天皇を驚かせた田中角栄の流儀とは? 保阪正康が読み解く

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田中角栄(1918年~93年)。47年、旧新潟3区から衆議院議員に初当選。72年に首相。右手を挙げる「よっしゃ」というポーズがトレードマークだった。74年に首相辞任後、76年にロッキード事件で逮捕・起訴された (c)朝日新聞社

田中角栄(1918年~93年)。47年、旧新潟3区から衆議院議員に初当選。72年に首相。右手を挙げる「よっしゃ」というポーズがトレードマークだった。74年に首相辞任後、76年にロッキード事件で逮捕・起訴された (c)朝日新聞社

 票を集めて多数派を形成するのが、政治的権力である。大衆的な「集票の個性」をもっていないと、首相の座に就けない。田中にはそれがあった。戦争に負けて散々な目に遭った日本は、この時期に復興していく。高度経済成長を突き詰めていく田中の存在は、復興のシンボルたり得た。

 田中は、「便利だ」「おいしいものを食べたい」「いい暮らしがしたい」という私たちの欲望を政策化した初めての政治家だった。きれいごとは言わない。国民の欲望をそのまま、正直に政策化した。

 東條英機、吉田茂と田中角栄を並べてみると、すぐにその違いに気づく。

 東條は陸軍大学校、吉田は東大法学部を出たエリート。田中は学歴に頼らず、自分の力でのし上がった。昭和前期、中期であれば、官僚制の底辺にいるような存在だっただろう。それが、戦後民主主義の中では首相になることが可能だ。

 首相になると、天皇としばしば会う。官僚出身者、あるいは長く政治家をしてきた人たちは、天皇に会ううえでのルールについて、ごく自然に覚える。

 例えば、東條英機の時代であれば、天皇のところに上奏に赴いたとき、天皇の目を見ないというのがルールだった。目を見ると天皇の考え方が分かるから、決して見ない。戦後であれば、政治と距離をおいた天皇からの質問にも、詳しい話はできない。政治的判断を天皇に求めることになってしまうからだ。

 田中角栄は、そうしたルールを見事に破った。

 田中が首相だったときの宮内庁長官・宇佐美毅によると、天皇に内奏をした田中の退出後、天皇は驚いた表情をしていたという。

 ふつう、内奏は5~10分程度だが、田中は30分ぐらい使っていた。天皇が「経済はうまくいっていますか、どうですか」と聞く。佐藤栄作や池田勇人なら「景気は一時的に悪いですけど、大丈夫です」などと抽象的に答える。

 ところが田中は、次の国家予算や貿易収支の額から赤字国債の発行予定まで延々と説明し、「私の内閣において、このことを実行します」みたいなことまで言っていたという。天皇はびっくりしたわけだ。


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