前に、サイキックの北野誠が余計なことを言って松竹に干された件で騒ぎがあって。週刊誌レベルでしか事情は見てないけど、そういうデモンストレーションって周期的に起きるものなのかな。

北野誠氏の追放劇の真相とは
http://muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi?mode=main&no=62
 なぜか村西とおるが本件についての記事をブログに書いていて、週刊誌の話と突き合わせても、まあそういう話なんだろうか、という気になってくる。松竹も音事協から放り出されたという話を考えるに、もう少しコアは違うところにあるのかしらとも思うが良く分からない。

 雑談として最終爺風につらつら書くならば、追い出した側もそういう商売であるし、追い出された側はそういう商売の持つ側面を確かに率直に公の分かる形で言ってしまったという点で、あまり不自然な点がない。常識的に考えるならば、いずれ起きることだったのだろうし、大阪だから許されるテレビやラジオの暴露系芸風のあり方などというのもある種の法則があるように感じられる。

 松竹だけが暴露系番組で不祥事を起こしたかというとそんなこともなく、島田紳助マネージャー殴打事件における勝谷誠彦ノーコメント話だったり、辛抱さんだったかが所属会社の不祥事について歯切れの悪いコメントをしていたり、この手の話はメディアも商売でやっているのだから、仕方のないことだろうと思うのである。

 翻って、本件北野某の場合も、繁華街の飲食店同様、ある程度見聞の利く範囲で暴力団然とした法を超越している団体がある種の秩序を形成していて、分を超えた珍客や屑店は暴力団に両脇つかまれて界隈から追い出される、という構造とあんま変わらんのではないかと思う。松竹もけじめのつけ方は考えただろうが、やはり音事協の件からすると土下座では済まない話だったのだろう。

 芸能界にやくざが居るのは法規として望ましくないよね、という表向きの議論はともかく、実際そういう界隈でこのような事案が起きているのだから仕方がない。メディアにせよ、四角四面法律で動かせる世界ではないのだから、用心棒人足屋のような業界のドンにみかじめ料を払う風の付き合い方をしている。

 逆に、村西とおるが書いたように、「大物がこの程度の話を流せないでどうするのだ」というネタもあるだろうが、一方で、一定期間には「俺に楯突いた阿呆はこうなるぞ」的なデモンストレーションも必要なのかもしれない。それが北野誠相手でいいのか、というのは気になるが。でも、実際に中堅芸人を文字通り干すだけの力はあったのは証明されたのだから、そっち方面の暴露系の言説はやはり歯止めがかかるのだろう。で、北野誠は忘れ去られる。

 まあ、この辺は本当の意味で暴力団の聖域なんだろうねえ。マスコミ各方面に喰い込んで、評判を上げ下げすることで飯を喰う、というみかじめ料的なビジネスにおいては。