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ブランニュー・トーキョー

新しい物事が大好物。興味を惹かれた新しいモノやサービスについて、使用前の妄想と使用後の感想を書くのがメイン。今ぞっこんなのはApple Watch Series2。それと、東京生活日記。

ブログ記事が人を不快にしてしまう問題について考えてみた

ブログ運営 思ったこと

ここ数週間筆者はブログの書き方のスタンスで色々悩んできた。この記事を含めて、いくつか考えを自分的に整理するための記事が今後もちらほら続くかもしれない。

 

この記事で考えることはこの命題。

世界の不特定多数へ発信している以上、何を書いたとしても不快・不安になる人はいて、その不快・不安とブログを書くことが利害衝突する事は予想不可能で避けられない。

この問題が大きく存在する事は分かる。筆者も、おそらく世間一般の通常の人なら何とも思わないとだろうと思われる物事を物凄く不快に感じることは日常茶飯事である。

この問題で筆者以外にも悩んでいるブロガーさんがいるので、考えを巡らしてみた。 

www.mofnokikotori.net

誰も不快にさせないブログを書くことはできない。それはその通り。

⇒じゃあ何でも書いていいよ!

筆者は、この考え方は極端過ぎると思う。

「何が人を不快にさせるのか?」という命題は大き過ぎて手に負えないように見えるかも知れないが、手探りでも地道に経験を重ねて学んでいき、考えながら各々の書き手が知りうる範囲で多くの人を不快にさせない表現を取ることを出来るだけ努力して行くほうが何でも書いてしまうよりはベターなのではないか。

もちろん経験不足や意識不足により他人を傷つけてしまうこともあるし、傷ついた人から攻撃されたり無視されたりすることもあるだろう。そんな時は不快になっても一回深呼吸して*1落ち着いて、冷静に考えられる状態に自分を仕向けることがまず第一にすべきことだ。深呼吸で落ち着いて冷静になるにもある程度訓練が必要かもしれない。そんな時に落ち着くために役に立つのは、「過ぎてしまったことを責めても仕方がない。次へ生かそう。」という考え方だろう。

落ち着いたら、経験から学び、今後はどうすればより不快の総量が減らせるようになるか考える。この「考える」ことが人類の圧倒的な強みで、考えて次に生かすことを多くの人が重ねていけば、今ネットの世界にたくさん沸き起こってくる不安・不快の量をかなり減らすことができると思う。

昔は世の中の技術進歩が遅かったので、不快の総量を減らすにはマナーと言う名の慣習的なルールを定めて、それを守るように小さい子供のころから教育しておけば問題に対処したときに一々考えることをしなくても良かった。翻って、今は世の中(特にネットの世界)の進歩が著しく、かつ混沌としているので、マナーではどうしてもカバーできない新しい問題が毎日のように襲い掛かってくる。そんな時には不快総量を減らす方法を毎回考えて次から実施していくしかない。

この点、昔の方が一々考えなくても良かったので楽だったように見えるが、その代り肉体労働は半端なく大変だった。今は肉体労働は機械がやってくれる代わりに、考えて今後を良くするように努力していく、知識労働の時代であるということなのだろう。

やや話がそれたが、要は、ブログで生産されてしまう不快の総量を減らすには経験から学び、考えて次は方法を変えてみるを繰り返す(格好良く言ってみればPDCA)のが最も良い方法だと考える。

 

*1:この深呼吸が、 id:xevra 氏の言われる「瞑想」に相当するものだと考えている。

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