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ブランニュー・トーキョー

新しい物事が大好物。興味を惹かれた新しいモノやサービスについて、使用前の妄想と使用後の感想を書くのがメイン。今ぞっこんなのはApple Watch Series2。それと、東京生活日記。

互助会問題について考えた

ブログ運営 思ったこと

先程の記事を何故書いたのかと言うと、いわゆる互助会問題が話題になったので、「隠れ当事者」であっ筆者の考えを書くにあたり考え方の枠組みを整理しておきたかったからだ。

そもそも互助会問題とは何ぞや、という問いについてはポジ熊氏が分かりやすく解説されている。

www.pojihiguma.com

 

結論としては筆者もポジ熊氏と同じで、一般常識的に暴言とされるような故意に相手を不快にさせようとする発言以外は自由にブックマークコメントを書いて良いと考える。

ただ、筆者は「好き嫌いの問題だから、嫌いな人は我慢しましょう。はい終わり!」という考え方は少し短絡的過ぎて、嫌いな人の不快が蔑ろにされてしまっているように思う。

互助会が嫌いな人は、なぜ不快に感じるのか?まずはそれを問題としてはっきりさせて、その問題を解決するには誰がどのようにすれば良いのか考えることがより好ましいと感じる。

 

互助会を不快に思ったことがない人には、なぜ互助会が不快を生むのか想像がつかないと思う。この点、ぶっちゃけ筆者は互助会を不快に思っていので、理由を述べると、一言で言えば嫉妬だ。目の前で自分にはできない楽しそうな事をしている人々がいて、その自分にはできない楽しそうな事をしている人々がホッテントリ入りという更にいい思いをするというのが不快なのである。例えればイチャイチャしている恋人たちや幸せそうにしている親子連れの姿を見せつけられざるを得ない人恋しさに悩む独り者の気持ちだ。

その嫉妬に満ちた感情を書いた記事がこちらである。

blog.brand-new.tokyo

 

ホッテントリ入りはPV数増の必要条件ではない

まず、筆者がなぜ上記の記事から数日でコロッと考え方を変えることができたのかについて述べる。筆者はブログを始めてからまだ日が浅く検索流入の増加をあまり経験していないため、 検索流入が激増するような記事は必ずホッテントリ入りするに違いない、という勘違いをしていた。

しかし、ポジ熊氏の言うとおり、ホッテントリ入りすることによる検索流入増よりもトレンドワードを適時に把握してそのワードについて考察を加えた記事の方がPV数増に影響しやすいことが最近分かってきた。言い方を変えると、筆者はここ数日の経験で、はてなスターやブックマークが多くつく記事とPV数が多い記事とはぜんぜん違っていて、ホッテントリする事だけがページランクを上げる手段ではないということが理解できた。同時に、ホッテントリで殆ど名前を見ないブロガーさんが多くのPV数を何故稼ぐことができるのかも理解できてきた。

はてな村内で被リンク数を増やすことも検索ランクを上げることに役に立つと思うが、はてな村ってインターネットの大海の中ではぶっちゃけ小さい存在なのだろうと思う。

そんなわけで、ホッテントリ入りすることがそんなに羨ましくなくなったので、筆者はあまり不快感は感じなくなり、冷静に考えることができるようになった。

 

この点、ポジ熊氏のアドバイスを信じて毎日地道にブログを更新し続けたことが幸いしたと思っている。ポジ熊氏には感謝して止まない。ありがとうございます。

 

本当に良い記事はどっちにしろ楽には見つからない

しかし、きょうもえ氏など互助会問題以前からブロガーであった人はホッテントリ入りが羨ましいと思っている可能性は極めて低いと思うので、やはり字面通りはてブのキュレーションメディアとしての価値、すなわち「本当の良記事」が互助会記事のせいでホッテントリ外に押し出される問題について憤っているのだろうと思う。

しかし筆者がブログを2か月ちょっとやってみて思ったのは、本当に自分にとってためになる良記事は必ずしもホッテントリに載らず、むしろ新着エントリをある程度掘って*1いく方が自分に役に立つ記事が見つかることが多いという事だ。

多くの人が気にしている記事であること自体に価値を見出しているのでなければ、一人一人の人にとって本当に有用な記事は最大公約数たるホッテントリには簡単に載ってこず、自分から探しに行かないと手に入らないと思った。

そもそもホッテントリというものが単に多くの人からブクマされた数のランキングを基本としている限り、個人個人に最適化されたキュレーション機能を果たすことができるわけがないのだ。なので、互助会をホッテントリから排除したところではてブのキュレーション価値が上がるとも思えない。であれば、別に互助会がホッテントリに居ても問題ないだろうと筆者は考えた。 

 

ちやほや感・ウェイウェイ感

ポジ熊氏は意味のないブコメを書くのが糾弾されるなら無言ブクマも糾弾されて然るべきと言われているが、筆者は、互助会を不快に感じている人は無言ブクマしててもらった方がよっぽど良いと考えていると思う。その理由は下記の2つだ。

  • きょうもえ氏は「金魚の糞」と表現されているが、筆者は毎日のようにホッテントリ入りするブロガーさんの記事についているブックマークコメントを見ると、オタサーの姫にかしずいてちやほやする男たちを見るのと似た感じがする。オタサーの姫でない女性のうち相当数はこのちやほやを見て不快感を抱くのではないかと思うが、同様にブロガーの相当数も特定のブロガーの記事に集中して褒めるブコメの束を見て不快感を抱いているのではないかと想像する。
  • 何かを共に考え合った上で共感しあう仲間関係ではなく、あまり内容について考え抜いているように見えない人々がただお互いを盛り上げ合っている様子が、いわゆるウェイウェイした勢いだけで行動している人々を連想させて、不快感を誘う一因となっているように考える。

オタサーやウェイウェイ集団には近づかなければ姿を見ずに済むからいいが、はてなブックマークのホッテントリをチェックする限り、特定のブロガーに集中してブクマして褒めるブロガーたちの姿を強制的に目にしてしまわざるを得ない。これが互助会と呼ばれ不快感を感じられてしまう原因だと考える。

 

この問題について筆者が考えた結果は、下記の通りだ。

自分が物事の内容について考え抜いて思考過程をきっちり表現すれば、自然とその問題について真摯に考えて意見を言ってくれる人が現れることが分かった。この点で、インターネットはむしろ現実よりも「何かを共に考え合った上で共感できる仲間関係」を構築しやすいと感じた。

そうすると、例えば恋人がいて幸せな女性や自分の考えを持っていて充実している女性の多くはオタサーの姫を見ても別に何も感じないのと同様に、ホッテントリ入りするブロガーとブコメを繰り返す人々を見ても別にどうでもよくなってきた。

結論としては、人の行動を見て不快に思う時は、まず自分のできることでいいから自分でも似たような行動をしてみるのがベストだということだ。行動すると不快が増えるかもしれないし減るかもしれないが、何もしないよりは不快が減る可能性が高いし、不快が増えたら増えたでその原因を考えてまた別の何かをやってみればいつかは不快が減るほうに働く行動を見つけられると考える。

 

おわりに

以上が、筆者が自分の不快克服経験をもとに互助会問題について筆者なりに考え抜いた結果である。自分で納得の行く結論がなかなか出てこず、ほぼ徹夜に近くなってしまった。疲れた。。寝よう。

*1:「もっと見る」を何回か繰り返して、ある程度前の新着エントリを探していくことを指している。

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