2016-12-04

日本死ね」を巡る議論について思うこと

なんというか、言葉の俗な使い方って難しいなと。

死ね」なんて言葉、そのまま文字通りに受け取ると「私はあなた死ぬことを望みます」って意味だし、憎しみのこもった強い言葉に見えてしまう。

でも「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」はそういう用法の「死ね」じゃなくて、もっとカジュアルものなんだよね。

例えば「毎日混みすぎだろ埼京線死ね」という投稿があったとして、ここに埼京線への憎しみや埼京線廃線になってほしいという願望を読み取ったら間違いで、当然この投稿から読み取るべきは埼京線が混雑しているせいで私は極めて不快な思いをしていますというメッセージ

まり不快感や怒りの感情を表明する際にカジュアルに使われる表現に「死ね」がある。もちろん品のいい言葉遣いではないけど、言葉遣いが悪いのが当たり前の匿名インターネット世界では頻繁に使われる。

これを古市氏は比喩表現と言っていたけれど、比喩表現という言い方はちょっとわかりにくくて、用法が違うと言ったほうが伝わりやすかったかなーと思う。

憎しみの表明としての強い「死ね」と、不快感の表明としてのカジュアルな「死ね」という2つの異なる用法の「死ね」があって、「保育園落ちた日本死ね」は後者。ここを混同すると議論がアサッテの方向にいっちゃう

別に対象が非生物だと比喩表現になるとかそういう話でもなく、カジュアル用法の「死ね」の場合対象人間でも本当に死んでほしいというわけではない。

以上を踏まえたうえで一連の議論で出てた意見への反論

・「死ね」がいいなら「殺す」もいいのか。

→そこに殺意憎悪が認められなければ当然問題はない。例えば仲の良い者同士のじゃれ合うようなコミュニケーションで「殺す」が使われる場合があるがそれは脅迫ではない。しかカジュアルな怒りの表現として「死ね」が使われることは一般的だが、「殺す」は「死ね」よりも主体性が高く“ガチっぽい”表現になってしまうためそのような用法で使われることは一般的でなく、にも関わらずわざわざ「殺す」が選ばれる場合は背後に憎悪がある場合が多いのではないかと思う。

日本に「死ね」と言わなければならないほど投稿者は追い詰められていたのだ。

→実際に投稿者保育園に落ちたために仕事を辞めなければならない瀬戸際に立たされており追い詰められた状況にあったが、別に追い詰められてなくても「死ね」くらいカジュアルに使う。匿名インターネットは追い詰められなければ汚い言葉を使わないほど品のいい場所ではない。

・強い言葉を使うことで問題提起たかったのだ。

→そもそもあれは社会に向けて問題提起しようという意図で書かれたものではなく、ただ愚痴感情に任せて叩きつけたものに過ぎない。感情的に書かれたからこそ独特の小気味のいい文章になったし多くの共感を呼んだ。誰かに読ませるために書かれたものでないか言葉遣いが悪いというだけで、戦略的に強い言葉を選んだわけではないだろう。(参考:http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

・そんな子供に見せられないような汚い言葉を選ぶべきではない。

クレヨンしんちゃん下品有害から子供に見せたくないみたいな意見ネット馬鹿にされるのに今回はこういう意見正論みたく振りかざされるのは不思議だよねー。

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