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「相対的貧困」の子が教育困難校に集まる現実

東洋経済オンライン 11/9(水) 5:00配信

「教育困難校」という言葉をご存じだろうか。さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことだ。
大学受験は社会の関心を集めるものの、高校受験は、人生にとっての意味の大きさに反して、あまり注目されていない。しかし、この高校受験こそ、実は人生前半の最大の分岐点という意味を持つものである。
高校という学校段階は、子どものもつ学力、家庭環境等の「格差」が改善される場ではなく、加速される場になってしまっているというのが現実だ。本連載では、「教育困難校」の実態について、現場での経験を踏まえ、お伝えしていく。

■卒業式に集まる保護者でわかる親子関係

 「教育困難校」では、一般的に学校行事への保護者の参加率が低い。過半数の親が学校に来るのは、入学式と卒業式くらいだ。中でも、中退者が抜け、生徒たちが淘汰された後に行うことになる卒業式は、最も出席率が高い。卒業式に集まる保護者を見ていると、「教育困難校」の親子関係がよくわかる。

 3年間頑張った子どもが主役の場であるのに、非常に着飾った晴れやかな表情の保護者の一群がいる。PTA役員たちの多くもこのタイプで、ラメ入りやアニマル柄のきらびやかな衣装で招待者席に座っている。一見して保護者の年齢層は若く、中には30代前半と思しき人もいる。話を聞いていると、「自分は卒業できなかったから」「どうなることかと思ったけれど、卒業できて良かった」と心の底から卒業を喜んでいる様子だ。言葉遣いの端々に残る特有の言い回しや、ファッションセンスから判断すると、高校時代はツッパリやヤンキーだった保護者たちのようである。

1980年代にかけて生まれた「落ちこぼれ」という言葉

今の高校生の親世代は、1970年代生まれが中心。この時代は、子どもを評価する際の最大の基準が「勉強ができること」となり、それまでのそろばん塾や習字塾などの習い事にかわって勉強全般を教える塾が流行しだした頃といわれている。そして、続く1980年代にかけて「落ちこぼれ」という言葉が生まれた。学校の勉強について行けなくなった彼らは教師に激しく抵抗する。外見的にも、制服を改造し、独特の髪形をして、一目で「ワル」とわかる見た目を作った。まさに、この時代に高校生活を過ごしたのが、今の高校生の親世代であり、その価値観を受け継いで、彼らの子どもたちは現在の「教育困難校」の第1タイプ(ヤンキー系)の生徒になったのだ(第2タイプは無気力系、第3タイプは不登校系。前回記事「教育困難校には、どんな生徒が来ているのか」を参照)。 この親たちは、学校という制度への反感も強く、学校の被害者という意識を今でも持ち続けているようだ。そのため、学校と協力して子どもの教育にあたろうという思いがない。子が飲酒・喫煙、恐喝などを行って、指導のため保護者が呼び出されても、「学校が悪い」という姿勢を崩さない。何かの拍子に「モンスターペアレント」になり得る可能性も高い。

■かつてのツッパリ、ヤンキーが親に

 また、自分自身が勉強に恨みをもっているためか、「勉強は大事である」とは子どもに伝えていない。むしろ、「勉強よりも大事なことがある」と言い、スポーツやゲーム、ファッション等、自分にとって居心地の良い活動を重視し、何より友人関係に重きを置く。自身が高校中退で、職業選択に苦労した親にとっては、高校生活の質はともかく、何はともあれ、高卒の資格が得られて良かったと思うのは、共通した本音に違いない。

 第1タイプ「ヤンキー系」の保護者とは正反対に、ほとんど普段着で来校し、ひっそりと会場の席に座っている保護者たちがいる。この人たちは、第2タイプ「無気力系」、つまり、おとなしくまったく生気のない生徒たちの保護者である。教職員におどおどした態度で接し、周囲の保護者とはほとんど話さない。祖母、祖父と思われる人が親の傍について来ていて、保護者用の受付で行う記名などの記入作業を代わりに行っている姿も時々見られる。

 肩を狭め、うつむきがちなひっそりとした姿は、教室での子どもの姿と瓜二つだ。この親子は、厳しい社会を今後どうやって生きていくのだろうかと心配になるほどである。この2つのタイプの保護者とその子どもはまさに相似形であり、しっかりとした再生産の連鎖ができていると、教師たちは卒業式の場であらためて実感してしまう。

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最終更新:11/9(水) 12:00

東洋経済オンライン

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北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。