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<大川小訴訟>遺族も控訴へ「予見可能」

被災した大川小校舎で多くの人が手を合わせた=2016年10月28日、宮城県石巻市

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、19遺族は8日、市と県の控訴を受け、仙台高裁に控訴する方針を固めた。控訴期限の9日、控訴状を提出する。市と県は、約14億2660万円の賠償を命じた仙台地裁判決を不服として7日に控訴している。
 6年生の長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は取材に「市が早々に控訴を決め、県も追随した。話し合いでの解決は無理だと判断した」と話した。5年生の次女千聖(ちさと)さん=当時(11)=を失った紫桃(しとう)隆洋さん(52)は「『生きたかった』という子どもたちの声を代弁し、救えた命だったと叫び続ける」と語った。
 10月26日の判決は、教員らは2011年3月11日午後3時30分ごろに市広報車による避難の呼び掛けを聞き、津波に襲われる約7分前までには予見できたと認定。「裏山は避難場所として何ら支障がなく、堤防付近への避難は不適当だった」と学校の責任を認めた。
 遺族側は控訴審で、津波の襲来を予見できたタイミングについて、教員らは同日午後2時52分ごろに校庭の防災無線で大津波警報を聞いているなどとして「もっと早い段階で津波襲来を予見できた」と訴える。
 判決が学校側の責任を認めなかった事前の津波対策の不備や遺族への事後対応の問題も重ねて主張する。
 市と県は、判決が認定した予見可能性と結果回避義務違反について「納得できない」として控訴。亀山紘市長は市議会の答弁で「判決は(亡くなった)教職員にあまりに大きな責任を負わせている。学校防災にも大きな影響を与える」と控訴理由を説明していた。
 判決によると、地震発生後、児童は約45分間、校庭で待機を命じられ、近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)に向かう途中で津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。


2016年11月09日水曜日


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