師走と認知の歪み
師走ですね。私もけっこう慌ただしく仕事したりネット活動したりしています。
今年は沢山の色々なことがありました。来年のことを言うと鬼に笑われそうですが、いちおう来年の抱負は抱いています。「認知の歪み」「一人芝居」「執着」を矯正して真人間として更生すること。
先月末は、はしごたんとの関係についても「認知の歪み」を多くの方々からご指摘を受けました。誰の意見も「そうですね〜!」と適当に流して聞いているように見えて、グサリと胸には刺さっていまして教訓として活かしたいと思っています。
以下は、はしごたんが「齊藤さんは、やはり危ないので会わないほうが良いと思いました。」の記事を出す直前のやり取りです。
デカいハートマークでやり取りした時点では私はまだ、はしごたんに「齊藤さんは危ない」と思われていることに気づいていなかった。何となく今夜も順調かなと思ってお風呂に入って安眠していました。そして朝に起きたらはしごたんが「DISった」と記事を書いていらっしゃいました。
お互い直前に仲良くやり取りをしていても、今までの行動の積み重ねや行間を読む力が足りなくて、認知が至っていなかったのかなと反省。相手の心境や行間を読んで空気を読む力が足りないのかなと反省する次第です。
一人芝居の幕引きをしたい
切り売りできるほどの悲しみに満ちた人生は出来ればそろそろ卒業したいものです。「サイバーメガネ劇場」はそろそろハッピーエンドで幕を閉じたいです。
一人芝居で背後から撃たれるようなことはもう卒業したいものです。お人好しであったのも、途中で冷たくなったり憎んだりしたのも、どちらも良くなくて常に冷静な自分を保たなければならない。情に熱いことは大事ですが、情熱だけでは物事はうまくいかないということを悟らなくてはならない年頃ですね。絶版した漫画の復活を願って大塚英志『ジャパン』に登場するレーニンのクーデターの様子と自分を重ねてみました。
(『ジャパン』第2巻)
準備万端で挑んだはずが何かのきっかけで転落する一人芝居は、喜劇であり悲劇でもありますが、その様相は客観的に見れば滑稽でしかないでしょう。そろそろ役者を卒業して、来年くらいには「ああ、私にもそんなこともあったな〜」と芝居を鑑賞する観客でありたいものです。まだまだ、そこに辿り着くには試練の壁があり、その突破は容易ではないですが、来年はその足がかりを掴める年にしたいです。まずもって大事なことは女性への執着を捨てることかなと。男根のメタファー化するのは良くない。
そういう意思を込めて、サイバーメガネではなく、球体関節人形のアイコンに変えました。
同じく球体関節人形アイコンであり、実際に球体関節人形を制作されていらっしゃる九尾さんの方が人生を達観している慧眼の持ち主で、私はいつも九尾さんの記事を読んで自分を見つめ直しています。
九尾さんのブログはかなりオススメです。自分の視点を相対化して見つめられる示唆に富んでいます。
バトー「人間と機械、生物界と無生物界を区別しなかったデカルトは、5歳の年に死んだ愛娘にそっくりの人形をフランシーヌと名付けて溺愛した。そんな話もあったな」
(イノセンス)
執着を断ち切る
人の幸せは多種多様。価値観や正義は人の数ほどあると思った方が良い。正解は1つではなく、時にはあるがままを受け容れることが大事であったりします。最近までかわぐちかいじの漫画『メドゥーサ』でいうと、このコマのような気持ちを抱いていた時期は正直ありました。
(かわぐちかいじ『メドゥーサ』1巻)
でも、そんな敵になったところで何も自分が得することはないことには気づいていて「あるがまま」を受け容れることも大事なのかな…と師走になって改めて感じた次第です。お互い傷つけあったのだし、それで報復の連鎖が続くのは良くない。
先日に『ジャパン』を紹介したのは実は伏線で、『ジャパン』に登場するヒラオカは「ストーカー」と呼ばれています(本名はヒラオカ・キミタケ=平岡公威=三島由紀夫の本名)。ヒラオカは、タルコフスカヤ情報相がクーデターを起こしたときに、タルコフスカヤの妹のマザーシキブ(香港市長)を助けて香港を脱出しようとするシーンがあります。
(大塚英志『ジャパン』2巻)
マザーシキブは彼の申し出を拒み、タルコフスカヤのもとで生きる道を選びます。何が幸せかは人それぞれですね…。自分の価値観を強引に押し付けるのは良くないと思っています。まだ完全ではないけれど、来年はそういうことを許容できる年にしたい。
伏線という意味では、ニャートさんが私のために書かれようとしていた「3番目の記事」へ思いを馳せることも多いです。
@miraihack 齊藤さんに私信を書こうと思い、伏線に2つ記事を書いたのですが、今あまり客観的に文章を書けないことが分かり、今回は見送らせていただいてもいいですか?警察に電話というお話で心配になったのですが、その後は幸せそうなので大丈夫かなと思いました。すみません。お幸せに。
— ニャート (@nyaaatblog) 2016年11月15日
ええ、あの2つの記事は伏線だと思っていました。私への記事は見送って頂いて大丈夫です。私も今は心も立ち直っていますので、ニャートさんの心が穏やかであることを願っています。心配してくださってありがとうございます〜!これから社会系や技術系の記事も増やしていきますね!(*^_^*) https://t.co/rKMkY0V9oY
— 齊藤貴義 (@miraihack) 2016年11月15日
ニャートさんが書こうとしていた未完の3番目の記事。2つの記事が伏線でその伏線が回収されることはなかったのですが、そうであるからこそ2つの伏線記事を手がかりに豊かに想像を膨らますことが出来ました。エヴァンゲリオンのように。
まずは晴耕雨読。しばらくは色恋沙汰から離れて、仕事と読書を頑張って、社会系や技術系の記事を増やしていこうと思います。恋愛を記事に採り上げることもあるかもしれませんが、実体験ではなく社会学として。逆に伏線記事を2つ書かれたままで更新が止まっているニャートさんのメンタルは大丈夫なんだろうか…と最近は心配しているのですが、ニャートさんは強い。
ペンは剣よりも強しを自ら実践していらっしゃる。私もニャートさんのようになりたいものです。
誰かからの承認を求めるのをやめて来年を生きる
私が誰かからの承認を得ようとするのは、色々な方がご指摘のように自分本位であり、いつの間にか承認欲求のモンスターと化していたのかなと思います。
(「シン・ゴジラ」)
今年は大変な事が続いて皆様には多数のご迷惑をお掛けしましたが、来年は真人間として更生したいと思っています。鬼が笑いそうですが…(^_^;)。
(仕事の数は減っていることは確かですが、私の名前は表に出さないけれど依頼してくれる所はあります。何とか年を越せそうではあります。大学病院に通い続けて1日に飲む薬も3錠に減りました。あと体重は75kgに。良いか悪いかわかりませんが、失恋ダイエットには成功しました…)
まだ未完のお仕事を今年中に何とかせねば…。