宮本学と自分学)地域住民のために不幸をもたらす産業ならば、これを停止してよいという覚悟がなければヒューマニズムは確立されない。#MiyamotoTsuneichi
2015/04/26
2015年4月27日修正。シェアしてくださる方が多いので、体裁を整え、少し加筆して、pdfを添付しました。
2015年10月から、大学院の公開講義で「宮本学と自分学」というテーマで15回話す予定なので、そのために、時々抜き書きをしてみたいと思います。
山口県立大学の公開講義のなかから「桜の森アカデミー」の紹介。大募集中です。
http://www.ypu.jp/region/coc-academy.html
「宮本学と自分学」は「やまぐち学各論」のひとつです。日取りと概要を以下に載せました。
http://www.ypu.jp/contents/000035789.pdf
周防大島に原子力発電所をつくれば大きなお金が入るらしいという話について島の若者たちが宮本常一氏に相談したとき、先生はおおきな声で
「馬鹿なことを考えるな!」
と一喝されたといいます。以下に抜粋した文章を読むと、宮本常一氏がなぜそのように怒ったかがわかります。そして、上関や辺野古での抵抗について宮本氏が存命であればどのような意見を発表されたかを想像することもできます。
また、なぜ農業のような、経済的になりたたない苦行を面白そうにやったり宣伝したりするのかといって、つねに疑問を呈する職場の同僚への答えもそこには書かれていました。わが家が実際に土石流の被災農家になってはじめて気付いたことも、もうちゃんと書かれています。
そして、若者達の「自然力と文化力」を育てたいという、わがゼミの願いと共鳴しています。
(かっこ内)は、安渓遊地の要約または補足、下線も安渓によるものです。
1 軽率すぎる作付制限
(・うまい米が高いということもなく、同じ値段で売れるという中での米あまりでは。
・家族労働でまかなっているので、それが余れば他産業へ流れ、もどることはない。
・雑草をたくさん生やしてしまった水田は容易なことではもとに戻らない。)
これら前提条件となるものはほとんど考慮されずに作付制限がおこわれたことは、農民を人間として待遇するのではなく、生産機関として見ている結果にほかならぬ。……
2 篤農家が消えたあとに
……この人たちは、戦後のきわめて暗い状況の中で日本を信じ、日本の将来にかけていた。その同じ人たちが「百姓はもう私一代で終わりです。子や孫は好きなようにさせたい」という。ほとんどの人が農業の将来、農村の将来に望みを失っている。この人たちのなげきは、農業はのこるであろうが農業が村における人と人をむすぶ紐帯(ちゅうたい)にはならなくなっているということである。人間を結ぶ紐帯としての農業には張り合いがあるが、単なる事業としての農業はけっして面白いものではない。……
かつて自分たちの住む社会の環境の管理は自分たちの責任であり、義務であると住民は考えていた。それが美しい二次的自然をつくりあげていったといえる。いま地域社会はその管理者たちを失いつつある。村から働き手が減ったこともある。そのまえに村人たちは自主性を失ってしまった。雨が降り風が吹き災害が起こると、どこでもとびまわっているのは自治体のカメラマンである。その写真をつけて災害復旧の申請書を出すと、役人が来て視察して復旧の補助費がつく。それまで手をつけてはならない。……
……瀬戸内海のようになってくるともうどうしようもない。昭和三〇年ごろまでは、この海はまだきれいであった。魚介も多かった。なによりも海藻がよく茂っていた。その海藻が海の荒れたあとは渚にうずたかく寄って来たし、夏はその海藻を船でとりにいって浜で乾かし、畑に入れて肥料にする風習が見られた。その海藻が急に減ってゆきはじめた。漁民たちがそのことをなげいてもだれも取りあげもしなかった。そのころから海岸の埋立が盛んになり、そこへ工場の設立がはじまった。そしてみるみるうちに工場がたちならび、多くの漁村が壊滅していった。漁民が埋立てに反対すると、漁民たちがそれまで見たこともないような補償金を(開発側は)ちらつかせながら懐柔していった。「いまどきの漁師はよい。だだをこねさえればお金がもらえて遊んで食える」という声をよく聞かされたが、それはタコが足を食うのに等しく、漁民はそれによって海の働き場を失っていった。
漁民は海を働き場にしていたばかりでなく、海の管理者であった。海をよごすもの、海の状況をかえようとする者に対してたえず怒り、また抵抗したのであった。そのことによって海の青さが保たれてきた。その漁民が資本家たちに邪魔者扱いされるようになった。漁民の主体性は失われ、海は荒れ放題になってきた。資本家たちは、次第に力を失ってゆき将来に望みを失ってゆく一握りの漁民をほとんど問題にしなくなっていった。それが八代海では水俣病へとつながってゆくのである。しかし管理者を失った海はよごれ放題、荒れ放題になってゆく。広島湾などはその北半が醤油色になってしまって漁場としての価値をほとんど失ってしまっているが、そのことに対する補償を考えようとする人も、責任を感ずる人もない。
3 飼いならされる民衆
……為政者にとって民衆が飼いならされることはこのうえなく好ましいことである。同時に学者にとっては反論されることをもっとも怖れる。そして八方破れな議論とか生き方は許さない傾向が、次第に強くなりつつある。……
4 着々つくられる国内植民地
ではなぜ地域社会は大切にしなければならないのであるか。本来、文化というものは泡のように生じたり消えたりするものではない。深く根ざし、しかも執拗につづいてゆくものである。しかも人の生活はそのようなものによって支えられている。今日までそういうものを生み出してきたのは風土である。人と環境とのからみあいが文化を生み出してきた。それは単に田舎で農業をやっているということだけで生み出したのではない。
中略(明治末から大正にかけては、民衆が工場をつくり銀行をおこした輝かしい時代だった)
工場の資本が地元のものでない限りは工場自身もしょせん他所者であり、利潤は事業自体に吸収され、地元住民は工場の雇用者として隷属を強要されたにすぎない。瀬戸内海のよごれのごときも他所者資本の無責任さがそのような現象を生み出していったのである。いわば今日の開発は資本によって国内植民地をつくっていき、地域住民はこれに隷属せざるを得なくなりつつある。このことに対して住民の抵抗は当然起こっていい。だが地域住民に荷担するものは少ない。地域住民の抵抗がどのように困難なものであるかは水俣病患者たちの運動の中に読み取ることができる。
地域住民のために不幸をもたらす産業ならば、これを停止してよいという覚悟がなければヒューマニズムは確立されない。……
5 住む者にとっての郷土
……日本という国には中央と地方がある。そしてその一番末端を僻地という。これが日本以外の国ならば、そこが外国への出口になり、入口になるのである。日本のような国ではどうすれば僻地をなくすことができるかを真剣に研究すべきである。しかし僻地解消論はおこっていない。しかもそこに最後まで頑張ろうとする人々が生きている。その人たちのいるかぎり郷土復興は可能なのである。そしてその志を消し去らないような対策が講ぜられることからもう一度、国のすみずみまでが輝かしさを持ってくるのだと思う。それは中央からの恩恵や施しによってそうなるのではなく、そこに住む人が夢をもち自発自営していこうとすることのなかから生まれてくるのだと思う。……
出典:宮本常一、1973「抵抗の場としての地域社会」『朝日ジャーナル』昭和48年1月19日号。未来社版著作集 第15巻 日本を思う(1987年)301-317頁に再録
公立大学法人 山口県立大学
地域共生授業担当
国際文化学部国際文化学科 学科長
教授 安渓遊地(あんけい・ゆうじ)
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