母親と暮らしていた。水商売だったから夜は一人だった。いつも男を家に上げていた。子供が寝ている横でセックスをしていた。
休日になっても夜型の母親はいびきをかいて寝るだけだった。友達は貴重な休日を家族で出かけて過ごしていたから、休日が辛かった。
一人で出かけて、時間を潰して帰るのがいつもだった。自分を害する気はなかったと思われるが、子供にとって放置が最も苦しかった。
およそ娯楽と呼べるものは家にはなく、しかしブランド物のカバンが複数あった。母親の男は決して長くはないスパンで入れ替わっていた。
父親に引き取られた。再婚していた。新しい母親には罵声を浴びせられた。出て行け、生きている価値がない、といったメッセージが多かった。
しょっちゅう折檻をされた。寝坊したときに15分以上の折檻を受けたこともある。今からだと余計遅刻するだろと思うがお構いなしだった。手足を縛られて押し入れに押し込められたこともあった。
父親も罵声を浴びせてきた。酒を止めようとしても飲み続ける姿は嫌いだった。
高校生の時、アメリカに1週間ほど留学できるという主旨のプリントが学校で配られた。
20万円ほどだったので安い方だと思うが、うちでは行けないと分かっていた。アルバイトをしても間に合わない。何とか策はないかとしばらくプリントを放置していた。期限が過ぎてプリントを処分した。
それから一ヶ月経って何かの拍子で父親と言い合いになった。プリントのことをなじられた。「あんなプリントを置いて、行かせてくれるとでも思っていたのか。うちの経済事情を考えることも出来ない自分勝手なやつだ」もう捨てたんだし期限も切れたんだから放っておいてくれよと思った。
母親からはお前の教育費は高いと言われた。自分は公立なので、私立の他の兄弟よりは圧倒的に安いのだが、高いと言われた。
小学校の時、○○病というのが流行った。女子の集団にやられた。
友人だと思っていたグループで実は嫌われていて、自分一人でそのグループの数人をイジメていたということで排斥された。傘でぶん殴ろうと脅す卑劣なやつ、という事実とは違う形で親に伝わっていた。
教師にもよく殴られた。隣の教室で先生同士の授業参観があって、自分のクラスは自習だった。みんな喋っていた。自分も喋っていた。先生が怒鳴って「騒いでいるのはどいつだ!」と言った。自分だけ手を上げた。自分だけ殴られた。おかしい。自分だけが喋っていたわけじゃないのは分かっているはずなのに。
また別のイジメを行っていると言われた。半年に及ぶということで6回全身を殴られた。
高校では、女に嫌われまくった。何かと指を指して笑われた。
クラスの出し物で、ダンスをすることになった。全員で手をつなぐ場面があった。隣が女子で、そいつは自分のことを気持ち悪がっていた。通し練習で初めて手をつなぐ場面をすることになった。その女子は友達の女子と「地獄がやってくる」などと言っていた。友達の方も「聞こえるよ!」なんて言っていた。聞こえていたので用事を付けて練習から抜けた。もう参加しなかった。
大学は途中から最低限しか行かなくなっていた。女に振られたからだ。その女はレイプされそうになったと周囲に言っていた。それまでの学校生活で女不信になっていたところに致命傷だったと言える。女を警戒して暮らすことになった。
家事ができなくなった。朝起きたらコンビニに飯を買いに行って昼になったら飯を買いに行って夜になったら飯を買いに行った。何もやる気が起きない自分は弱いと思って栄養ドリンクを飲みまくったが何もやる気にならなかった。留年はギリギリ回避して卒業した。
就職した。先輩は酒の席になると自分を罵ってくる。それも二次会で上司がいないとき限定なので、飲み会は一次会で帰るようになった。
親が死んだ。その数カ月後にうっかり二次会まで行ったら事情をお構いなしで詰ってきた。そうやって暮らして6年たった。去年に先輩は異動して会わなくなった。
今日も気分は晴れない。
キミは間違っていない。正しい。