急死の雨宮まみさん、「死にたくなる夜のこと」という詩を発表していた

2016年11月17日17時35分  スポーツ報知

 「こじらせ女子」が2013年の新語・流行語大賞にノミネートされた作家の雨宮まみさんが、15日に死去していたことが17日、分かった。40歳だった。大和書房が公式サイトで発表した。

 雨宮さんは6月、自身のブログで「死にたくなる夜のこと」との題名の詩を掲載し、死生観を明かしていた。以下はその抜粋。

 「死にたくなる夜のこと」

 死にたくなる夜というのが、やってくる。
 たいていはそのたびに、薬を飲んで、寝ようとして、

 眠れなかったり、でもほかのことでは気を散らすことができなかったり、

 朝日がのぼるまでの時間を、苦しいまま過ごすことになる。

 「死んでもいいですか?」と、誰かに訊きたくなる。

 否定してほしいわけじゃない。死んじゃダメだと言われたいわけじゃない。心配なんか、かけたくない。
 でも、その言葉は甘えだと、よくわかっている。

 死んでもなにも起こらない。
 あとに残された人がいろいろ面倒だろうから、申し訳ないだけで。
 それでも、この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、
 ベランダからじっと地面を見つめるときがある。

 冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる。

 死んだら、みんな、「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。
 「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」

そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。

 時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。
 経験でわかっていても、人の心は、なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう。

 「この先の景色を見たい」という気持ちが、わたしにはない。

 いつも、ずっと、一度もない。
 「この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる」と思ったことは、一度だけある。

 誰かと出会ったり、ものすごい才能を見たり、ひどいものに触れたり、そういうことがあるたびにまた、あの冷たい手すりを握りしめて、「もうここまででいい」と思うんだろう。
 いつも、手すりから引き返した日常を生きている。普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。
 そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。
 手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。
 たまらなくそう思うときがある。

 感情が、すこし、過多なのだろう。

 明日が、強烈な一日であるように。
 「これでいいんだ」と思えるような決断ができるように。
 引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように。

 夜が過ぎるのを待つ。

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