各国の経済が中所得から高所得へと発展するためには、道も違えば、かかる時間も異なる。しかし、その過程における経済的法則は往々にして似通っている。日本や韓国の経験を見ると、「中等所得の罠」を回避する主なシンボルは、膨大で安定した中間層を生み出し、「ラグビーボール型」の社会を形成することだ。
日本:「国民所得倍増計画」で「一億総中流」実現
1960年12月、当時の池田勇人首相は、内閣会議で「国民所得倍増計画」を打ち出し、実施が決定した。しかし、当時その計画を支持する人はほとんどいなかった。当時、日本の生産水準は、戦争前の状態に回復していたものの、ほとんどの経済学者が日本経済が急速に発展し続けるのは不可能との見方を示していた。そのため、最も楽観的な予測でも、年間経済成長率は6.5%とされていた。
それに対し、池田首相が打ち出した新計画は、年間平均11%の経済成長率に設定し、国民の所得を倍増させるという目標を掲げていた。あまりにポジティブで、大胆な計画と感じ、支持する人がほとんどいなかったというのもうなずける。
同計画を立案した経済学者・下村治氏は、減税や利下げなどをレバレッジに、技術革新により生まれた需要を逃さなければ、国民の取得を倍増させるのは夢ではないと主張した。そして、翌61年からこの計画の実施が始まった。農業の分野において、農地改革を通して農産物の価格や農業生産効率を向上させ、農民の所得を増やした。工業の分野においては、減税や利下げなどの対策を講じ、貿易を自由化し、中小企業の役割を重視した。そして、大小企業の役割分担と連携の仕組みを構築し、所得の差を縮めた。政策のサポートの下、日本の企業は投資を拡大させ、技術革新を加速させた。その他、日本政府は、全国総合開発計画を3度実施し、都市部と農村部のバランスの取れた発展実現を目指した。