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板の現状がどうこうという意味ではなく、自戒の念も込めて今後のご参考に。
1.
長文の連投などで、ともすると御自分の投稿に躍起になってしまって、他の方の文章を充分吟味なさる余裕がなかったりしていないか懸念することがあります。
そうでなくてもスレの流れが速い時など、タイトルか始めの数行だけ目に入って早とちりな反応をしてしまいがちになるのは他の掲示板、スレッドにも言えることです。
また、読み手側のキャパシティも考慮したほうがいいのではと思います。
大学を出て十数年、赤ペン片手に毎日数万字単位のゲラを目で追うだけでなく声も出しながら読み上げるのを業務の一環として従事していたので、個人的には長文に目を通すのはさほど苦にはなりません。
だが世の大方の人はそういうものではない。本一冊はおろか新聞1ページ読み通すのも難儀な人が小生の周りにも少なからずいます。
多忙な中でここを覗くのも一日一回あるかないかの方も多々いらっしゃるでしょうし、初見の方にもなるべく一目でスレの概要が把握出来るように心配りが大事かと考えます。
一つ一つの投稿は一部を除いてどれも素晴らしいものばかりなので、それだけに目を通す側の消化力や咀嚼力にも充分配慮すべきだと心掛けたい。
スレの流れが速くて拙文も見落とされるやも知れませんが、気付いたものどうしで随時注意換気出来ればと願っています。
2.
ブログやツイッターの類いを何年もやっていると、饒舌さばかりが身について無意識に他人を見下す言動が目立つ傾向が強くなる、、、人が多いような印象です。
だから私はやらないことにしている。誰でも参加出来る公開掲示板で一機一縁、一期一会を念頭に液晶画面の向こうの眼差しへ発信するスタイルを固持する。今のところは。
変にネット擦れするといろいろ目が曇ってくるのではないか?
普段の自分を知る「目前の人」との関係性を疎かにしてネットを介した出会い系もどきの繋がりにご執心なのは可笑しいだろうし、
ましてや一家だの一派だのと称して身内どうしで馴れ合い庇い合う様子を見せられたらどうだろうか?
信心がどうこう以前に人としての振る舞い、社会人としての最低限のエチケットが問われる者共に「共感点」を見出だしたり、「違いを乗り越えよう」等とは八百屋で魚を求めるに等しい筋違いの事柄ではなかろうかと思うのです。
変な形でネットに慣れてしまっていないか?
自分は「味方」じゃなく「身内」を欲しがってはいまいか?
絶えず自問自答しながら言葉を紡いでいくのが肝要かと、このところ特に強く感じます。
3.
自分のキャパの問題もあってアルベア論をずっと敬遠していましたが、スレ終了したのでおもむろに遡行しながら読み出している。
「自我機能・自己機能」「思い込み・信じ込み」・・・うーん。。括弧付きの語句を多用するうちに「それ言ったら何でもあり」な一種のマジックワードと化して筆者本人が振り回されてる感がなきにしもあらず。。
『夢芝居』『酒と泪と男と女』か、、、やっぱジジイ目線のチョイスになるんよね。。
もう少し時間をかけて読み取っていくべきかな、、、
ロム専だった時に専用スレが立つまでの経緯を見守っていたが、あの時の“うらら”さんの言など今一度思い起こしてみるべきじゃなかろうか? けっしてアルベア氏を批難する意味合いではなく。
百人百様さまざまな経緯があって今日も明日もここに辿り着いて、今はじめてスレを開いたような人でも多くの気づきと前に進む勇気を得られるように。。
ここでの議論に加わるつもりは毛頭なく閲覧オンリーに徹する方が、現場で不言実行の戦いを起こす後押しになれるかが大事でしょう。執行部が最も恐れているのはそうした深く静かに行動に移るサイレントマジョリティー。
まだ見ぬ俊英の論客がここに降臨して天衣無縫に弁を振るうのを祈願し、
ここに論陣を張るいとまもなければ必要もない、現場でタコ焼き戦法を駆使して同志を救う闘士たちにもっと資することが出来るように、、、
たまには立ち止まって全体を俯瞰する視点を持って、ともどもにより良い板にしていきたいと思っています。
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