鷹取学園講演 平成15年11月21日
『 精神症状を伴う知的障害者に対し私が考え、してきたこと 』
鷹取学園精神科嘱託医 糸井孝吉

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1、はじめに
 まずお断りしておきますが、題に掲げた精神症状というのは主にてんかん発作や広汎性発達障害である自閉症あるいは精神分裂病、今は統合失調症と呼ばねばならないそうですが、これらの症状を持つ人たちのことであります。鷹取学園では半数以上がその状態ですが、それらの症状や治療については後ほど詳しくお話いたします。私はこのような園生を昭和62年から15年近く嘱託医として診療してきました。今日はこの間に私が考え、してきたことを振り返ってお話してみようと言うわけですが、これが皆様のご参考になれば幸いであります。 (スライド2表示)
 まず私の経歴ですが、九大医学部を卒業して43年になります。九大精神科に入局して大学院ではてんかんの脳波と遺伝を研究して医学博士になりましたが、てんかん以外に精神科一般のことも幅広く手がけました。ただし精神分析だけは信用する気になれず、未だに不勉強です。
文部教官九大助手というのが国家公務員生活のスタートでしたが、3ヵ月後の昭和41年12月、満31歳6ヶ月で厚生省出向、国立小倉病院精神科医長になりました。ここは当時全ベット数が720の総合病院で精神科ベット数は120、医師定員3人、1軒の小さい精神病院並みでしたし、外来患者も多く、そのうちてんかん患者さんが5分の1位でした。その後43歳で狭心症を起こしたので心臓病持ちには国立病院精神科医長の激務は無理といわれ、昭和55年8月から法務省に出向して法務技官・城野医療刑務所医療部長という肩書きで小倉南区城野にあった城野医療刑務所に勤めることになりました。ここは精神病になった受刑者だけを集めて治療する施設で、言うなれば刑務所社会の精神病院という機能を持ちます。現在は小倉刑務所あとに移転し、3年前から北九州医療刑務所と改称されました。
 法務技官になった翌年の昭和56年4月、医療部長から所長に昇格しましたが、法務省職員としての医療刑務所長というのは病院勤務の精神科医とは随分違ったことが多く、決して楽しい職場ではありませんでした。所長業を13年やった後、平成6年4月勧奨退職で辞めさせてもらい、それから一般精神病院である小倉南区の松尾病院、ついで老人病院からリハビリ病院になった南小倉病院を経て、今は覚せい剤、シンナー、アルコールだけの精神病院である回生病院に勤めています。以上でお分かりのように、私は知的障害、精神発達遅滞関連施設の勤務経験はなく、すべては鷹取学園での自学自習であります。

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2、鷹取学園との関わり
 私が鷹取学園と関係を持つようになったのは、てんかんの患者さん診療のためでした。当時、坂田理事長の従兄弟の坂田利家先生が九大1内科の助教授、その同級生の黒川徹先生が九大小児科の助教授で、黒川先生は鷹取学園のてんかん患者さん10人弱を九大小児科外来で診療しておられました。お二人は九大医学部で私の2年後輩に当たります。その黒川先生が上越教育大に移られることになりましたので、黒川先生の代わりにてんかん診療にあたる医師を鷹取学園に世話して欲しいと坂田、黒川両助教授が私の母教室である九大精神科に依頼に来られました。ところが何か行き違いがあったらしく、九大精神科教室は2人の現職助教授が頼みに来られたのに良い返事をしなかったそうです。
そこで1内科出身で私の九大医学部の同級生を通じて私に話がきたのですが、ここで名を挙げた坂田利家先生は後に大分医大内科教授に、黒川徹先生は上越教育大から国立精神・神経センターの医長を経て国立西別府病院長になられ、先年定年退官されました。
 ということで私が鷹取学園の精神科嘱託医になった昭和62年には私は日本てんかん学会の正会員でありましたし、後に日本てんかん学会の評議員も10年近く勤めましたので、当時はてんかんの専門医を名乗っても充分な知識と経験を持っていたと思います。しかしそれから15年が経ち、私の知識を経験も古くなり、日進月歩のてんかん学の進歩にもついて行けず、精神医学全体の知識も時代遅れになつつあります。今日の話はこのような老医の考えであることをまず、ご理解願っておかねばなりません。つまり最新の医学知識の上に立つ話ではないのであります

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3、参考書について
 先に申しましたように私は精神遅滞、知的障害の専門家ではありませんので、園生に関する色々な問題がおこると参考書で勉強してきました。以前は管修先生監修の「精神薄弱医学」を頼りにしていましたが、管修先生というのはこの本ができた時の肩書きは国立コロニーのぞみの園所長となっていますが、東京都立松沢病院にお勤めだった東大出の精神科医のはずです。長くその本を参考にしていましたが、5年前に精神医学レビュー23巻として栗田広先生―東大医学部精神保健学教授―編集の「精神遅滞の精神医学」が出ましたので、それからはもっぱらこの本に頼っています。 (スライド5表示)栗田教授によりますと、精神薄弱は不適切な用語であるし、法律用語として使われる知的障害という言葉も診断基準を具えた医学的概念ではないので、精神遅滞と呼ぶべきであると書いてあります。そこで私も今日は精神遅滞という言葉を使うことにいたします。ここで復習ですが、かつての精神薄弱では定義を知能発達の障害であり、知能指数から白痴、痴愚、軽愚の3段階に分けました。現在のDSM,W・アメリカ精神医学会の「精神障害の診断の手引き」第4版では精神遅滞では定義を知能と適応行動の障害とし、次の3条件を充たすものとなっています。そのAは明らかに平均以下の全般的な知的能力で、知能検査ではIQ70以下、そのBは現在の適応能力の欠陥や障害が以下の2領域以上で存在:意志伝達、自己管理、家庭生活、社会的・対人的技能、地域社会資源の利用、自律性、学習能力、仕事、余暇、健康、安全の11領域のうちの2領域、そのCは18歳未満の発症であります。これらから精神遅滞は知能と適応行動の障害とされるのですが、その程度は知能指数でもって最重度から軽度の4段階としています。

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4、私が始めに感じたこと
 私が鷹取学園の嘱託医になったのはてんかん治療のためだったのですが、まず来て見て驚いたのは園生の精神症状、つまりてんかん発作や自閉症の症状や治療について園生の家族や職員に正しい知識が足りないことでした。どんな状態には薬がきく、あるいはもう発作がなくても一定の薬は飲み続けねばならないといった知識が乏しいし、場合によっては家族が薬に偏見を持って投薬を拒否することもありました。職員側では園生の異常な行動を精神症状と取るか、単なるくせとして放置するかといった点が指導員の間で不統一なこともありました。といっても私も精神遅滞の専門的な勉強をしたわけでもありませんので、これは何となくおかしいぞという段階からそれは絶対間違っているという段階まで幅広い疑問がありましたし、おかしいけれど、それをどう考えるべきかが疑問ということもありました。
 まずてんかんについて当時経験したことを率直に述べてみます。てんかんはけいれん大発作の場合、誰がみても病気と分かります。しかし小発作や精神運動発作といった意識消失が主の場合、投薬治療が必要であるにもかかわらず、投薬必要と認識している家族ばかりでもありませんでした。
 一方、抗てんかん薬は多少とも副作用を伴いますから主作用と副作用の兼ね合いが難しいのですが、まだ起こってもいない副作用を怖れて抗てんかん薬を必要量飲ませない家族もありました。また九大、久留米大、九州厚生年金病院や製鉄病院などで抗てんかん薬を貰っていた家族は、その病院とまったく同じ製薬会社の同じ銘柄の薬でないと拒否する家族がありました。成分が同じで製薬会社が違うだけ、あるいは錠剤の形が真ん丸でなく米粒型というだけでダメなのです。「家の子供にはこのお薬でないと駄目なのです。違う薬は絶対に飲ませないで下さい」と無理な要求をされることがしばしばありましたが、それは私に言わせればまったく根拠のないことでした。「錠剤は絶対に飲ませないで下さい」という家族もありましたが、理由を聞くと園生が幼児の頃、つまり鷹取学園に入る10数年前に錠剤の抗てんかん薬をのませようとして噎せ、錠剤が食道でなくで気管に入ったために大変苦しんだことがあったそうで、それから家族は10数年、錠剤の薬は一切飲ませたことがないと言っていました。しかし私が診察してみると嚥下障害はまったくないので、少しずつ錠剤を飲ませてみましたが、何の異常も起こりませんでした。しかし、その家族に「錠剤も飲めるようになりましたよ」と私が告げたのは大分後のことでした。ある家族は自宅帰省中は1日3回の抗てんかん薬を食後30分でキチンと飲ませたことを報告し、それが食後正確に30分でなかった時は身を縮めて謝り恐縮するのが常でしたし、ある家族は発作が起こることを非常に怖れ、「起こりはすまいか、起こりはすまいか」と心配のしづめで、私が見ても痛々しいほどでした。 抗てんかん薬を1日3回飲ませる場合、それが10分20分飲むのが遅れたら、そのために起こらないはずの発作が起こるわけでもありませんし、家族が「発作が起こりはすまいか、起こるんじゃないか」と神経質になっておどおどしていると、それが患者に反応して発作が起こりやすくなるものです。
 抗てんかん薬で完全に発作が抑制できている患者さんはいいのですが、鷹取学園のてんかん患者さんは難治てんかん、つまりかなり沢山の抗てんかん薬を飲ませても完全に発作を止められず、月に数回以下にならない患者さんの方が多いので、家族があまりに発作についておどおどしていると帰省中に園より多く起こるものです。そこで私は家族にもっと大らかに接するよう指示しました。薬を飲ませる時間にそんなに神経質になることもないし、そもそも発作は完全に止められないのだから発作が起こっても患者さんに危険でないようにしておくだけで良い、家族が心配しすぎるとかえって発作は起こりやすくなると指導しました。家族の精神衛生に配慮した訳ですが、その後数年みていますと、大らかに接する家族の方が患者さんの発作回数は減ってくるように感じています。
 さて、てんかんの患者さんでは、その発作と抗てんかん薬の効果をみて人生設計を考えねばならぬ時期が来ます。ある患者さんについて、私が「お宅の子供さんは難治てんかんで治ってしまうことは難しい、その前提で将来を考えねばならないと思う」と言ったところ、その家族は九大小児科で長く黒川助教授から治療を受けていたそうで、次のように反論されました。「この子が始めて九大小児科で黒川先生に診てもらった時、先生は『これは大変な病気だけど皆で頑張ろうね』と言って下さった。黒川先生は『治らない』とはおっしゃらなかったのに、糸井先生が『治らない』と言われるのは納得できない」。この時は私も50歳代前半で今より血の気の多い年齢でしたから次のように言いました。「黒川先生が西日本でも有名なてんかん治療の大家であり、日本てんかん学会の評議員でもあることは私も同じ評議員だから良く知っている(日本てんかん学会評議員になったのは私が2年先でしたが)、その大家である黒川先生に10年以上も治療してもらってまだ発作が止まらないのはなぜか、それは治らないからである。小児科医は患者が16歳まで診るだけだから治る治らぬの話は先送りしても良いが、精神科医は一生付き合うのだから正直に言っただけである。私は自分の治療を押売りする気はない、今後とも黒川先生に治療を受けて結構」。私はひそかにこの家族を黒川教の信者と名づけ、その数年後、東京の国立精神・神経センターで黒川先生に会った時にこの話をしたところ、黒川先生は「それは余計なご苦労をかけて済みませんでした」と私に謝ってくれたものです。
 てんかんは発作が起こりますから病気かどうかについては議論の余地はありませんが、広汎性発達障害である自閉症や精神分裂病の場合はそれが病気の症状なのか単なる癖なのか、ほっといて良いのか薬が効くのかといったことから始めねばなりません。広汎性発達障害の自閉症や精神分裂病の症状は後で詳しく申し上げるつもりですが、ここでも抗精神病薬を拒否する家族が少なくありませんでした。その言い分は「精神科の薬は毒だ」という迷信とも何ともつかないものでしたが、後に聞いたところでは小児自閉症と言われて次のような経験をした家族が少なくなく、その経験がそう言わせていることが分かりました。
 その経験とは次のようなことです。「自分たちは子供の病気が始まってすぐの幼稚園や小学校の時から大学の先生たちに『これは精神薄弱だけではない、病気だ、家族療法が必要、いや遊戯療法がをしなければならない。学校は本人が嫌がれば行かなくてもいい、そのうち行くようになる』とか『これは精神薄弱ではない、これだけ遊戯療法をしても駄目だったから今度は薬を飲ませてみよう』などと言われてきたのです。家族一同この子が治るものならばと思って、長い間、通院や入院で随分無理もし、薬も飲ませてみました。そして手が振るえ、涎が出て、口がもつれてしゃべれなくなったり、フラフラしてまともに歩けなくなることも起こりましたが、状態は変わりませんでした。そこで私たちの子にとって、精神科の薬は毒だと分かったのです。どうせ良くならないのなら、薬で苦しませるよりこのままが良いと思っていますので、精神科の薬を飲ませるのはお断りします」。
つまり大学病院でそれこそ藁にもすがる思いで長年通院し、結局は抗精神病薬の副作用に苦しんだだけという辛い経験をした家族の思いだったわけです。これは単なる抗精神病薬の飲ませ過ぎだったのですが、当時はそう簡単にも言えない雰囲気だったことを思い出します。こういうことのため、嘱託医になったばかりのころはどうしたら家族の方々から信用して貰えるのか、真剣に考えたものでした。

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5、私の方針
 まず、家族の信頼を得るためにこのようなものを打ち出しました。説明しますと、折角鷹取学園に入園したのですから、私が処方する薬その他で今までより悪くなったのでは意味がありません。次に鷹取学園で他の園生と仲良く協調してやって行けるように学園の生活に適応して貰わねばなりません。新しく入ってきた園生が一人だけいつまでも好き勝手な行動を続け、そのために指導員が付きっ切りで世話しなければならぬようでは駄目で、将来は学園内で団体生活ができるように指導しなければならないと私は考えました。
 学園生活に適応できるようになったとしても、鷹取学園は知的障害者更正施設で最終目的は社会復帰と決まっています。そのためにはまず学園から家庭に戻って普通の生活ができるようになり、その上であるいはそれに平行して社会に復帰できるようにしなければなりません。そのためには一歩一歩着実に進歩させねばならず、場合によっては進歩がなくても退歩しないようにという生活指導が必要と私は思いました。たとえ、今年は進歩がなくても退歩しなければ来年は進歩させられますが、今年手を緩めて退歩すれば来年は進歩させるのに、園生も指導員もより大きな労力を払わねばならないからです。
 こうした方針を実行するため、有り触れた病気を正しく治すことを心がけ、イチかバチかと言った無理な治療はせず、新薬はなるべく使わないことにしました。てんかんや精神遅滞の場合、当時の大学病院での新薬治療が今と違って実験に近いことはよくありましたし、私も九大の大学院時代にそんな新薬治療に関係したこともありました。最新の最前線の医療を求める余りの実験的な医療はせず、仮に一~二歩遅れても安全第一を目差したわけです。本当に自分がこの患者さんの主治医として行なう値打ちがあることだけをするという決意をして、この方針を昭和63年の鷹取学園広報2号にも「新しい精神科嘱託医の心構え」という文章にして示しました。家族の方々に私の診療を信頼していただくためでしたが、幸い今日までこの方針を変更する必要を感じておりません。 (スライド8表示)
 つぎにこの方針を具体化して家族の信頼を得るためにはどうするかです。そこで診察には家族もできるだけ同席して貰い、その上で毎回指導員から報告を受け、私が精神医学的に考えねばならぬことはその都度指導員に質問したり園生から聞いたりして実情を確かめて方針を決めることにしました。
 精神遅滞者の行動障害についてはあとで述べますが、この行動障害あるいは問題行動にたいして抗精神病薬治療をする場合、普通は本人を病院に連れてゆくことが困難なため、指導員や家族だけが病院に行って精神科医に報告し、精神科医はその報告に基づいて薬の治療方針を立てることが多いのですが、医師が患者の日常生活を充分に知らないまま投薬すると的外れや見当違いの治療になることがあります。そのような欠点はすでに教科書や参考書に書いてあることなので、私はまず実地に園生と指導員を前にしての診察ということを頑固に貫くことにしました。 (スライド9表示)
 これが今日まで余り大きな失敗がなかった原因だろうと思います。こうして方針を立て診察のやり方を改善して行ったのですが、ここ数年で「ああそういうことだったのか」と覚ったことも色々あります。これを「後で分かったこと」と書きましたが、先にも触れたように抗精神病薬の副作用で患者さんが苦しんだにもかかわらず、大した効果がなかったという家族の話から、無理な治療はすべきでないし、それを正直に当時の医師に言えなかった経験が怨念といったものになって私の治療に信頼がなかったのだろうと思います。したがって一般に良き医師患者関係と言いますが、精神遅滞の診療では良き医師患者関係とともに良き医師家族関係を築く努力も必要と考えました。私は精神科医として今日まで40年以上患者と家族に「嘘はなるべくつかず、必要なことはなるべく正確に告げる」というモットーを持ち続けてきましたが、鷹取学園でもそれを続けてきた訳です。
 精神遅滞者だって時と場合によっては嘘もつきますし、医師や指導員を騙すこともあります。発作をよそおった詐病、にせ発作で経験の浅い指導員を試すこともあります。このような可能性を全部考えた上で、良いことは褒め悪いことは叱り、注意すべきことはキチンと注意しながら、私は毎回の診察で次のような精神療法をしています。
「より良き適応を促すために、主として言葉によって患者の病気に対する考え方や生き方を変えさせる働きかけが精神療法である」というのが私の自己流の精神療法の定義なのですが、私はこれにしたがって園生の成長、つまりより良き適応の可能性を信じて家族同席の診察を行なっているのであります。それはまた私の治療方針をより良く家族に理解してもらい、より良き医師家族関係を築くためでもあります。

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6、てんかん各論
 次に鷹取学園のてんかん患者さんについてやってきたことを振り返ってみましょう。私は日本てんかん学会の正会員として、九大精神科時代も国立小倉病院精神科時代も沢山のてんかん患者さんの診療経験を積みましたが、その対象の患者さんの大部分は通院できる患者さんでした。つまり身体や精神に異常があって大学病院や国立病院に通院できない患者さんをその施設に行って診療した経験はごく稀で、施設に入所中の患者さんを沢山診療したのは鷹取学園の嘱託医になってからでした。おそらく私と同年輩のてんかん専門医たちの経験もさほど私と変わらないと思います。てんかん病院とかてんかんセンターと言ったてんかん専門施設は国立静岡東病院(国立てんかんセンター)を含め、当時日本に2-3箇所あったと思いますが、そんなところでも難治てんかんの患者さんを入院させ、様々な検査をして治療方針が立てば退院させて家庭や施設に戻すのが一般的なやり方でしたから、施設内の重症なてんかん患者さんを診療する経験は少ないのが普通だったと思います。
 さて、私がてんかんの勉強を始めたころはてんかん発作の分類はレノックスのけいれん発作3型(Convulsive Triad)、小発作3型(Petit Mal Triad)、精神運動発作3型(Psychomotor Triad)、それに自律神経発作(Autonomic Seizure)というのが最新の分類でしたが、今は国際分類となり、部分発作(Partial Seizure)、全般発作(Generalized Seizure)、分類不能の3つに分けます。それがさらに部分発作のAからCまで、全般発作がAからFまでに分けられますが、全般発作のA、B、Fはレノックスの小発作3型(Petit Mal Triad)そのものです。
 しかし、分類が変われば治療法も変わって今まで抑制できなかった発作が止められるということはありません。ウェスト症候群とかレノックス症候群と言われるもっとも難治なてんかんは今日でも発作抑制が非常に困難です。 (スライド11表示)したがって、治療だけから言えば国際分類を知らないとてんかんの治療ができない訳でもありません。てんかん専門医にとってもっとも肝心なことは難治てんかん、つまりどの発作であろうと数種類の抗てんかん薬を色々組み合わせて飲ませても発作回数が月2回以下にならない患者さんをどうするかということだろうと思います。そのような難治てんかんにもっと多種類多量の抗てんかん薬を飲ませ、場合によっては麻酔に近い状態にすれば発作は止まります。そこまでしなくてもフラフラして歩き難く、一日中ウトウトしてご飯も自分で食べられなくなるまで、抗てんかん薬の量を増やせば発作は随分減ります。しかし、それでは学園生活の意味がありません。このような難治てんかんの患者さんにも生活の質(Quality Of Life),略してQOL を考える必要があります。てんかん治療の専門医はQOLを重視すべきで、発作回数さえ減らせれば良いという治療をすべきではないと言われておりますが、私はすでにお話したように今より悪くならないようにという方針ですから、結果としてQOLを重視してきたことになります。ここ10年でマイスタンという新しい抗てんかん薬がでて、鷹取学園でこれを使っている患者さんが6-7人ありますが、それも副作用のことをよく調べて評価が定まってから使い初めました。つまり有効だという報告を沢山聞いてから使い始めたわけです。ついでに言えばいろいろな臨床検査も私は頻繁には行ないません。脳波検査や抗てんかん薬の血中濃度検査も年1−2回です。検査をすれば病気が良くなるものではなく、それは病気の程度や治療法を考えるために行なうべきだと考えているからです。
 一般血液検査や肝機能検査も抗てんかん薬の副作用が出ているかどうかを知るためですから、年に1−2回です。検査をしなくても私の毎月の診察で、食思不振や全身倦怠、貧血や軽い黄疸くらいは分かりますから、異常が見付かってから内科の診察でも間に合うと思っているのです。

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7、広汎性発達障害、自閉症・分裂病各論
 精神遅滞に合併する発達障害について次に申します。これは参考書2「精神遅滞の精神医学」で栗田広教授が書かれた「精神遅滞の精神医学的諸問題」からの図1ですが、軽度の遅滞だと学習障害や運動能力障害、コミュニケーション障害が問題になります。ただしその障害が遅滞水準では説明できない場合とされていますから、中度や重度遅滞ではこの3つの障害は遅滞水準によると見なされます。一般に知的障害者更生施設では最重度精神遅滞は対象になりませんし、IQ50前後が多いようで、鷹取学園でこの3つの特異的障害を問題にしなければならぬ園生は私の診療対象には挙がってきていないと思います。
 精神遅滞の中度以上では広汎性発達障害が問題で、この中に自閉症も含まれ、また精神分裂病に似た症状があります。精神遅滞に伴う精神症状としてある種のこだわり、暴力、不眠、興奮、時には幻覚や妄想が合併することが見られますが、鷹取学園の具体例として幻聴があるらしくしばしば独り言をつぶやく園生、突発的に物を投げたり壊したり、時には他人に危害を加えかねない園生、物や人の順番に無闇に拘ったり、色々な状況を自分で確認しないと落ちつかない園生、言葉数が少なく問いかけると鸚鵡返しに質問と同じ言葉を繰り返す園生などがいます。
 私は広汎性障害のうち自閉症は鷹取学園の園生で診療経験がありますが、他のものはよく知りませんので、以下、参考書で知ったことを少し述べます。国際疾病分類10版、ICD−10によればレット障害とは生後7-24ヶ月内に女児にのみ発症し、それまで獲得していた言葉や手先の機能が一部あるいは完全に崩壊し常に高度の知能障害にいたるそうですから、知的障害者更生施設の対象者にはならないと思われます。小児崩壊性障害は国際疾病分類10版によると2歳までは外見上正常に発達した後、それまでに獲得した技能が崩壊し、興味の貧困化から行動崩壊に言語喪失を伴うにいたり、排泄のコントロールも喪失し、予後は非常に悪く大多数に重度の精神遅滞が残るそうです。したがってこれまた知的障害者更生施設の対象ではないと思われますが、この小児崩壊性障害は成人期における痴呆に似ているそうです。
 アスペルガー障害は男子に多く、全体的知能は正常でありますが、関心と活動の範囲が限局的常同的反復的で社会的関係の質的障害が特徴だそうです。知能は正常ですから、知的障害者更生施設の対象ではないと思います。3-4年前、愛知県で「人を殺して見たかった」という理由であるお婆さんを殺した18歳の高校生がいましたが、精神鑑定で彼はアスペルガー障害(症候群)と診断されたと聞いたことがあります。
 これから私の経験の範囲で広汎性障害の自閉症および精神分裂病に限って治療の話をいたしますが、その前に行動障害について申し上げておきましょう。 (スライド13表示)「精神遅滞の精神医学」の中で末光茂(旭川児童院長)が「精神遅滞の施設と地域での処遇」という論文を書かれており、その受け売りですが、精神遅滞の行動障害に関する強度行動障害判定基準表というものを出されています。強度行動障害とは医学的診断名ではなく治療教育上の処遇概念だそうですが、1から11まで私が挙げてきた自閉症や精神分裂病の症状と考えられるものもかなり含まれています。末光によれば平成5年から厚生省は「強度行動障害特別処遇事業」を発足させ1997年現在(この本が発行された時点)、全国で9箇所の施設が指定を受け、その治療に効果を挙げているそうです。私はこの制度の詳細を知りませんし、この表で園生の行動障害を評価したこともないのですが、評価して見ればあるいはこの表で20点を越すため、強度行動障害としてそのための施設に入るべきである園生もいるかも知れません。 (スライド14表示)この計画は3年間で改善が見込まれるものに限られているため、3年以上かかりそうなものは国立および公立の重症心身障害児施設で「動く重症児」病棟で処遇されているそうですが、私は20年近く前に佐賀の国立肥前療養所と沖縄の国立琉球病院の「動く重心病棟」を見学した以外の知識がありませんので、強度行動障害の制度と設備の話はこれで終わりますが、昨日、坂田理事長から当鷹取学園もこの強度行動障害特別支援事業のために施設指定を受けるべく福岡県保健福祉部障害福祉課施設福祉部に申請中であるとお教えいただきました。
 さて、自閉症とは国際疾病分類10版によりますと、相互社会的関係とコミュニケーションの質的障害で限局した反復的な行動が見られ、会話能力不十分、身振り手振りの意思伝達障害、狭い反復性常同的な行動、関心、活動で特徴づけられ、物品に対する特別な執着や睡眠と摂食の障害、恐怖や手首を咬むなどの自傷もよく見られるそうです。以上が広汎性発達障害の自閉症あるいは精神分裂病の症状と考えて良いと私は思っていますが、このような問題行動の治療として、栗田教授は「軽度のものは干渉しないほうが良い、注意し過ぎると本人の関心が増大し、他からの注目を引こうとしてかえってひどくなることもある、ほかの活動に注意を向けさせたり運動させたりし、それが無効なら行動療法をする、つまり悪いことには叱ったり罰を与え、良いことには褒め、褒美を与える、それでもうまく行かない強度の行動障害には抗精神病薬療法を行なう」と書かれています。
 ここからは私の経験ですが、抗精神病薬、以前は強力精神安定薬といっていたものはいまだなぜ効くかの解明は充分でなく、いわば対象療法、そういう症状があるから使うのであって、そういう症状を起こす病気の原因を患者の体内から取り除く根治療法ではありません。それを行動障害を呈する患者に使う場合には少量から慎重に使う必要があり、副作用をよく考えないと先に「精神科の薬はうちの子供には毒だ」という考えを家族に植え付けてしまいます。私は評価が定まったものとしてメレリルという弱い抗精神病薬を主に使っていますが、理由は副作用が少ないためで、効果が弱ければ沢山使うことで一応目的を達することができるからです。こういう症状の場合、しばらく使ってよければ止めてしまうという投薬では駄目で、一定量をかなり長く使わねばなりません。抗てんかん薬ほど長くはありませんが、数年は必要なことが多いようです。そのためにも簡単で安い薬が良いと思いメレリルを使っているのですが、とにかく今より悪くならないようにというのが私の治療の方針であることは何度も申しました。こうして私は鷹取学園の精神遅滞者の治療を15年近くしてきました。私の身に付けてきた精神医学やてんかん学の知識も大分時代遅れになってきましたので、そのうち若い精神科医に嘱託医の仕事を継いで貰わねばなりませんが、私のこの方針だけは間違いがなかったと思っていますので、将来も続けて貰いたいと思います。

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8、管修の治療教育について
 管修先生は40年前に精神遅滞者の治療教育についてまとめておられ、私はそれを今も高く評価していますので、それについて若干話します。原文をそのまま読みますと、「治療教育の目的はできるだけ多くの知識を授けるのではなくて、児童(精神遅滞者を指す)に一人で考えさせ、彼の希望や行為を道徳の原則に一致する方向に向けさせることにある。実施は教育によって脳神経の機能減退と廃用性萎縮を防ぎ、訓練によってそれらの正常機能の増進を図る。精神遅滞児も成長期にあるから、現在の症状が固定しているのではなく、成長に従って変化するものであるが、長期にわたって一貫した方針で、中断することなく実施しなければならない。指導方法には個人指導と集団指導があるが、特徴を生かして行う。個人指導は児童各自に適したことを他にわずらわされずに行えるが、集団指導のように児童の模倣性を利用したり、社会性を養うことができない。一方、教師対児童の1対1では学習や作業の気分が盛り上がらないが、集団指導だと勢いがついて高率的なことが多い」。
 この表現は少し時代がかっていますが、今も真実をついていると私は思っています。てんかんと自閉症に例を取って治療の話をしましたが、それらの上にこの治療教育が鷹取学園指導員の下でなされているのです。作業訓練と集団生活による指導がなされ、その過程では悪い事は必ず注意し、改まるまで執念深く指導してもらい、これが有効だと思えば、帰省させないとか好きな訓練や遊びを一時的に禁止するといった罰を加えることもあります。かって学校教育では、運動会のかけっこで順位をつけるのが不平等だといって廃止し、通知表の段階的評価を「差別だ」といって不明瞭化するなど、個人の資質や努力と無関係に結果としての平等が求めらていた時代がありましたが、これは間違った平等観であって、子供の成長をむしろ阻害していると私は長年考えてきました。「個性を尊重する」という美名の元に身勝手でわがままな行動までが容認され、何が良くて何が悪いかを教えられない教育的雰囲気というのは間違っていると思います。
 鷹取学園の園生の中で、入園後にたとえアルフアベットが読めるようになり、ローマ字が書けるようになり、掛け算の九九を暗誦できても、善悪の区別ができず、何が他人の迷惑になるかが分からない治療教育は意味がないと私は信じています。鷹取学園の園生は共同生活と作業の指導や訓練を通じて、善と悪の区別、して良い事と悪い事の区別、他人に迷惑をかけないことの重要性を学びます。彼らは精神遅滞者ですから、それを学んで身に付けるには正常知能者よりも時間はかかりますが、それでも過去の一般学校教育の現場のような混乱は起こっていないと思います。繰り返しますが、私の考えは「できるだけ多くの知識を授けるのではなくて、園生に一人で考えさせ、その希望や行為を道徳に一致する方向に向けさせる」ことが最も重要だと考えているのであります。
 最近、奇妙な殺人や傷害事件、神戸のさかきばら少年や長崎の男児殺人、あるいは河内長野の親兄弟を殺傷した18歳の大学生などが新聞に載りますが、これらは善悪の判断をつけねばならない教育が欠けていることを何よりも物語っていると私は思います。

9、今後の知的障害者施設
 私の知識は知的障害者が措置として鷹取学園に入所するという時代のものですが、今年の4月から措置でなくて施設と障害者との契約で入園が決まる制度に変わりました。そしてなるべく、施設を出るように、地域社会で生活させるようにというのが厚生労働省の方針だと聞きます(今年4月から始った障害者支援制度の利用者が多すぎて支援費が足りなくなっているという記事を11月14日の朝日朝刊に載っていました)。ところで厚生労働省の新方針通り、施設を出て地域社会で生活できれば誠に結構なのですが、私はそれが出来そうにない園生、知的障害者のお世話をしてきたのだと自分では思っています。園生は精神遅滞こそありますが、それなりに対人関係も弁え、嘘もつけば騙しもします。その点一般人と大差はありません。精神遅滞者は知能が低いだけで後は聖人君子、嘘も言わず騙しもせず、いつも真面目に努力してくれる存在だなどと私は考えておりません。このような精神遅滞者の知能、感情、意思の3方向つまりその全存在を正しく認識した上、単なる憐れみや表面的なヒューマニズムだけではない、長続きのする社会復帰活動がなされるべきであると私は考えるものであります。つまりは安全第一というに過ぎない老精神科医の考えですが、私の場合、なぜそんな結論になったのかをご説明した次第です。ご清聴有り難うございました。