ここから本文です

安田浩一氏が語る ヘイトスピーチと対抗した「カウンター」

AbemaTIMES 12/2(金) 14:17配信

「ヘイトスピーチ」という言葉は2013年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に入った言葉である。この頃、在日コリアンに対する「死ね」「ガス室に送れ」などといった言葉が路上でデモ隊によって発せられていた。そうした現場を取材し、第34回講談社ノンフィクション賞受賞作『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』を執筆したジャーナリスト・安田浩一氏は今のヘイトスピーチとそこに対抗した「カウンター」と呼ばれる人々について何を考えているのか。12月1日、安田氏から話を聞いた。(取材・文/中川淳一郎)

――安田さんは元々外国人労働者が不当に搾取されていたり、過酷な労働環境にあることを取材した経験があります。そうした経緯から、在日コリアン等に対するヘイトスピーチに関心を抱いたのですよね?

安田:外国人労働者を取材する過程で、ネトウヨの言説が日常的に飛び込んできました。僕にとっては地続きの取材。外国人、在住外国人の取材をする中避けて通れない問題だと思いました。そんな中、一番わかりやすい形で運動していた在特会(在日特権を許さない市民の会)に注目しました。在特会の目的や、なぜ生まれたのかについては、当時は何も知らなかったです。在特会的な(在日韓国人を差別するような)言説により、世の中に支配的とは言わずとも、ある程度力を持って、ネットで流布されていることに憤りと嫌悪を感じました。僕はそういう立場で取材をしてきたのです。

僕は、在特会については2009年~2010年ぐらいから取材をしていたのですが、2013年からメディアは排外主義的デモを報じるようになりました。ただし、それ以前からも何度も排外主義的なデモは行われてきた。人々が知らなかったのは、メディアが単に報じなかったからです。僕も多くのメディア関係者から「こんなもの放置しておいた方がいい」と言われ、右寄りメディアから左寄りまで「放置すればいい」と言われたものです。

僕も「確かにそうかな……」と思い、取材をやめた時期もありました。しかし、放置することで何も変わらなかった。放置することで差別的なデモの動員数が増え、より差別的に排外的になり、僕としては放置できなくなりました。街頭デモは2013年までやられっぱなし。「在日韓国人は死ね! 殺せ!」といったコールが行き交い。在日コリアンの住むところでもよくありました。もはやなすすべもない状況です。こうしたコールに反対する人はいましたが、声をあげれば取り囲まれ、時には暴行も食らう。警察も見て見ぬふりをしていた。そんな状況の中、2013年2月に「レイシストをしばき隊」が生まれたわけです。

――それまでネトウヨのデモに新大久保のコリアンタウンの人々は「言われるがまま」状態でした。「しばき隊」が出たことはどんな影響がありましたか? ちなみに私は「しばき隊」が登場した時、完全に拍手喝采でした。自分は土日に行われる排外デモに異論を言いたかったけど、実際問題として休みがないので、在特会等が行う中継を見ては「この排外主義者、何言っとるのだ!」と怒ってツイートし、批判的な記事を書いているだけでした。そんな中、「しばき隊」が出てきたことは歓迎しました。

安田:僕は「しばき隊」の存在は心強いと思いましたよ。やっと出てきたな、と思いました。こんなに考えている人がいたのだ、と感動したくらいです。実際に、「お散歩」と称して、在日コリアンの経営する商店で、排外デモ参加者はデモ終了後に恫喝を繰り返していました。これを止めることを目的にした人々が登場し、実際に止めたわけです。

この活動は効果があったと思うし、健全だと思いました。いわゆる「お散歩」を止めたことが唯一の評価と言う人もいますが、ああしたデモが許されないという空気を作ったのは、しばき隊であり、カウンターです。ただ、僕が今感じているのは、昨今のヘイトデモに対するカウンターの参加者は各地でもう知らない人ばかりです。「しばき隊」というのは、イメージの問題として流布されている状況にあります。

「カウンター」の活動に参加している主力は様々な人達です。しばき隊が運動として先鞭をつけたのは間違いないです。社会的に差別デモを包囲するという動きが盛り上がったのはいいことだと今でも思っています。なぜかというと、それまでは当事者が声をあげられなかったからですね。たとえば、東京の場合は在日コリアンのコミュニティは非常に小規模です。そのうえで、コミュニティは各地に分断されています。そうした状況の中で排外デモに対して声を上げるのは怖いこと。ここに在日コリアンではない、当事者以外のカウンターの人々が前面に立って在特会に対峙することは大事だと思います。カウンターと在特会の争いになれば、戦略としては勝ち。当事者が叩かれるのではなく「在特会VSカウンター」という状況に持っていくことが、当事者を守ることに繋がるのです。

カウンターの人々は、何の動員もなく、自発的に集まり、自発的に散っていくものです。そこを現在ネットで流布されているように、おどろおどろしくイメージを作ったのは、「しばき隊」という名称でありイメージかもしれません。実際は一部の暴力的なものを強調し、ネットで広めた人々がいたのかもしれない。しばき隊のコアな人からすれば、予想されていたかもしれないし、そうなるのも当然と思っていたかもしれない。敢えて自分たちがそのイメージを引き受けることで、運動を局地戦に持ち込み、問題提起をするという部分が多かったのではないでしょうか。

――いわゆる「カウンター」と呼ばれる人々はどんな人だったのでしょうか?

安田:カウンターの主力は誰か? と言われれば、それぞれが主力だと思います。あれを「しばき隊」かといえば、数百人がしばき隊だったかもしれません。彼らの存在は、差別の当事者を直接対決の場に引きずりださず、傷つけさせないということは達成しました。あの頃、ネトウヨの動員力と、ネット上における差別的言説はあまりにもひどかったです。あれは、日本に分断と亀裂を持ち込む勢いがあったと思います。それが自覚しないまま広がってしまった。

――あの頃、在日に対する差別への反対意見を述べていたメジャーメディアは少なく、安田さんが反対していたから安田さん自身が「矢面」に立たされていた面があると思いました。

安田:僕のところにも、在日を差別したい人からは毎日のようにネットでも罵倒は来ました。挙句の果てには家に来る人もいました。放火してやるといわれ、僕の家は警察の警備対象にもなったほどです。講演をすることが発表されれば、講演の中止を訴える電話が来る。テレビに出れば、テレビ局に対して「人選を誤るな!」「あんなヤツを出すな!」とクレームが来るのです。そして、このインタビューの聞き手である中川さんにもお伝えしたいことがあります。文句を言いたいのではなく、こういうこともありました、ということです。

――はい。

安田:中川さんは、今回の取材にあたり、僕に電話をしたうえで、出なかったことからツイッターでこう書きました。

〈安田浩一さん、さっき電話したんですが、お出にならなかったのですが、お時間ある時、電話ください。今の「カウンター」「反差別界隈」について安田さんがどう思ってるのか取材させてください。〉

僕はこの時、沖縄にいて、携帯電話の電波がつながりにくい状況でした。そんな中、中川さんからの電話にも出られない状態で、その後このツイートをいただき、すぐに折り返しました。

――はい。40分ぐらいでお電話いただきました。ありがとうございます。

安田:ただ、中川さんのこのツイートがどれくらい多数RT(引用)されたかということがあります。中川さんのこのツイートを見たネトウヨにとっては「安田は中川の電話に出なかった」「安田は中川から逃げやがった」みたいになりました。もちろん、僕は中川さんとは長い付き合いですから、中川さんがそうしたネトウヨ扇動の意図はなかったと思っています。

僕は、こういった形の「叩き」は日常的にやられています。「クソ反日サヨク」とか色々言われます。もちろん、腹も立つし、むかつくし、むしゃくしゃする。でも、慣れてきたところもあります。ネットだけでなく、実際に、カウンターの現場を取材していてもそう。ただ、僕はモノを書く人間のコストだと思っています。そのコストを引き受けることができるか、ということです。何かを書いたらもれなく批判、中傷は来るものです。テレビに出れば文句が来ますし、雑誌に書いても批判は溢れます。それは仕方がない。コストとして引き受けるしかないですし、昨日今日始まったことではない。ずっと繰り返されていること。

それに対し、僕はまだ反論したり、それを外にアウトプットする回路がまだありますし、ネタにできます。ただ、それは、僕だからこそ割り切ることができることですね。色々なメディアで、対談とかしたりするわけですよ。その時に「安田さん、在日コリアンの話題をしないでください」と対談相手に言われたことがありました。「なんでですか?」と聞いたら、その人は「私は在日ですから……」と言うのですよ。僕はこのテレビの出演の時は、あくまでも外国人労働者の問題に関する話をするために来ているのですね。

しかし、外国人労働者の話からの文脈で在日コリアンの話になることをこの対談相手は恐れていた。「私は在日なので冷静にいられなくなります。気持ちとしては、言いたいのですが、私が在日であることがバレてしまう」と言われたのです。他の時も、在日コリアンから「安田さんやしばき隊に頑張ってもらうしかない。私は何も言えません……」と言う人にも何人にも会いました。

言論の自由とか、色々話題になりますが、言論の機会を奪われている人が多いと思うのですね。ネトウヨのデモに対しては「言論の自由を守れ!」と言いますが、今、現実に言葉や表現を奪われ、自らを語ることができず沈黙を強いられる人ってのがいるのです。著名なライターや「識者」の中にも在日はいます。そういう人が在日であることを言えない状況があり、在日について語れず、差別について語れない状況があるのです。それを作り出している社会的な雰囲気には、きちんと反論しなくてはいけない。傷つく恐れのない人間が、反論を続けなくてはいけないと思っています。

1/2ページ

最終更新:12/2(金) 15:28

AbemaTIMES

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。