまう。だから、強い生命力が大切なのです。生命が強ければ、苦労を全部、栄養に変えられるのです。
反対に、いくら信心をし、勤行・唱題していたとしても、広宣流布の苦労を避けていては、仏界が強まるわけがない。仏界が固まるわけがない。

斉藤 十界互具というのは、「九界を切り捨てない」ところにポイントがあると思います。すべてを生かしていくというか──大らかさを感じる思想です。

飾らず「ありのまま」ひたぶるに生きる

池田 十界互具の人生は、信心を根本に、「ありのままに生きる」ということです。十界互具を説かない教えでは、九界を嫌う。九界を断ち切って、仏界に至ろうとする。
これは、広げて言えば、人間を「刈り込んでいく」生き方です。ここがいけない、あそこが悪いと。だめだ、だめだと欠点を否定していく。その究極が「灰身減智」です。そういう反省も大事だろうが、へたをすると、小さく固まって、生きているのか死んでいるのか、わからないような人間になる危険もある。
「角を矯めて牛を殺す」(少しの欠点を直そうとして全体をだめにする)ということわざがあるが、むしろ少しくらいの欠点はそのままにして、大きく希望を与え、目標を与えて伸び伸びと進ませるほうがいい場合が多い。
そうやって、はつらつと自信をもって生きていけば、自然のうちに欠点も隠れてしまう。たとえば「せっかちだ」という欠点が「行動力がある」という長所に変わっていく。
自分の人生についてもそうだし、人を育てる場合もそうです。ありのままの自分で、背伸びする必要もなければ、飾る必要もない。人間だから、泣きたいときもあるし、笑いたいときもある。怒りたいときもある。迷うこともあるでしょう。
そういう、ありのままの凡夫が、奥底の一念を「広宣流布」に向けることによって、生命の基底部が仏界になっていく。そして、怒るべきときに怒り、悩むべきときに悩み、笑うべきときに笑い、楽しむべきときに楽しみ、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」、活発に、生き生きと、毎日を生きながら、自分もそして人も絶対的な幸福に向かって突進していくのです。

須田 それこそが十界互具を生きるということですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以前、ある会合で「勃樹」が釈迦仏法は歴史的に見て末法の・・・・等々うんちくを言ってました。
「俺はこんなに教学があるんだぞ~」と思いっきりひけらかしていましたが、たんに宮田の受け売りでした。
御城代は自ら「御義口伝の講義で、直弟子ともいえる君たちだと云われた私である」と自分で言われた時には私は「なんかおかしくね~」「直弟子って自分で言わないでしょう?」と思ったものです。
組織主義、権威主義、歓楽主義、拝金主義等々・・・・。
「勃樹」笑っちゃうね。
 

もう、そろ、そろ勘弁願います

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年12月 5日(月)17時56分46秒
編集済
  おおぐろさま

我が同志であるひかりさまは、お強い方。

しかし、そうでない方が大勢らっしゃいます・・貼り付けはもうその辺まででお願いします。

こういったことに、拒否反応をされる方が大勢いらっしゃいます。

どういうつもりで貼り付けなさるのか、私には理解不能です。

また、貼り付け②の後半、削除お願いできないでしょうか?

この板には、全く不要な部分だと思います。

ご意見ありましたら、私目までご連絡を・・メールはいつでも受け付けています。
 

ロマンさんへ

 投稿者:ジョー  投稿日:2016年12月 5日(月)17時43分36秒
  こちらこそ、お返事ありがとうございます。

なるほど、事の経緯は了解しました。

つまりは、柳原氏のブログに元学会員三人が池田先生を招致したと書いてあり、ロマンさんはそれをご覧になられた。
そして、ジャーナリストが裁判記録までを偽造してブログに掲載することは、ジャーナリストとしての沽券にかかわるため、柳原氏がジャーナリストである以上、その信憑性は高いものと思われる、
そのため、掲示板に掲載し、弟子としてのあり方を皆様で議論し、考えておられるーという理解で相違ないでしょうか。

私も柳原氏のブログを拝見してみたいので、宜しければそのことが書かれているブログのリンクを教えていただけませんか?
 

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年12月 5日(月)17時27分39秒
  今日郵便で実名告発創価学会の本を紹介者に送りました。読んでくれると良いのですが。  

信心なき上の方

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年12月 5日(月)16時42分33秒
  オソロシイですよね。

今までやって来たことを見ると、どうも彼等は、身口意の三業が信じられない人ばかり。

つまり信心が無いのです、傲慢悪行幹部って。



昔っからですよ。

おおぐろ様の御投稿の核にある「欺瞞を糺す精神」を感じて、

御投稿にある記事はウソばかりと思わないほうがいいと思います。



私も、対話によって、組織悪不祥事の昔の証言を聞けば聞くほど「めまい」がしました。

しかし、その「めまい」にも馴れ、心臓に剛毛が生えてくると、

「なんだそれ! 同じ人間(聖教新聞社・学会本部・雑誌記者・議員)が何度も出てくる」

歴史的事実が分かり、「いやあ昔からひどい人間がいたんだわ」と呆れるようになりました。


池田先生がお元気だったときは、そういう現実を婦人部は見ないで済んでいました。

池田先生の「会員を守ってくださる御配慮」があったから。


池田先生が矢面に立ち、会員を守って下さっていたことが、どれほどありがたい事だったか。

今になって痛切に感じます。


今の執行部・学会本部から地方に至るまで幹部・議員・党、どうしてこんな体たらくなのか?



それは、池田先生が掛けられた大屋根、安心の傘が消え、ガードしてくれるものが無くなった。

すると、甘えた会員の意識の実態だけがあり、ただ上が言ったことに右へならえです。

そして、執行部なんて、昔からあった組織悪になれていて当然顔。 低俗なジジイ達なのです。

組織悪と傲慢幹部が、その恥知らずな横暴だけ露呈させているという現状ですね。


ね、そういう事じゃないかと思います。 分かり易い、シンプルな構図ですよね。



そうすると、除名なんて愚行も、法難をいただいたということで、

バカの狂言回しが、こちらにとってはありがたい、バカがバカをやればやるほど、ありがたい。

ヘンチクリンな崩壊組織で呻吟するより、自由自在でいいんじゃないかと思います。



世界に開かれた境涯で、弟子の道、師弟不二の道を行きましょう。

獄卒執行部の面々、ありがとう、もうその汚い顔を意識しないので、苦痛がないです。

裏切りモンの公明党よ、平目っぷりが板についてきたね、泥船必至だよ。

これからも、国民の良識を裏切り続けてください。

さよーならあ、境涯上げてくれて、ありがとー。




 

小池新党

 投稿者:宝剣  投稿日:2016年12月 5日(月)16時27分1秒
  小池新党が出来たら、公明は安倍さんではなく、小池新党と共闘した方がいいと思う

大山鳴動してネズミ一匹とか言う人がいたがこれは違う

小池氏は五輪会場の変更を目指したのでなく、膨らみ続ける五輪予算を削減することを目指した
他会場を提示したことで結果的に400億削減できた
小池氏の勝利であり、小池氏を押してきた都民の勝利である

納税者の立場で政治を行う小池氏の政治は安倍政権よりはるかに公明的だと思うのだが

来年の事を言うと鬼が笑う
今から都議選一色の原田執行部
いい加減にして欲しい

会員はお題目、仏法対話、御書、先生のスピーチを学びたい
支援活動など必要最低限
時間、お金、エネルギーの無駄は無くすべき
会員は聖職者ではない
普通に仕事している

先生は言われた
信心しているからと言って特別な事はない
普通に仕事して、余った時間で学会活動するだけ

仕事に支障が出るような無理無駄な活動の仕方をいつまでも強いているから、壮年、男子部がいなくなったのではないか?

社会で戦う人に明日のエネルギーとなる信心活動を目指すべきである

 

さもありなん

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年12月 5日(月)15時45分14秒
編集済
  おおぐろ様の御投稿「拾いもの」記事、内容真偽の程度はともかく「さもありなん」ですね。


このところ、昔からの(50年以上前からの)多くの証言をお聞きしての感触です。

どれほど多くの不祥事が、よくもまあ今まで、個人の胸に封印されてきたことか。



「自分が黙っていれば、組織は混乱しない」とか

「池田先生に、ご迷惑かけたくない」とか

「宿業なら甘んじて受けよう」とか、なんちゅうか、ちょっとアレな感じで水に流してきたと。



アレって何だって?

現実と戦わず、引き受け黙り込む、日本人の良くない癖ですよ。


本日の毎日新聞:マンガ 西原理恵子「毎日かあさん」のオチで、

「問題解決せず場を流す 美しい日本の気くばり」 とありましたが、ご名答。

個人の裁量に任された結果、組織悪被害が放置される一助になったきらいが無くはないんです。



 

音読のススメ

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年12月 5日(月)15時29分21秒
  ■日本語の文章表記は古来より縦書きに特化されたものですが、明治以降の近代化過程で横書き(左→右)が普及し、敗戦後の占領政策の影響もあって広く国民生活の中で横書き・横読みの習慣が定着しました。

 ・ですので、漢字・カナ文字交じりの日本語文を-横に書き、横に読む-という所作は、本来なら不自然で後天的要素の強い、アルファベットを縦書き・縦読みするのと同様の意味を持つ行為なのです。
 ・漢字カナ交じり文を横に読むという不自然で不慣れな所作を続けているので、ともすれば飛ばし読みのような感じで論旨を充分把握しないまま他人の文章を誤読・曲解する過ちを犯しがちになり、また、長文の吸収しきれない文字の羅列で目に留まった語句に前後の文脈を無視して過敏な反応を取るような失態にも陥りがちです。
 ・またまたお叱りを受けるやも知れませんが、当板においても時折びっくりするくらい日本語読解力の欠落したレス内容の文面に誰がどうこうというわけでなく出くわすことがあります。
 ・基礎的な読解力の欠如は、つまるところ平生からの読書量(縦に書いたものを縦に読む)不足に起因するところ大ですが、新聞・雑誌等も併せて他人の著した文章を注意しながら読み込む慎重さを身につけておかないと、日常生活に支障をきたす場合がしばしばあります。
 ・私の経験則では「人それぞれ」というフレーズを多用する人ほど、他人の話は殆ど聞かずにひたすら自己主張をループさせる困った方が多かったです。パソコンやスマホ等での横書き文面がそれを助長させている向きもあるのではないかと考えます。
 ・日本語を横に書き横に読む所作が孕む危険性については、私の敬愛する書家・石川九楊氏の著書『縦に書け! 横書きが日本人を壊している』(祥伝社新書)が大変参考になります。機会があればご一読をお勧めします。

■横読みの弊害を減らすには普段から可能な限り音読-声に出して読む-を心掛けるのが有効です。

 ・無理のない範囲で、周囲の迷惑にならないように小声で構わないので一言一句、目で追うだけでなく声を伴って読んでみることが大切です。
 ・ネット上にも聖教新聞等から転載された数多の先生の指導、対談集等の書籍が横書き表示でアップされ、大聖人の御書も即座に便利な検索で横読み出来るようになっていますが、これはあくまで便宜的な書式だと意識してなるべく原本の形(縦書き)で読むことを心掛けてください。
 当板にも有り難いことに、寝たきりオジサンが“書写”してくださる数々の体験談、まなこさんが載せてくださるトインビー対談をはじめ多くの池田先生の言説や御書の一編一編等が印刷物から抜粋・引用され画面上の文字になりますが、それらも横書き・横読みの弊害を何処か心の隅に置いて、丹念に、なるべく声に出しながら読むことをお勧めします。目で追うだけのとは印象が格段に違ってきます。
 ・ヨッシーさんの力作『信濃藩家中見聞』は戯曲の表現形式です。登場人物を各自配役し舞台上で台詞を交わすのが前提になっています。ですからこれなどは特に音読する必然性のある文章です。奇異に見られないよう周囲に人がいないのを確認して、落語か一人芝居でもするような感覚で声色を変えながら読み上げたりすると、藩のお歴々の心中により肉薄していけます。
 ・同様のことを例えば--本当に暇なときでいいですが--自称「妙法のジャーナリスト」氏のコラム日記と称する雑文で試していくうちに、彼が毎日、他人が用意したテキストを適当に語尾や言い回し等を変えながら切り貼りする簡単なお仕事に従事しているだけの存在であることが実感出来るようになります。
 論旨に一貫性がないとかそういったこと以前に、口ずさむにぎこちない、リズム感の欠如した生気の欠片もない文体であることに気づかされ、彼自身のあざとさや厚かましい人間性が浮かび上がってくるのです。

ーーーーーーー ーーーーーーー

こちらで先般ある男性の方とやり取りしている合間に、別に彼と私で論争をしているわけでもないのに、何人か彼を揶揄したり横から譴責するような口調で論難される人がいました。怒るというより残念な気分になりました。
自分が同じようなことをされたらどうでしょう? また同じような物言いを現場でされてきたりもしなかったのですか?
彼がここで呈した正直で率直な疑問は、私自身が何十年来、現場で一対一の部員さんとの対話の中で何度も耳にしてきたことです。それに対して私も今まで実際に口ごもりつつ言葉を選びながら語ってきたような内容のことを殆どそのまま文字に表したまでのことです。

目読で横書きの文面を一知半解に読み飛ばす癖がついていないかどうか、共々に日頃から気をつけたいものです。
 

記者会見

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年12月 5日(月)14時29分6秒
  もうすぐ記者会見の日が来ます

世間は、そしてこの宇宙は第六天の魔王の栖
虎視眈々と池田先生を希代の悪人にしようと狙う勢力は多い

先生の「真実」を明かにし、宣揚することができるように

原田会長の「真実」も明らかになり、先生に違背している事実が明白になるように

お題目送っています
頑張れ!

今はその事を最優先するべきことだと思う
千載一遇のチャンスです

宿坊の皆さん
色々意見はあると思いますが、証人申請の話はとりあえず、横に置いて、今は記者会見の成功を祈りませんか?

 

法学委員会出身弁護士とその素顔 貼り付け②

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年12月 5日(月)13時29分36秒
  (張り付け開始)

“人間革命”といっても下半身の人格は一向に変わらない

桐ヶ谷や八尋も、女好きでは人後に落ちない。

たとえば、昭和46~7年ごろ、沖縄復帰にともない、沖縄創価学会の合併手続きのため現地に滞在したときのことである。

桐ヶ谷は、石垣島で“夜の女”を買った。その体験を、山崎正友や八尋頼雄に自慢話した。

2人は散々冷やかした。

「あの女は、額に吹き出ものがいっぱいあったぞ。変な病気をもっていたに違いない。あの手の女は危ないからな……」

桐ヶ谷は青ざめて、那覇に帰るとさっそく皮膚科の医院に駆けつけた。医者は抗生剤等を処方したうえで、一カ月ばかり性行為を控えるように指示した。帰国した桐ヶ谷は、毎日のように抱いていた女房との交渉を断った。女房が誘っても応じない。

1カ月が過ぎて、晴れて女房を抱いたとき、感極まって桐ヶ谷は思わず口走った。

「ああ、お前がやっぱり一番いい!」

とたんに女房は、桐ヶ谷を突き放した。

「ちょっと、一番いいって、誰と比べて言っているのよ。誰か他の女とやったの!?」

あわててあれこれ言いつくろおうとしたが、もはや手遅れ、あとの祭りである。

女房は桐ヶ谷を許そうとしない。

「あれほどナニが好きなあんたが、1カ月も何もしないなんて、本当におかしいと思っていたわ。それと、私に隠れてこっそり薬を飲んだりしていたら、なおさら分かるわよ」

桐ヶ谷は、ありのままを白状し、平身低頭謝ったが、許してもらえない。

翌日、女房は、夫婦の仲介人である山崎正友のところへ、自分が印鑑を押した離婚届をもってきて、「あなたにも責任がある。主人に印鑑を押させてください」と言って置いて帰った。

山崎正友も閉口して、あの手この手で必死になだめ、何とかもとのサヤにおさまらせた。

そんな桐ヶ谷は、それでも一向に懲りず、その後もソープ遊びなどに率先して付き合った。

一方、八尋も、その方面では人後に落ちない。

学生時代、下宿していた家の女房(学会員。その折伏で入会)とねんごろなり、家賃を免除してもらい、亭主に隠れてうまい食事にありついていたチャッカリ派であるが、創価学会本部に入った直後、「レストランはくぶん」のウエイトレス(女子部幹部)とねんごろになり、結婚すると言い出した。周囲がいろいろと手配して、池田大作のOKを取り、どうやらメデタシとなりかけたとたん、八尋はこの女性に飽きて、婚約を解消した。創価学会のなかで出世するには、結婚相手の女も選ばなくてはならぬということに気づいたのである。

やがて、池田大作の指名で第一庶務の女性と結婚、山崎正友が結納を納める役をおおせつかった。結婚式には、池田大作の妻香峯子が出席した。ところが、子供できたこの女性と、また離婚してしまった。そして再婚しようとしているが、娘の反対でままならないという。

女に弱いのは、セクハラで秘書に訴えられて名を上げた片上公人(元参議院議員)だけではない。

なお、さらに余談だが、“情報師団”にも、女の話はつきものであった。北林芳典の酒グセと女グセの悪さは相当なもので、酔うとサディスティックになる。

池田大作出席の結婚式で娶とった妻に、酒に酔った北林は、「お前はただでメシを食わせてもらっているのにサービスが悪い。トルコ(ソープ)の女は、1万円で何でもする。お前も見習え」と命じ、泣いている妻に手淫やフェラチオを命じた。

途中で爆発した北林の精液は天井まで届き、仰向けに寝ていた顔面に降りかかった。北林は、「何て不器用なんだ。片手で上からあてがっていないからこうなるんだ。バカヤロー」とののしり、妻をなぐった。

北林は、酒の席で、酔っ払うとこの話を自慢げに披露するのがクセだった……。“裏の仕事”は、どうしても人格を荒廃させるのだ。

(張り付け終了)
 

気になった様

 投稿者:大樹  投稿日:2016年12月 5日(月)13時25分39秒
  ありがとうございます

しかし、まだまだです

牧口先生には戸田先生が!
戸田先生には池田先生が!
そして、池田先生には?
今はまだ「奥様」しかいないのではないか?と思います

中国の人は良く見ています
以前三代会長の絵を書いて贈って下さった中国の画家がいます
その絵はまさにその姿を描いておられました

牧口先生には戸田先生
戸田先生には池田先生
池田先生には「私」がいる!

そんな1人になりたいと奮闘中です

恐らくこの板の皆さんも同じ思いだと思います

「私」がいるという弟子が澎湃と立ち上がり、森にして行くことが大切だと思います

考えると原田会長は真の弟子が目覚める為に「悪役」している存在なのかもしれないです
今や日顕を越える悪役です

善は団結しにくい
しかし、ここまで悪役が跋扈し、会員を集票マシン、新聞拡張員にしているのを見たら、団結せざるを得ない


先生は
難は有難い
私1人でたくさんの青年を育てるのは難しい
難のおかげでたくさんの青年が育つという話をされました

「共戦」の揮毫初披露して下さった会合で
「誓いを貫き、同志を護り、正義を打ち立てる師弟不二の弟子がいるかどうか
一切は、それで決まる」

自民党の集票マシン、新聞拡張員にされている会員を見て「可哀想ではないか!」「おかしいではないか!」
という弟子が澎湃と現れる時
その時が先生の勝利の時だと思います

先生が生きて下さっている時に「勝利」をお届けしたいと思っています

先生はマンデラ大統領と会見した時、言われます
「後継者はどうなっていますか?
   マンデラと言う一本の高い木だけでは  森は出来ません」

世間は今、同じ思いで先生を、学会を見ているでしょう

自ら一本の木となり、一緒に「森」を作りましょう!



 

法学委員会出身弁護士とその素顔 貼り付け①

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年12月 5日(月)13時22分48秒
  (張り付け開始)

法学委員会出身弁護士とその素顔

打ち合わせを終え、作業に飛び出して行った情報師団と入れかわりに、桐ヶ谷章、八尋頼雄両弁護士が入ってきた。

東大大学院卒で創価大学法学部の教員(のちに法学部長)を兼ねる桐ヶ谷章は、法学委員会の責任者でもある。創価学会員の学生を訓練し、司法、官僚、外交官、経済界、マスコミ、医者等々あらゆる方面に送り込み、池田大作が総理大臣となったときの手足として働く人材を育成するというのが、法学委員会設立の目的であり、池田大作の指示で山崎正友が創設した。(RC:この人材たちが2005年5月3日までに達成すると称している「総体革命」の担い手になるらしい)

神崎武法(検事、のちに公明党委員長・郵政大臣)、浜四津敏子(弁護士、のち公明党委員長代行・環境庁長官)らとともに、桐ヶ谷章、八尋頼雄、福島啓充(弁護士、創価学会副会長)、添原良治(弁護士、公明党代議士)遠藤乙彦(外交官、元公明党代議士)らは、皆法学委員会出身であり、山崎のあとがまには桐ヶ谷章が座った。八尋頼雄は、弁護士ながら創価学会事務局長として専従職員となり、池田大作の秘書兼側近として事務局を総括するほか、墓苑造成事業、大石寺対策や情報活動など、やはり山崎正友のやっていた分野を引き継ぐようになる。

のちに、ルノアール絵画疑惑で有名になるが、昭和51年ごろは、まだそこまで実力者になっていない。

山崎、桐ヶ谷、八尋の3人の弁護士で、創価学会の法律問題はすべて仕切られる。

資料のコピーに目を通し、山崎正友から熱海での打ち合わせの内容を聞いていた2人は、ニヤニヤしながら顔を見合わせていたが、例によって桐ヶ谷が口火を切った。

「隈部もよく書くなあ、こんなことまで。でも、これ本当なのかなあ。ボスは知ってるの?」
「馬鹿野郎、本当のわけがあるはずないだろう。皆デタラメに決まっている」

思い入れよろしく言葉を区切ってから、山崎正友はさらに続けた。

「という前提に立って、処理に当たるのが我々の仕事だ」

桐ヶ谷のズッコケぶりにゆるみかける顔を引き締めながら、山崎正友は宣言した。

「このA子というのは、本田章子さん(当時は結婚して吉田姓)だよな。それと渡部通子さんと多田時子さんだな。赤坂の芸者というのは、一度『週刊新潮』が書いて、こちらがねじ込んだことがあったっけ。他にもいるのかな。吉良さん(女子部長)、外山さんとかはどうなんだろう。ああいう女と、一ぺんでもいいからやりたいなあ」

3人は、大笑いになった。

余談だが、創価学会首脳は、池田大作を見習ったわけでもあるまいが、女に弱い人物が多い。クセも決してよくないといえる者も少なくない。
秘書にセクハラを働いて訴えられた公明党参議院議員をはじめ、醜聞を流す議員も1人や2人ではない。最近では、幹部同士が不倫関係のもつれから会館内で刃傷騒ぎをおこし、パトカーが呼ばれるという事件や、公明党議員が買春や淫行罪で逮捕されるケースもいくつか出ている。

さらに創価大学元学長の息子で大学教授の男が、愛人の若い女性との性交場面を映像化してインターネット上で売っていたという事件も、つい最近世間を騒がせることとなった。

(張り付け終了)
 

「撃ち方止め!」――法学委員会出身弁護士とその素顔

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年12月 5日(月)13時18分16秒
  ネットからの拾い物で恐縮だが、アップしておく。

「法学委員会出身弁護士とその素顔」
http://soejima.to/boards/past.cgi?room=sirogane&mode=find&page=230&word=%C3%D3%C5%C4%C2%E7%BA%EE&cond=&view=10

これは、法学委員会初代委員長の山崎正友が2001年に出した『「月刊ペン」事件 埋れていた真実』(第三書館)という本からの抜粋である。

山友が書いたものだから、どこまでが本当でどこからが嘘か分からないが、はっきり覚えているのは、この本が出るまでは、聖教本紙や創価新報、第三文明等々の学会系メディアで、山友の下半身問題を徹底的に攻撃していたのだが、この本が出るや、「撃ち方止め!」。ピタッと完全に止まったことである。

ここで取り上げられている弁護士の一人からの指示であることは明らかだった。

山友の報復の一撃で、一発KOされた学会弁護士たち。こんなんで極悪と戦えるわけがない。

竹入や矢野と和解したのも、叩けばいくらでも埃が出る、わが身を守るためだったのでは!?
 

遠くから、出る幕ではありませんけれど・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年12月 5日(月)13時14分20秒
編集済
  あるところで確認しました・・

「民事訴訟において参考人招致という手続きはありません。
参考人の審尋(民事訴訟法(以下同じ))という制度はありますが、参考人には出頭義務はありません。 」

もし、先生を参考人として申請していたとしても、どういう申請なのかでしょう?

先生には学会の人事権は全くありませんから、どういう参考人としてなのか・今の所、理解不能・不明

証人喚問は国会のことであり、民事訴訟ではそういう言葉はないですね。

もしも、何かの参考人として先生を裁判所に申請し、それが、認められて、裁判所からの呼び出しが

あったとしても、出席は義務ではありません。医師の診断書をもとに出席を断ることができます。

3人さんのプログをよく読むと、悪の枢軸が先生の名を利用していることで、先生は健在であるということに

繕って学会員全体を騙している。

それを、恐れ多いことですが何かの形(例えば診断書等の入手)で証明したいということからではないでしょうか・・

もし、そうだとすれば、相当の覚悟と決意、思索を経てやっていることは間違いないでしょう。

でも、何れにしても、今後の経緯を見て、実際はどのようなことかを見てみる必要があると思います。

それから、判断をしてみたらいかがでしょうか・・

遠くから、余計なことですが・・

http://

 

宗教は語る 平和への貢献

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月 5日(月)13時05分17秒
編集済
  創価学会名誉会長 池田大作
北東アジアの交流を

「平和の確立のため,人類文明の進展のために,主要にして積極的な貢献を なすのは,東アジアであろうと期待します」  英国の大歴史家トインビー博士の忘れ得ぬ言葉である。 30年前,ロンドンのご自宅で,博士と私は「21世紀への対話」を重ねた。 その一つの焦点は,中国
と韓・朝鮮半島,日本など,北東アジアの巨大な可能 性であった。  博士と2年越しの対談を終えて,欧州から戻った翌月(1973年6月),私が真 っ先に訪問したのは, 福井県である。  いにしえのギリシャ・ローマ文明は,地中海の交流が育んだ。新たな21世紀の 文明創造の海は, 日本海であろう。福井は,この「東洋の地中海」沿岸の中心点
である。 ☆  環日本海が一つの輪となり,民間の力を軸に,地域の発展と環境の共生をめ ざそう――  今年の7月,福井新聞社で行われた「北東アジア交流プロジェクト」の論点を ,感銘深く伺った。  地球を町に譬えれば,北東アジアの国々と日本は「向こう三軒両隣」の関係 にある。 隣同士が緊張したままでは,互に不幸だ。両方が損をす
る。  昨年の秋,ゴルバチョフ元ソ連大統領と再会した折にも,環日本海の対岸交 流が話題となった。  「時代の流れに身をまかせるのではなく,そこに意思をもって働きかける努 力が必要です。 そのために,我々は対話し,協力し合わねばなりません」  冷戦を終結させた
人物だけに,重みのある一言であった。  日本の指導者も,平和への確固たる信念とビジョンを持つべきだ。 戦後の日本は,欧米諸国ばかりに目を向けがちであった。 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との問題も,政治の対応があまりにも鈍感 であった。  足下の安定と友好を築かずして,真の平和はない。ここに,歴史の鉄則があ る。  日本
がリーダーシップをとって「北東アジア平和会議」を行い,国連等と連 動させる積極的な試みが あってもよいのではないか。 ☆  古来,敦賀港を擁する福井は,大陸の施設を迎える松原客館が置かれるなど ,日本の表玄関であった。1900年の1月,真冬の荒海で難破した韓・朝
鮮半島 の商船を,泊村(小浜市泊)の村人が救出した歴史も有名である。記念碑には ,「海は人をつなぐ,母の如し」と至言が刻まれている。  韓国との国交成立前に,水原の青年会議所と友誼を結んだ民間
交流の先駆の 県も,福井だ。  国家の政略に左右されぬ,民間と民間,人間と人間の交流が,ますます,重 要な時代に入った。 その尊いモデルが,福井県出身の教育者・藤野厳九郎先生と,中国の留学生・ 魯迅青年の出会いではないだろうか。  私も,文豪・魯迅負債が恩師の国へ寄せた友情の深さを,ご子息の周海嬰氏 から伺った。  今,師
弟の故郷である福井県と浙江省には,20に及ぶ友好関係が結ばれてい る。 省都には,麗しい「福井杭州友好公園」がある。 ☆  何よりも近隣諸国と,信頼と友好を結ぶべきである。 これが,日本の哲学であり,目標でなければならない。  いわんや,20世紀の日本は,アジアの歴史に,暴虐な戦争の悲劇を刻んでし まった。  心から信頼される
日本への努力を,絶対に忘れてはなるまい。 すべて「平等互恵」こそ,真実の平和の定理だ。  四半世紀前,フランスの行動する文化人アンドレ・マルロー氏と私は,対談 集を発刊した。 その出版を喜ばれ,福井県生まれの碩学・桑原武夫先生がエールを贈ってくだ さった。  「平和の精神の普及と,人類の地球的結合へ,さらなる民衆の運動を

!」と 。  日本海に臨む急斜面で,厳冬を耐え抜いて凛と咲く県花・越前水仙――。  21世紀の北東アジアの青年たちの心に,教育と文化の交流で美しい友誼の花 々を開花させていきたいと, 私は願う一人である。

2002年11月20日 福井新聞より



特別寄稿の「提言」に思う
鋭い"見識と先見"そして行動
福井県 勝木 健俊 (福井商工会議所副会頭)

池田名誉会長の「教育」「文化」に対する提言を,いつも注目しています。  今回,福井新聞への特別寄稿「平和への貢献―北東アジアの交流」も,示唆 に富む提言に,感動を深く しました。  名著として,今も読み継がれている,トインビー博士との対談集『21世紀へ の対話』で, すでに北東アジアの巨大な可能性に言及された

高い見識。 また,日本海を「東洋の地中海」と見なされ,トインビー博士との対談後,真 っ先に沿岸の中核都市・ 福井を訪問された行動。感銘を覚えます。  当時,冷戦構造のなかで,第2次世界大戦の戦後処理の問題を抱えながら,日 本は,北東アジアの諸国と国交正常化に
努力し始めたころであったと思います 。  その後のアジアの発展・交流を見るにつけ,名誉会長の先見の明を実感しま す。平和のために,
足元の 安定と友好を築かねばならない,との強い信念が,率先の行動を生むのだと思 います。  日本海沿岸の発展を担う私たちが奮起し,北東アジア交流の道を大きく開い ていきたいと思います。

2002年11月28日 聖教新聞「声」の欄より

 

ジョーさんへ

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年12月 5日(月)13時00分36秒
  ご返事ありがとうございます。

ことの発端は柳原氏のブログに掲載されていたものの事実確認を私が取り上げたことによります。
今の議論は事実確認といったところから師弟論になっていますが、元々の池田先生の民事での証人の申請は、私は信憑性が高いと思っております。

なぜならば、裁判記録は誰でも入手でき、真偽の判別が確認できます。
そもそも、足軽会等の記載内容については詳しくは存じ上げませんか、裁判の内容については、事実でないものを捏造してブログ掲載していたならば、ジャーナリストとしての信頼性がなくなるからです(宿坊での人物評を抜きにして)。これは、情報提供として本部からあったのか、ご自身が閲覧したのかは定かではありません。
このことからも、ジョーさんの言葉を借りれば、事実根拠の提示となれば、宿坊の掲示板で議論していることの中でも、憶測の域を出ないものが多々出てきてしまいます。

裁判自体は3名と対学会本部であり、他人である我々がどうこうできる話ではありません。
そのために裁判所があるわけで、裁判の中身について議論しても価値的であるとは思えません。(関係者なら話は別ですが)

大事なことは、その一つの事実(仮想でもいいですが)を捉える我々が千差万別であり、かたや師匠招致もOK、いやそんなことは絶対あってはならないと意見が別れており、弟子とは何かーと多角的に意見を出し合うことだと思います。
そうだな、本当に弟子とはそうあるべきかもしれないーと認識をあらたにすることいいわけです。

掲示板で善悪、真偽を判別することについては、一人一人のまなざしに委ねられますが、あくまでもライン(現場)で戦う私にとっては、悪を見抜く判断材料にもなっていますし、勉強させていただいておる次第です。
 

ヨッシー様、ヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年12月 5日(月)12時51分1秒
  おいヽ(^○^)ノ勃樹ちゃんと仕事しろよ(^○^)

ヨッシー様、いつも素晴らしいヽ(^○^)ノ

悪代官達に明日は来ねーぞ(*^▽^)/★*☆♪
 

裁判記録

 投稿者:ジョー  投稿日:2016年12月 5日(月)12時31分44秒
  ロマンさん

ぜひ、そうされた方がいいと思います。
重要なのは「事実」であり、見解を述べるならばそれに基づくべきです。
そもそも、学会員三名が池田先生を証人喚問した、などと誰が言い出したのですか?
出所はどこなのですか?
出所のわからないところで議論すべきではないし、
それが明確であるならば言い出した本人に直接聞いてみたいところです。
 

新年◯行会入場券

 投稿者:現場では…  投稿日:2016年12月 5日(月)12時03分31秒
  会館御用達の輪転機にての黒一色の
通常の入場券でございました。
経費削減とはいえ…
寂しい気持ちの新年入場券です。
 

本日も、実に生々しい信濃藩物語

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年12月 5日(月)11時43分44秒
  ・・・ヨッシー様、ご苦労様です。

しかし、実に生々しい傑作・痛快、痛快・劇場・・

書くのが実に大変だなと推察します。しかし、命名が実にうまいですね・天才・・・

悪の枢軸も大変な人を敵にしたもの。

真相を描いた痛快・ユーモアと茶目っ気たっぷりの小気味いいタッチの「信濃藩家中見聞」

永久に残るでしょうね。あ~毎日が楽しみ・・ワクワク・できるだけ長く続けばと期待。

しかし、本当に先生のお弟子さん方、素晴らしい人が銀河のごとく

今、その人々が雲集のごとく・・ここに・


ペンギン
 

「信濃藩家中見聞」 其の十七

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年12月 5日(月)11時11分8秒
  其の十七

城代「皆行の守! 新律令はいかがいたす所存じゃ!」

勃樹「はい、只今も律令方を締め上げて居ります。森中小判鮫太夫(もりなか・こばんさめだゆう)は早々に寝返りましたが、なにせ奴は文書が書けぬゆえ、何の役にも立ちませぬ。一番の問題は、律令方長官の遠藤法華守千恵蔵(えんどう・ほっけのかみ・ちえぞう)でございます。口を開けば『殿のご意思は』『過去との整合性が』と騒ぎたてまする」

城代「うむ。先日も呼び出してあの手この手で脅してみたが、一向にらちが明かん。それどころか、奴め、これまでの経過を文書にしてわしらを突き上げてきおった。しかもじゃ、わしが『命令に従えぬのは分派活動じゃ』と怒鳴りつけたら、奴め、『殿のご意思に背くそちらこそ分派活動でござろう』などと言い放ちおった」

勃樹「ほほう」

城代「何を感心しておるか。昨日は、『質問状』なる文書を持って、坂田の守の所へも出向いたようじゃぞ」

勃樹「大丈夫です、ご城代。坂田の守へは、頼綱さまが根回しをされて、口裏を合わせるようになっております」

城代「知っておるわ。だが、坂田は根がアホな上優柔不断、ちょっと突き上げられると、すぐオタオタしよる」

勃樹「たしかに。では、今のうちに律令方は捨てて、学問所にいる御用学者の二人にやらせるようにいたしましょう」

城代「それがよい。本年は、どうしても新藩律の発表までこぎつけたいからのう。律令方は解体処分にせい! 遠藤の代わりに小判鮫太夫を据えて、体裁だけ整えておけばよい」

勃樹「かしこまってございます」

城代「それがうまくゆけば、来年は第二弾を考えておる。実は、こっちが本命じゃ」

勃樹「本命?」

城代「まあよい。オヌシはさっさと学問所へ飛べ。もし歯向かう者があれば報告いたせ。徹底的に仕置きしてくれようぞ」

勃樹「では、これにて御免。(ご城代はマジだぜいw。昨年とはうって変わって強気だわ。ついに殿を見切ったな。しかも来年は本命? ひよっとしてやっと拙者の時代が到来か? フョッ、フョッ、フョッーのフョー)」

(つづく)


※これまでの投稿はこちらを。
壱の巻(平成二十五癸巳ノ年)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/60751
弐の巻(平成二十六甲午ノ年)
其の十三  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60907
其の十四 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60959
其の十五 http://6027.teacup.com/situation/bbs/61015
其の十六 http://6027.teacup.com/situation/bbs/61055
 

限界突破

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年12月 5日(月)10時48分54秒
  創価教育学体系一巻より 学問発達の三段階

「第一期は人類は多数相集り社会を形成して種々の生活行動を日常経験しながらも、未だ真理に対する自力的認識の能力が発達しない。其れが為に先覚者の人格を信じて、其の人の言葉を一も二もなく尊重して、決して間違いはないと、少しの疑いもなく信仰する時代である。」

「第二期は人智がやや発達して、今迄他人にのみ依頼して居た状態の中に、自分の経験からたまたま或真理を発見して、自己の力を過信して来る場合である。あたかも或る小さな発明家が其の初期に於ては、他人から見て児戯に類するようなことでも、非常に熱中し、誇大に信じて、其の価値を正当に判断するに遑(いとま)がない状態の如く、一切の真理を自分の経験に依って決定せんとする時代である。」

「第三期は自分の力をむやみに過信した第二期生活の反動として、単に自己経験のみに執着せず、広く衆人の同様な経験を比較対照し、且出来るだけの材料を集め、それに依って科学的、合理的の概念・理法を構成する時代である。」

::::::::

信心(人間革命)においても、同じ三段階の過程をたどるのではないか。信心したての第一期は、組織や先輩の言う通りに信心活動に励み、疑わずに実践していくことが肝要である。そこで信心の基礎と、福運の基盤を構築していくこと。土台をつくることに専念し、素直に吸収していく時期である。

第二期は、ある程度の信心のコツをつかんでいる状態であり、組織や先輩に頼るのではなく、自分の頭で考え行動する、信仰者としての自立の段階である。いろいろな指導があるが、「自分はどう思うのか」と、自身の考えを明確にし、自立する。皆が聞きたいことは、「先生はこう指導されている」ではなく、その上で、「あなたはどう思うのか」という、「あなた自身の言葉」である。

第三期は、自立した信仰者である自身に限界を感じ、洗練された信仰者へとバージョンアップする段階である。自身の考えを確立することはよいが、その場合、独りよがりになるリスクがある。また、自身の考えがすべて正しいわけでもなく、自己満足にも陥りやすい。御書や創価三代の指導、さまざまな人の考えや経験等と、照らし合わせ、自分の信心が、仏意に合致しているかどうか、広宣流布のためになっているか検証していく。

信心していても、人として成長しなければ、価値を生み出せない。牧口先生は、教育の発達において、第一段階を出ることがないことを歎かれた。信心も、第一段階で止まっていては、これからの、弟子の時代を乗り越えることは出来ない。限界を突破し、洗練された信仰者へと信心を深化させる必要がある。その先に、自身の発迹顕本も、出世の本懐の成就もある。また、54年体質脱却のキーにもなる。

組織や幹部(先輩)、池田先生頼りの第一期の信心から、自分の頭で考え行動できる、自立した第二期の信心へと成長すること。そして、限界を感じ、御書、三代会長の指導、種々の考えや経験から比較検証し、洗練された信仰者へのレベルアップの第三期の流れが、人間革命の道である。創価学会とは学ぶ会であり、学ぶということは、成長するということなのである。
 

おはようございます!

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年12月 5日(月)09時58分53秒
  ゲスっぷりが止まらない安倍及び自公ナサケネー政権。

いい加減に目を覚ましたほうがいいですよね。

我々は、サイテー政権に振り回される日本国民であり、

世界中から「驚くべき羊群」であると、「大災害時のパニック極小の整然」を裏返し、

こういう事なのかという驚嘆の現状。



ところで、安倍の内閣参与の面々、面妖な人間がいるいる。

たとえば、飯島勲。

この人、『ひみつの教養』(プレジデント社)という本を出しております。

この本、一言で言えば「不祥事をゴマカす卑劣な手口を自慢げに公開」した、

「正義なんてばかばかしくって」本。



こういう「悪知恵指南書」の類を世間に出すようないかがわしい荒事師を、

いわゆる「政界の寝技師」のごとく重用するのって、どう思います?



つまりですね、安倍及び自民公明はですね、このような人物の目線で汚染されている、

モラル無き低能政権であるから、恥も外聞も、社会人を納得させる「わきまえ」も捨てて、

強行採決を毎度の定番にし、憲法をバカにして、国会を冒涜し、国民をコケにし、

恐れ多くも国庫(税金だろー)に巨大な穴を開け、くれてやっちゃうんですよ、国民以外に。



それを、追随ですよ、執行部シナノ藩家中は。



彼等の指示にやすやすとのっかり国を破壊して、多くの国民に、「善の顔」した狂人「破壊者」

と認識されている、それが事実なのに、いつまでも疑いもしない常識しらず、井の中の蛙、

何を言っても蛙のツラに○○、そんなふうな人もいますが、大方もう分かっています。



聖教珍聞ですが、ある意味70年前の大本営発表とそう変わりません。

公明珍聞も、安保賛成時の「マンガ」(やけに大きな目玉が登場する)を見て、

こりゃ駄目だと思いました。会員を平気で騙していますよ。

これら機関誌は、記事が適宜まだらにグレーとなり、どう見ても魔に食い破られています。



真実への窓は、赤裸々な事実と、思いの吐露が詰まっている、この宿坊しかありません。

宿坊の掲示板は、目覚めた会員にとって、暗夜行路の灯台のような存在です。

本当にありがたいです。

今、元職三人の事での議論も、組織では出来ないことがここでは正直に行われているのです。

前を向いて、進んでいる証拠です。

今少し事態を見守りましょう。





 

二十一世紀への対話18

 投稿者:まなこ  投稿日:2016年12月 5日(月)09時43分56秒
  【池田】 近年、精神身体医学等によって、精神と肉体の相互関係は、学問的にも一般に認められるようになりました。また、メダルト・ボス等の医学者は、心的エネルギーと肉体的エネルギーが人間生命において相互に交流し合うという考え方を示しています。このような考え方は、生命を“色心不二”と把握した仏法の思考法に合致するように思われます。
しかし、仏法ではさらに思考を進めて、精神・肉体が渾然一体となって脈動し、能動的活動を続ける生命の本質を、宇宙生命との関連から考察していきます。私はこうした仏法の考察に立つとき、初めて精神と肉体の不二の関係をただ認識するだけでなく、生命を新たな創造の方向に能動的に生かし、有機的に発揮させることが可能であると考えます。

【トインビー】 私も“色心不二”は地球上ないし他の天体に棲息するあらゆる生物種の各成員の姿に認められるものであり、また宇宙生命の流れの一部をなしていると考えます。さきにも述べましたが、生物の各個体はいずれも宇宙と同一の広がりをもち、それゆえ全宇宙そのものと同じなのです。ヒンズー教の“タット・トヴァム・アシ”(汝はそれなり)という格言は、生物個体と“究極の実在”との関係についての真理を示すものであると私は信じています。
 

柳チャ~ン、ホントに必死だね~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年12月 5日(月)09時35分36秒
  おはよう柳チャン、本日のお題「カルト化する一方の福岡一味」、ホント毎日必死だね~(笑)

すでに、ジャッカルさまが斬っていらっしゃるので、小生からは一言だけね~(笑)

>これらは過去の教団脱会者とウリ二つの行動といえよう< って(笑) これってスリ替えだよね~(笑)

いいかい柳チャン、過去の脱会者は常に師匠がターゲットだよ。元3名の方は、執行部がターゲットなの。

相手が全然違うのを、さも同一化して、スリ替える印象操作だね~(笑)

何回も言うけど柳チャン、柳チャンはさ~、元3名の集会に行って、取材して、モノを書くべきだったんだよ~(笑)

日蓮大聖人だって、公場対決を要求してたじゃな~い。師匠も法論として公場対決したでしょう。

自称「妙法のジャーナリスト」なんだから~、どうして公場対決しないの? って問題なのよ~(笑)

公の場からは逃げまくり、陰でこそこそとコラムで文句いっても説得力ありませ~ん。(大笑)

今度の外国特派員協会での記者会見が最後のチャンスだよ~(笑)柳チャン、

柳チャンも一応ジャーナリストの端くれなんだから~、行って取材すればいいじゃな~い。

ぜひ、直接取材したうえでのコラムを期待してるよ~、ガンバレ、柳チャン(笑)
 

ちょっとむかっ腹が立ちましたもんで……

 投稿者:ジャッカル  投稿日:2016年12月 5日(月)08時22分53秒
  柳原滋雄氏のコラムを毎回読んでいますが、珍しく感想を書きます。

>すべて我々が正しい、学会本部は間違っている――。職場や教団組織に多大な迷惑をかけ、追い出された人間たちが、自己正当化の論理をあからさまにしている。これらは過去の教団脱会者とウリ二つの行動といえよう。

学会本部の一部の、しかも決定権を持っている質の悪い者が間違った事をして、それにまっとうな意見をして問題が始まったのです。そういう事実が自己正当化云々なんですか?

>また教団内における金銭的不祥事を明らかにせよという主張だが、彼らの主張は所詮は伝聞ベースにすぎない。さらに社内の問題を社外にすべて公にしている団体があるなら教えてほしいくらいだ。

伝聞ベースに過ぎないとは、いかにも本部職員が使いそうな逃げ口上ですね。伝聞と言い切る根拠は何か示してもらいたいものです。また社内の不祥事云々とありますが、金銭不祥事の原資が、純粋に信心を頑張っている会員さんの気持ち、先生に使ってほしいと願う真心なのだという事を、柳原氏は分かっているのでしょうか?
単なるその辺の会社の社内不祥事などとは、問題の質が根本的に異なるのですが、その事が柳原氏は分かっていますか?

>受け入れて反省するか、受け入れないままで開き直るか

納得もさせないで、権力で押し潰すやり方を肯定する話で、完全に本部寄りですね。先生は、指導できないものが官僚主義に走るとおっしゃられていましたが、まさにその典型です。

>自身の足元を見つめることのできない者たちは、どこまでいっても暴走を続けるしかない。これら一連の行動を“主導”している人間は、本当に罪深い。

これはそのまま柳原氏にお返しします。自分自身の事なので、さだめし書きやすいでしょう(笑)

柳原氏が一方の情報のみで書いているのがよく分かるようで、こういうのを「提灯記事」といいます。

ジャーナリストを名乗るなら、これは恥ずかしい事ですよ。もし柳原氏の大脳の恥を感じる部分に埃が詰まっていなければ、今からでも反対側の情報をしっかり取材して、公平な記事を書くべきです。

いずれにしても柳原滋雄コラムは、くだらないブログになってしまいました。残念です。
 

大樹様

 投稿者:気になった  投稿日:2016年12月 5日(月)07時53分57秒
  返信ありがとうございました。

よく覚えていらっしゃって、本当に池田先生の指導を心に刻んでいるのだなと感じさせていただきました。

私も池田先生の指導をもっともっと学び、先生の指導を通して話ができる、そんな自分に成長できるよう精進して参ります。

 

本日掲載の聖教珍聞、本部幹部会でのメッセージについて

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年12月 5日(月)07時17分4秒
  平面的に整えられた先生のメッセージですが、これ、PCモザイクで作ってませんか?

ちょっと違和感で、過去文を探ってみますね!
 

今週のことば 2016年12月5日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年12月 5日(月)06時52分20秒
  身近な所に青年がいる。
明るく声をかけよう!
「仏種は縁に従って起る」
共感の輪を広げ
地涌の友を呼び出せ!
 

「心の財」第一なり

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月 5日(月)06時15分20秒
編集済
  2010年 大百蓮華12月号に紹介された奈良婦人部の話題。

≪巻頭言より抜粋・「心の財」第一なり≫

忘れ得ぬ奈良広布の母は、病弱な夫を抱え関西を走った。
家の塀一面にペンキで悪口を書き立てられたこともある。
母は胸を張った。「中傷は誇りや。世界最高の妙法と師匠と学会を知った嬉しさ!
負けたら信心の実証は示せない。
絶対、負けへん。すべてに逆転勝利しました」後輩を慈しむ、
97歳の錦宝の母の心は、今も荘厳な太陽と燃える。
「心の財第一」(1173㌻)の創価の母たちには、いかなる魔軍も敵わない。

*****************************

大白に草創の奈良広布の母:有馬のぶさんが紹介されました。
「有馬よ、恥じをしれ」と初代婦人部長の有馬のぶさんの自宅
の壁には大きな落書きが書かれました。
(添付写真は"大和タイムス"より。現在の奈良新聞。)

有馬さんは、落書きをあえて消されませんでした。それは
「池田先生の弟子である私は(有馬)こんな事では負けへん!」
「池田先生に奈良の有馬は大丈夫です!」と断固、負けへん!
と闘い続けたのです!広布の母ありて学会は磐石なりです。



拡大写真↓
 

記者会見が楽しみ

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年12月 5日(月)01時48分18秒
編集済
  こうやっていろいろ想像するのもいいかもですね。

「自分の裁判」ってゆう感覚がなかったかもしれませんよ。

懲戒解雇処分の無効を求める裁判=相手の非を認めさせる裁判

一般のよくあるケースだど、解雇無効・復職したいで訴えて、裁判で勝っても復職しないでお金で解決みたいです。

3名の場合、たぶんお金目的ではないですよね。相手の非を認めさせるのが目的。復職したいは本当でしょうね。でも裁判の途中で除名処分されて、裁判で勝っても復職できなくされました。

証人申請書(でいいのかな名前が書かれていたのは?)の現物を見てみないとわからないですね、日付もわかるし、趣旨も書くみたいです。

弁護士が途中で変わったと、あの人が書いていましたよね、3人だって初めての裁判?最初の弁護士にまかせていたらそうなっていたとか。


3人には言いたいですね、対面して言うとたぶんこんな感じになります
この裁判もう終わってんだろ、先生の名前の証人申請書の経緯いえよ、裁判の一番の目的は何だったんだよ、みんなわからないんだよ、まあ一つではないよな、いいよ全部いえよ、やっぱり聖教減部除名事件が許せなくてこうなっちゃったんだろ、どうなんだよ、いま継続中の裁判、時間の無駄、相手がくだらない、ばかばかしい、次の仕事の目途が立っているならいいけど、そうでないなら、本当にくだらないから、ばかばかしいから、仕事探しとかに使ったほうが価値的、将来本部職員なんてなくなるんだよ、全員ボランティアスタッフになるんだよ、その時声かかったらやってあげればいいんだよ、裁判なんてもう結果わかってるんだろ、やめろよ、その時間使ってブログを充実させろよ、そっちのほうが絶対いい、前に頼んだだろ、コピペ出来るようにしろよ、県名も使うなって、本が県名になってるからもう遅いよ、わるいけど全部西暦にして、本に合わせるしかないよ、サイレントアピールは座談会も兼ねてるからいいかもしれないな


12/8の記者会見が楽しみですね。
 

青年山本伸一を心に描きつつ

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年12月 5日(月)01時38分36秒
  とは言いながらも

>自分も仮に本部から除名されるようなことがあれば同様のことをするつもりです。
先生を証人としてはいけない道理はありませんから。

大道さんのお言葉を借りますが、不思議なもので除名された3名の方をとおして、掲示板内でこのように意見が分かれる。

虹と創価家族さんはきっと除名されても先生を証人として呼ばれないのでしょう。
それは、虹と創価家族さんご自身の心の問いかけなのです。青年山本伸一だったらどうするだろうかと。これは、神格化とかの話ではありません。池田先生が戸田先生に対してどうであったか。
民事だろうが刑事事件だろうが同じことです。
妙法流布の永遠に指揮を執れる不老不死といえども、先生は89歳を間近に控えられ、肉体も衰弱されていると私は思っております。

このことをブログにも記載すべきだと思いますが、裁判の戦略上されなかったんでしょう。

ジョーさん
>三名の方に直接聞いてみたらどうですか?

一番正確なのは裁判記録を見ることですね。三名に聞くよりは第三者機関の記録を参考にすべきと考えます。提出した事実を確認するならです。
場合によっては閲覧に行こうとも私は思います。
この内容によっては誰がデマを流しているかどうか判別できます。
 

事実が不確定なことについて

 投稿者:ジョー  投稿日:2016年12月 5日(月)01時16分23秒
  元学会員三名の方が先生を証人喚問したとかしないとか、そういう話が出ていますが、
そもそも事実かどうかもわからないことを議論する意味ありますか?
どこまでいっても憶測です。
ここで『事実だとしたら』と付け加えて推測されている方々、事実かどうか確認するために三名の方に直接聞いてみたらどうですか?
話はそれからだと思います。

魔は、讒言をします。
デマを流します。
私も、そういう経験があります。
デマがデマを呼び、話が全く別のものになってしまいます。

私は常に、会って確認する、いつ、どこで、だれがを明確にするよう、心がけてきました。

事実かわからないことをいちいち話すのは不毛です。
そんなに気になるのであれば、事実なのかどうか、まずはっきりさせるべきです。
それから議論したらどうですか?
 

虹と創価家族 様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年12月 5日(月)01時11分10秒
  横レス、申し訳ありません。

私なら、しませんし、絶対にしてはいけないと考えます。

役職解任になった友人が、方面長から、「除名者を庇って、お前が除名になったらどうするのか?」と訊ねられ、「勝手応援団を作って学会を守ります」と応えたこと、
安保法案に反対したことで契約を更新されなかった某教員の方が、「今年が無理なら次の年に契約をお願いします。それもだめならその次の年にお願いします」と言って、労働争議にしなかったことに、
共感しています。
 

虹と創価家族様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月 5日(月)00時41分39秒
  すみません、ちょっと仕事の合間に投稿していたので読んでなくて
論争になってるのに気づきませんでした。

私も虹さまと同じく除名されようが何されようが先生を証人申請
なんか絶対しません!

そんな発想は微塵もありませんね。聞いてびっくりします。

 

saysaysay様

 投稿者:大樹  投稿日:2016年12月 5日(月)00時02分26秒
  賛同頂きありがとうございます

ハイ
おっしゃる通り、多くの人が秋谷フィルター、原田フィルターを通した活動していたと思います
職員、幹部、議員は最たるものです

先生が「私1人だった」と
またマサキさんに「遊んでいるようなものだ」と厳しく御指導されたのもそういうことだと思います

「私1人だった」
今こそ、私自身も先生につながる戦いをしていきます
それなりに頑張ったつもりできましたが
「私1人だった」と師匠の弁
まだまだだったことを素直に認め出発したいと思います

虹と創価家族様
全面的に賛成致します
彼等の勇気は本当に尊敬します
しかし、原田会長を糾弾したいのか?
創価学会の全てを糾弾したいのか?
判別しかねるところがあります

原田会長を糾弾したいのならば絞るべき
正木さん、先生の御子息まで槍玉に上げる手法は納得できません

また、元職員の側に立ち解説されている方も数人おられますが、その方達は元職員と話、理由を聞いたのでしょうか?
まるで彼等から聞いたように書いておられますが

彼等にお願いしたいのは、彼等はブログに書き込んできた人達
皆の疑問に是非、ブログで説明して欲しいと思います

せっかく他の方が投稿して下さっていることに水を差して申し訳ありませんが、
やはり真相は本人しか分からないのですから
是非本人達にブログで答えて欲しいです


 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年12月 4日(日)23時42分26秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

善の連帯

 投稿者:ジャッカル  投稿日:2016年12月 4日(日)23時31分18秒
  分かりきった事ですが、あえて書きます。

ここは掲示板ですので、反板の住人や本部の連中が工作員よろしく、分断工作に励んでいます。

また、なりすましや、些細な事を煽り立てて、相手にボロを出させて書き込んでいるのが誰かを探り出そうと、血まなこになっています。

黄金柱さんの仰るとおりです。

方向性さえ間違っていなければ、善の連帯を大切にしなければ。

出発点に戻って、まともな創価学会を取り戻しましょう!
 

同盟題目23時開始

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年12月 4日(日)22時57分40秒
  よろしくお願いします。同盟題目は任意参加です。

皆さん、お題目をあげていきましょう。
池田先生のご健康の為に。

昔、外部の方ですが、映画監督の松山善三さんが
皆さんが題目三唱だけでもいいから、池田先生の健康の為に祈ってほしい。と話されていたことを聞きました。
 

生命の基底部!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年12月 4日(日)22時10分35秒
編集済
   生命の「基底部」を変える!
 それが人間革命だと。多くの言葉はいりません。納得です。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/61085





 

一言!

 投稿者:黄金柱  投稿日:2016年12月 4日(日)22時06分46秒
  方向が間違っていなければ多少は「問題ない」と思います。

楽しく行きましょう!

あくまでも「善の連帯」を大事にしましょう!
 

法華経の智慧・如来寿量品第十六より基底部を仏界にしていくのが成仏ということです

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年12月 4日(日)21時22分38秒
  生命の「基底部」を変える

須田 最後に、もう一つ確認しておきたいことがあります。十界互具論の目的は、人界所具の十界、なかんずく仏界を涌現するところにある──これは納得できるのですが、そこで疑問になるのは、宇宙に百界があるように、人間の生命にも百界が具わっています。それでは、その「人界の生命の百界」には、どういう意味があるのかということです。

斉藤 たしかに御書では、「人界所具の十界」に焦点を当てて論じておられます。そのうえで、一個の人間が十界互具(百界)の当体であるというのは一体どういう意味になるのか。それとも論じる意味がないのか──という疑問ですね。

池田 一つのとらえ方として、生命の「基底部」を考えたらどうだろう。「基底部」というのは、同じ人間でも、地獄界を基調に生きている人もいれば、菩薩界を基調に生きている人もいる。

斉藤 地獄界を基底部にするというのは、ちょっとしたことでもすぐに落ちこんでしまう──などという傾向性もそうですね。

池田 いわば、生命の「くせ」です。これまでの業因によってつくりあげてきた、その人なりのくせがある。

斉藤 それは、その人の「パーソナリティ(人格)」とかも含まれますね。

遠藤 その人がいつ一も立ち返る「拠点」というか、「マイホーム」というか(笑い)、生命の根本軌道でしょうか。

池田 バネが、伸ばした後もまた戻るように、自分の基底部に戻っていく。地獄界が基底部といっても、四六時中、地獄界のわけではない。人界になったり、修羅界になったりもする。修羅界の「勝他の念」を基底部にする人でも、ときには菩薩界や天界を出すこともあるでしょう。

須田 それを「修羅界所具の菩薩界」と言っていいわけですね。

池田 しかし、修羅界を基底部にする人は、一時的に菩薩界を現出しても、また、すぐに修羅界に戻ってしまう。この基底部を変えるのが人間革命であり、境涯革命です。
その人の「奥底の一念」を変えると言ってもよい。生命の基底部がどこにあるかで、人生は決まってしまう。譬えていえば、餓鬼界が基底部の人は、餓鬼界という船に乗っているようなものだ。
餓鬼の軌道を進みながら、その船の上で、あるときは笑い、あるときは苦しむ。さまざまな変化はあるが、船は厳然と餓鬼界の軌道を進んでいる。ゆえに、見える風景も餓鬼界の色に染まっているし、死後も、宇宙の餓鬼界の方向に合致していってしまうでしょう。
この基底部を仏界にしていくのが成仏ということです。もちろん基底部が仏界になったからといっても、九界があるのだから、悩みや苦しみがなくなるわけではない。しかし人生の根底が「希望」になっていく、「安心」と「歓喜」のリズムになっていくのです。

戸田先生は言われた。
「たとえ病気になっても『なにだいじょうぶだ。御本尊様を拝めばなおるのだ』と、それでいいのです。そして、安心しきって生きていける境界を仏界というのではないのか。それでいて、仏界に九界があるのだから、ときに怒ったり困ったりもする、安心しきっているのだから怒るのはやめたとか、なんとかいうのではなくて、やっぱり心配なことは心配する。しかし、根底が安心しきっている、それが仏なのです」
「生きてること自体が、絶対に楽しいということが仏ではないのだろうか。これが、大聖人様のご境涯を得られることではないだろうか。首斬られるといったって平気だし。ぼくらなんかだったら、あわてる、それは。あんな佐渡へ流されて、弟子にいろいろ教えていらっしゃるし、『開目抄』や『観心本尊抄』をおしたためになったりしておられるのだから。あんな大論文は安心してなければ書けません」

須田 先ほど、池田先生が紹介してくださったように、戸田先生は苦境の中でも「太平洋のような大境涯の信心」をもっておられた。これも″根底が安心″ということではないでしょうか。

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善意の人の集まりですが、途中で空中分解してしまうかもしれません。
自分の考えに固執しすぎると、どんどん方向が違ってしまって、せっかくの志が頓挫してしまいます。
生命の基底部が闘う「仏」なら少しぐらいの考えの違い等どうーってことありません。
敵は巨大ですが、立ち向かう勇気を失くさないように。
 

問題・課題は山積とありますが…

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年12月 4日(日)21時18分24秒
  ご高齢の先生 奥様には
安心して頂きたいです。
これ以上ご心配をお掛けしたくはありません。

先生と奥様には少しでも安心と心休まる時をご夫婦で
ごゆっくりと過ごして頂きたいとの思いです。

ご高齢の先生にこれ以上ご心労をお掛けするのは
心苦しく 心痛いです。

『どうかご安心下さい』と
言える戦いをしたいです。
法廷の場に先生をお呼びする事は
先生の寿命を削り取るようなものと私は思います。


元職員三人さんが
証人申請したのかはわかりかねますが それ以前に
身体に問題がないのであれば
バイトでもいいからお仕事を
探す戦いをされるべきと思います。

まだまだ青年
頑張って頂きたいです!

 

「やっぱり優しさがいい」

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月 4日(日)20時57分21秒
  特集 宮本輝
昭和59年 PHP

自分の人生体験を人様に教訓めいてい語る資格はまだないが、37歳という短い歳月の中で味わった最大のやさしさとは何であったかを思い浮かべてみたい。
私は昭和47年の10月、25歳のときに、創価学会に入会した。自分が、得体の知れない病気にかかったことが一番の動機であるが、これほどまでに世間やマスコミに攻撃され続ける宗教は、あるいは徒鉄もない哲理を掲げているかも知れないと感じたからであった。
私が小説家になろうと決意したのは、それから3年後であり、蛍川で芥川賞を頂戴したのは、さらに3年後であった。芥川賞を受賞して半年ほどたった頃、私は創価大学で池田先生とお逢いした。
池田大作氏は私にとって師匠であるから、ここでは先生と書かせていただくことにする。

よく晴れた日で、大学の構内には、私と同年輩の友人たちが集まって日なたぼっこをしたり、とりとめのない話に興じていた。すると、遠くから池田先生の近づいてくる姿が見えた。先生は私たちの前で立ち止まりひとりひとりに近況を聞き、激励をし握手をかわした。
だんだん私の方に近づいてくる。ところが、先生は私に目もくれず、私をとばして、隣の青年と話をし、これから大学生たちの催すフェスチバルを見ようと語った。私だけを外してである。
私は先生と一瞬目が合うたびに何かしゃべろうとするのだが、口を開きかけると、先生はじつに鮮やかに視線をそらしてしまう。とりつく島もない。みんなは先生とともに去ってしまい、私一人が残された。私は腹が立った。先生が、わざとそうしたのであることは判った。判っただけに、よけいに腹が立ち「なにが池田大作だ。えらそうにしやがって」と思ったのである。私は電車に乗ってホテルへ帰る道すがらも、ホテルに着いてからも、腹が立って、腹が立ってしかたがなかった。

そのうちに、なぜ池田先生が、私にそうしたのかを考え始めた。私は、自分が少し恥ずかしくなってきた。俺は芥川賞作家なんだぞという言葉が、私の中から聞こえてきたのである。自分はなんという嫌らしい顔をして、先生の前に立っていたことだろう。先生は、そんな私のすべてを、瞬時に見抜いたのだ。ああ、俺はなんというちっぽけな恥ずかしい人間だろう。俺は自分の頭の後ろに、
「芥川賞作家でござい」という看板を立て、弟子の分際で師匠を待ったのだ。それに気付くと、私は転げ回りたいほど、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなったのである。あした、たとえ池田先生に「宮本輝なんか知らないよ」と門前払いされようとも、自分は自分の非を遠くからお詫びをし、ご挨拶をして大坂に帰ろうと思った。翌日、私は、再び創価大学へ行った。ちょうど大学祭の日で、先生には来客が多かった。しかし、校舎の廊下で私は先生とお逢いすることが出来た。
先生は私を見るなり、自分の方から歩み寄ってこられ、「きのうはごめんね」と小声で言われたのである。私はまだ何も言っていない。自分の驕りや非礼をお詫びすることばをひとことも口にしていないのである。そして「私と君の間には、世間の肩書きなんか、なんの関係もないんだ」と、
そう言われたのであった。私はこの7年前の出来事を生涯忘れないだろう。

あの時、池田先生に叱られていなかったら、私は青二才の分際で、芥川賞の看板を盾に一人前の作家ずらをして闊歩し、天下を取った気分で驕り高ぶるつまらない作家のままで終わったに違いない。
あの時の、先生の叱責は、おそらく、私のこれまでの人生で受けた最も大きな優しさである。
この小さな地球のさらに小さな日本の中で、一時的にもてはやされ肩書きを付けられても、それがいったい何だろう。『世間の肩書きなんか、なんの関係もないんだ』これは人生を考える上でも、
深い意味を持つ言葉だと思う。人間を育て、蘇生させる優しさには、強力なエネルギーを必要とし、
まず先に相手を理解する深い懐が必要だ。いま人々は叱ることが下手になった。裏を返せば真実の
優しさをも忘れたと言えるのかもしれない。
(創価新報(1999年9月6日付け)「私のなかの創価学会 宮本輝」)
 

以前にティニーさんから受けた質問です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年12月 4日(日)20時55分22秒
  虹さん関連の一連のやりとりをみていて
このことを思い出しました。

信濃町の人びと様  投稿者:ティニー
投稿日:2015年 2月22日(日)00時18分38秒   通報

”一部を省略します”

自身の心根が先生と御書だけに極端になれば、先生と御書以外に信仰心を持っている方々は、その極端さに触れ、法以外に執着しているものを守ろうとします。

先生や法を、自身の弱い生命で下し、自らの行為を肯定しようとするのです。

そこに連帯が加わると、排斥する作用がうまれます。
要は突き詰めると皆、身軽法重ではないのです。


そして私には除名になる宿業でもあるのでしょう。


最後に信濃町の人びと様、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか?
以前創価班会で、担当幹部の方が話してくれたのですが。
先生が参加された会合に着任についた時、先生と役員で唱題する機会があったそうです。

先生は突然皆の方に振り返り、

「今、私が拳銃を突きつけられたら、私の身代わりになれる者はいるか!」
と、言われたそうです。

信濃町の人びと様、一瞬の躊躇もなく、先生の身代わりとなって死ねますか?
 

小作人様に同意

 投稿者:大道  投稿日:2016年12月 4日(日)20時14分52秒
  自分も仮に本部から除名されるようなことがあれば同様のことをするつもりです。
先生を証人としてはいけない道理はありませんから。
 

小作人@地上の発心へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年12月 4日(日)20時10分32秒
  >自分が彼らの立場だったら同じことをします。<

ご返信誠にありがとうございました。
お心が良くわかりました。

 

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