読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

安全確認できないと一歩も前に進めない

先日、ソフトバンクの孫さんが、中国のファーウェイと手を組んで、クルマの自動運転の開発に乗りだすというニュースがあった。

この分野では、グーグルが一歩進んでいる印象だけれど、ソフトバンクの孫さんは魔物だから、進化を一気に加速してしまうかも知れない。僕らの生活には、自動運転の影がヒタヒタと迫っている。


安全な世界

自動運転が、どういったステップで進化していくのかは分からないけど、最終的に、すべての運転手は座っているだけでよくなるんだろう。

走っているクルマを、ぜんぶ制御してしまえば、信号も形式的になるだろうし、事故も激減すると思う。

むろん、機械のセンサーに、100パーセントはないから、事故をゼロにはできない。でも、アクセルとブレーキを踏み違えて病院のエントランスに突っ込む、なんて悲劇は無くなるはずだ。

事故も減って、より安全な社会になる。それはとても素晴らしいことだ。しかし僕は、その未来を両手をあげて歓迎する気にならない。


手動運転

初めて自転車に乗れたときの感覚を覚えているだろうか。あれは僕が、小学校にあがるちょっと前だった。ともかく自転車に乗りたかった僕は、ガレージから母の自転車をこっそり持ち出して、飛び乗ってみた。

もちろん、最初からうまく乗れるはずもなく、転んでは立ち上がり、何度もトライアンドエラーを繰り返して、やっとペダルを漕ぐことができた。

どれくらいの時間で乗れたのか、記憶は定かではないけれど、思ったより重いペダルを踏む感触と、体に吹きつける風の勢いは今でも覚えている。

何度も倒れたせいで、手の甲やヒザを擦りむいて、体は傷だらけ。母の比較的新しい自転車には、もっと深いキズがついてしまった。


FUN TO DRIVE AGAIN

僕がけっきょく、なにを言いたいのかというと「自動運転なんてクソッタレ」ってことなんだ。自転車にしろ、クルマにしろ、馬にしろ、すべての乗り物は、自分で運転するから楽しいんじゃないか。

むかし、どこかのラジオ番組に出ていた氷室京介は、趣味はドライブだと言った。そこで司会が「ドライブがなぜ好きなんですか?」なんて聞いたんだけど、氷室京介は「曲がりたいところで曲がれるから」と答えたんだよ。

伝わるかな、この感じ…。

電車やバスはまっすぐにしか進めない。ましてや、自動運転なんかになったら、目的地を入力したらお終いじゃないか。

そして僕らは、安全確認できないと、一歩たりとも前に進めなくなる。僕はそんな玩具になりたくないんだ。右へ習えで落ち着き、一日を選べない。人形とも違わない。そんな奴らは好きじゃない。そんなマリオネットに、僕はなりたくないんだ。

セーフティはベターだけどベストじゃない。この世界は、バットフィーリングぐらいが丁度いい。