ブログを書いていく上での気持ちが変わりました。
なので、今日は愛すべき読者のみなさまにそのことを書いておきます。
隠れ傲慢だった
わたくし、隠れ肥満でもありますが、隠れ傲慢でもありました。
(まだ他に何か隠れているのではないかと、心配なところではあります。)
今まで、自分が書いた記事で、どこかのだれかに不快な思いをさせることを恐れていました。
そして、だれも不快にさせないブログを作ろうとしていました。
インターネットの向こう側にどんな人がいるのか、まったく見えていないにも関わらず。
それは、とても傲慢なことでした。
どうしてその傲慢さに気がついたのか
こちらの記事を読んで、あ~自分は隠れ傲慢人間だ~と思ったのです。
いろいろ刺さります。
ネットは全世界の人が見る可能性がある場なので、「見る人が不快にならないものを書く」ということは「全世界の人が不快でないものを書く」ということだと思うのですが、不可能だと思います。
「赤の他人の状況の苛酷さなんて知らない。自分は自分の書きたいことを書く」
そういう自分の傲慢さや自己中心性、想像力の欠如からくる残酷さを、せめて認識しておきたいです。
他にも、いっぱい刺さりましたが、引用はこのくらいにしておきます。
自分の傲慢さを受け入れる
「インターネットを通じて、書きたいことを書く、他人の不快なんて知ったこっちゃない」という自分の傲慢さを受け入れます。
そしてどこかの誰かを傷つけることもあると覚悟して、記事を書いていきます。
「傷つけずには愛せない」
(Mr.ChildrenのCROSS ROADより)
このブログを、愛情たっぷりなものにしたいです。
そう思って、どれもなのですが、特にマシュウの記事など情熱で書いています。
(スカートの中身記事もです。)
商品紹介ばっかりしてるブログなら、もしかしたら傷つける人は少ないかもしれません。
(それでも、「クーッ!このカップラーメン、二股かけてきてたカレシのお気に入りのヤツや…」とか、いろいろあるかもですが。)
このブログではさらに自分の気持ちに一歩踏み込んで、自分の行き場のない溢れ出る母性本能のほとばしり場所として、愛のあふれるブログにしたいのです。
(こういうようなことを言ってると、「ホント頭弱いよね(笑)」とか友人や家族に言われてしまいます。なので、笑っていいです。(笑))
でも、そんなブログにするためには、当たり障りの無いこと以外にも書いていかないとなりません。
そうすると、やっぱり誰かを傷つけることも多いと考えます。
それこそ、「傷つけずには愛せない」です。
目の前にいる人には思いやりで接します
ブログ活動をしていて、病気の人も、障碍を持った人にも出会います。
そんな人を元気づけようとして、特別に扱う自分がいました。傲慢です。
このブログを読んでいる身バレした人は、こんな風に教えてくれました。
「障碍を持った人などが、目の前にいてリアルに困ってたら、手を差し伸べればいいんだよ?
インターネット上はそうじゃない。だから、誰にでも同じように接すればいいんだよ」
大学でそっち方面のことをいろいろ勉強してきた人なので、その言葉に真実味がある。
本当にその通りだと思いました。
なので、
目の前の人には、思いやりで接します。
でも、インターネットの向こう側の人は、知ったこっちゃありません。
だって、知り得ないんだもの。
それに、自分の想像力は、乏しすぎる。
まとめ
記事によっては、愛すべき読者さんを傷つけてしまう時があるかもしれません。
でも、傷つけずには愛せないのです。
(「傷つけずには愛せない精神」)
さらに言うと、あなたが傷つこうが知ったこっちゃありません。
人の感情のコントロールの仕方なんて知らないから。
これを、
「知らんがな精神」
と呼ぶことにします。
「傷つけずには愛せない精神」と「知らんがな精神」で、傲慢な態度で書いていきます。
このブログを書いているのは、そんな行き場のない母性本能を、無闇に発信している、傲慢な人間です。
もしも、あなたが目の前にあらわれた時には、思いやりで接します。
このブログ界を生きていくために、「他人の不快なんて知ったこっちゃない」「自分は書きたいことを書いて人を傷つける傲慢な人間だ」ということを念頭に置いておこう。どこかの誰かも知らない人の気分を害するのがこわかった。そんなの到底無理なのに。今日から再出発の気分。うさるさんの記事を読んで
— もふのきことり (@kotorimofnoki) 2016年12月2日
厳しい中に愛のあふれる記事を書いてくださったうさるさんに感謝します。
※記事タイトルの一部を、Mr.ChildrenのCROSS ROADの歌詞から引用しました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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