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皇室全般画像掲示板
本文なし
香淳皇后のご両親でも歪みはありません。
良子様のご両親父は久邇宮邦彦王。母は12代薩摩藩主公爵島津忠義の七女俔子
このご両親からよくあんなに朗らかな良子さまが生まれたものだ。奇跡だわ。
現代ならこのおっさんに嫁など絶対に来ないと思う。この両親から良子さまが生まれたのが奇跡。しかし隔世遺伝でその次の代とその次の次の代で支障が起こっている。
>この両親から良子さまが生まれたのが奇跡この父親の遺伝で皇室にチビ不細工頭の悪さを持ち込んだ香淳皇后のどこが奇跡なんですか?香淳皇后の遺伝で今上も頭が悪くて妻の言いなりでしょう。昭和帝は戦後の身の処し方を知っていたが、香淳皇后は何も考えていないおバカさん。
だいたい気に入らない嫁だから虐めるということ自体頭の悪さの象徴。いくら気に入らなくても、この先何十年身近に居る人間ですよ。好きだ嫌いだとくだらない感情のやり取りに人生を使うのは頭が悪いから。見なければいいんですよ。程度の低い中学生非行グループが気に入らない仲間を虐めて殺すの変わらない愚かさですね。
その点華子さまは他人との距離のとり方に頭の良さを感じさせる。誰とも深い入りせず、自分の人生を汚さない。それは華子さまが出自が良いからではなく、頭がいいから。
香淳皇后に同情して、「平民嫁に苦労されてお労しい」なんて言ってるのは、香淳皇后と同じ程度の頭でしょう。だから、「皇室廃止!」と連呼してる。ID:9LR10GUM のことですよ。気に入らない嫁でも決まった以上はどう関係を築くかですね。どうしても嫌なら距離をとって見ないようにするしかない。頭を使う人は感情に振り回されずどうすべきかを考える。不平不満で人生を汚すより割り切る事を選ぶ。華子さまはそういう人生の感じじゃないですか?
>気に入らない嫁でも決まった以上はどう関係を築くかですね。どうしても嫌なら距離をとって見ないようにするしかない。これミチコとマサコの事なんですね。見ないふりね。つつがなく・・・
香淳皇后は↓この通りなんでしょうね76 :苺パンツ:02/01/14 09:49 敗戦後出た暴露雑誌に、 「時勢には全く無頓着で、8/25に嬉々として御菓子作りの材料を 集めるよう命令した」 ホントかウソか知りません。甘い物が好きだった。考えるのはその事だけ。
伝統に沿わない嫁でも7カラットのルビーを贈りディオールにドレスを用意させた香淳皇后とは何と度量の大きなお方だったのかと思う諦めて一生懸命指導したら「イジメられた」とはしたなくマスコミに発信香淳皇后がおいたわしすぎる
>これミチコとマサコの事なんですね。美智子さんは嫌になるほどよく見てるでしょう。そして介入して、つつがなく、と取り繕う。
>香淳皇后とは何と度量の大きなお方だったのかと思うえっ?入江日記の記述を知らないんですか?
>敗戦後出た暴露雑誌に、「時勢には全く無頓着で、8/25に嬉々として御菓子作りの材料を集めるよう命令した」敗戦で食料がなく国民が飢え死にしている時にあのように丸々太っているのだからそうなんでしょう。ホントかウソか知りません。
76 :苺パンツ:02/01/14 09:49敗戦後出た暴露雑誌に、「時勢には全く無頓着で、8/25に嬉々として御菓子作りの材料を集めるよう命令した」ホントかウソか知りません。↑ホントなんでしょうね。272 :日本@名無史さん:02/12/04 03:59 甘いものがお好きだったのでしょうかね 木戸が巣鴨プリズンに収監されるときなんか お土産にドーナツつくったりしてるし>皇太后様が、おぼけになりましたのは事実でございますが、ご病気ですから致し方なきことかと。甘い物がお好きでございました。
父親と兄も金の無心や放蕩、感情で動く頭の悪さだった。香淳皇后も好き嫌いのレベル以上には物を考えられないようですね。そういう頭の悪さが今上にも遺伝したんじゃないですか?別に香淳皇后の頭が悪くても構わないが、>この両親から良子さまが生まれたのが奇跡↑バカじゃないかと思うから反論してる。
>この両親から良子さまが生まれたのが奇跡お若い時の良子さまはとても美しい。このちんちくりんのおっさんと顎の長いおばさんの娘にしては奇跡的。
良子皇后は戦時中、疎開している子どもたちのためにお菓子(ビスケット?)を配ったエピソードがあったよね。記事を読んだことがある。あたたかく優しいお言葉とともに、親と離れて寂しい思いをしている子どもたちの心とお腹に届いただろうと。そして、それはお菓子を作る工場にとっても有益であったと。国母とはこういうものか、と思いました。
>良子皇后は戦時中、疎開している子どもたちのためにお菓子(ビスケット?)を配ったエピソードがあったよね。日本中の疎開している子供たち全部にプレゼントしなければ不公平ですね。戦時中はお米さえ食べられないお砂糖もないのにビスケットを配るなんて信じられません。
集団疎開していた児童に配られたんですよ。戦時中の甘いお菓子は空腹な子どもたちの心とお腹を満たした証拠に多くの人がそのことを覚えています。
>8/25に嬉々として御菓子作りの材料を集めるよう命令した」おかしくはない。 当時を知る人ならわかるだろうが当時の日本は別に飢えてはいなかった。都市部は壊滅しても農村部は無事だった、都市部に食料がたりなかったのは空襲で運送が滞っていたからだ。戦争が終われば都市にも食料がくる、だからお菓子が作れると思っても不思議ではないのだ戦後の日本が貧窮したのはGHQの進駐にかなりの大金をつかったから(孫崎本による)米が支援した食料(主に家畜の餌級の小麦やトウモロコシなど)の何十倍もの金額を吸い取られていた。でも貧窮が本格的になったのは進駐が始まった翌年ぐらいからだから(新米が来なくなった)、進駐前ならお菓子を造ろうと思ってもふしぎではない。
>でも貧窮が本格的になったのは進駐が始まった翌年ぐらいからだから(新米が来なくなった)、進駐前ならお菓子を造ろうと思ってもふしぎではない。良子さまの作ったビスケットがどこまで配られたのか疑問ですね。
どこにも書かれていなかったことだけど、推測するに取れ秋の新米が来なくなった(だから都市部は飢えた)のは 多分売ったのだろう。日本の米は高く売れるからね。それを進駐の費用にあてた。代わりにGHQは家畜の餌を配り、大々的に「施しをしてやった」と宣伝した。それは今でも信じられていて アメリカ様は優しい神話となっている。
自分は子供のころ両親に「飢えたのは戦後」と聞いて不思議だったんだ。なぜ戦中ではなく戦後飢えたのか? 農家の働き手を戦争に取られて、それで日本中が飢えていたのだと思い込んでいたので。戦後飢えたことの理由がわからなかった。 本で米からもらったものの何倍も毟りとられていたことを知って腑に落ちた。孫崎本はここからいきなり、「だから米は敵だ、シナと仲良くしよう」に飛ぶからげんなりするのだけどw)
>良子さまの作ったビスケットがどこまで配られたのか疑問ですね。お菓子工場じゃあるまいし、何を書いてるのかねこの人は。終戦すれば食料はある、と皇后が思ってもそれはおかしくはない、と書いているだけなのに。
>代わりにGHQは家畜の餌を配り、大々的に「施しをしてやった」と宣伝した。私たちの世代は小学校の給食にアメリカでは豚の餌である脱脂粉乳を飲まされていました。クラスの子供たちみんなまずくて残して捨てていました。主食はごはんではなくコッペパンでした。あの頃は米を食べると頭が悪くなる。パンを食べるのがいいとされていた時代ですから。
母に「飢えたのは戦後」ときいて 不思議で「なぜ戦中ではなく戦後なのか?」と聞いてもわからなかった。当時子供の母にそんなことわかるわけがないね。闇米やら配給やらで食料の取り合いをしたのは戦後だ。不思議だとおもわないか?それを不思議だと思わせないような絡繰りがあったのだよ。
昭和天皇が戦後全国各地を回ったら必ず闇米とか食料が調達できたので皆が天皇のお供をしたがってあまりに人数が多くなったのでGHQが人数制限をかけたそうだ。
いつもバカを見ているのは国民だけ。本当に天皇なんか無くなってしまえばいい!