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外伝 カナンの【鬼哭迷宮】探索記 1
星導暦2525年、紅弦月の凍蜂日、季節は寂秋。
山々の木々が紅葉で赤く染まっては散り、迫る絃冬の影響で一段と寒さを感じ始めたその日、私――カナン・金夜叉=ディアポロード・パナロベルは、道中で三名の部下を失いながらもただ一鬼、孤立無援の状態で誰も入った事の無い未発見だった【鬼哭迷宮】の攻略を続けていた。
「さて、まだ先が長いのか、それとも最奥までもう少しなのか……それさえ分かればもう少し気が楽になるのだが、な」
小さく愚痴を零しつつ、周囲の気配を探りながら、数百メドルほど直線が続く無人の通路を音も無く駆け抜ける。
乳白色で金属光沢のある特殊な木材によって造られた、まるで神殿を彷彿とさせる内装の通路。
厳かな細工の施された壁に等間隔で埋め込まれた発光石によって照らされ、地下にありながらも視界は明瞭だ。
少しも見通せない程の闇が広がるよりかは良いのだが、明るいと言う事はそれだけ敵を発見しやすいのと同時に、発見されやすいと言う事でもある。
百年以上の付き合いになる精強な部下は既に“死に戻り”――【鬼哭迷宮】では内部で死ぬと出入口付近にある【再誕神殿】で復活する――し、深度の問題でこれ以上の増援が見込めない現状、敵は私一鬼で処理しなければならない。
これまでの長く困難な道中で消耗した物資は多く、体力や集中力なども万全とは言えない。
疲労は確実に私を蝕んでいる。
そんな中、この直線の通路を進むのはあまりに危険過ぎた。
どんな罠が設置されているかも分からない事に加え、この通路には身を隠せるような遮蔽物が無く、自由に動き回れる広さも無い。
遠距離から高威力の攻撃をされると、下手すれば私も“死に戻り”した三名の部下の後を追う事になるだろう。
過酷を極めた道中を思い出し、また最初から挑戦するのは遠慮したいという思いが強くなる。
少しのミスが“死”に繋がるので一時も気を緩める事は出来ない。
精神的にも肉体的にも限界は近づいている今、この通路は損耗を抑えいち早く抜ける必要があった。
「このまま敵が出てこなければ最良なんだが、チッ、そう上手くはいかないか」
しかしやはり、思うようには行かないようだ。
巧妙に隠された罠を回避しながら通路を半分ほど過ぎた頃、ある意味当然なのだろうが、百数十メドル先の床に、壁面に、そして天井に無数の亀裂が走った。
そしてまるで卵の殻を破って産まれる雛のように、亀裂の中から私の敵である【迷宮怪物】が産み落とされる。
予想していたが、それでも思わず舌打ちをしつつ、更に加速する。
通路の床を陥没させて足跡を残しながら、私の身体は吹き飛ばされるように前に進んでいく。
先手必勝。先制攻撃。即断速攻。
兎にも角にも攻撃される前に攻撃する事、それが今の私が行うべき最善な選択だ。
何故なら、ダンジョンモンスターは六大陸の一つである≪アンセンレナス大陸≫に存在し、許可なく立ち入ると国際法で極刑に処される事もある、古代の自然を色濃く残す【神秘保護指定区】の一つである≪ク=デン太古樹海≫の最深部。
強力無比な遺存種達を退けてようやく到達できるそこに存在した為、今まで誰も発見する事の無かった【始まりの鬼哭森殿】――私が新しく発見し攻略中である四十七番目の【鬼哭迷宮】だ――によって産み出された、侵入者を殺す為だけに存在する疑似生命体である。
殺すか殺されるか、私達とダンジョンモンスターの間には、対峙した瞬間からそのどちらかしかあり得ない。
だから排除せねばならず、攻撃こそ最大の防御である。
「“黒粘鎧竜牙兵”が……十六体か。しかもメイジ系まで居るとは、面倒な」
亀裂から現出したばかりのダンジョンモンスターは大盾や長槍などで武装し、闇のように黒い粘液を鎧のように全身に纏う牙持つ骸骨の兵士だった。
肉を持たずに動く骸骨と言う時点で、打撃に弱い代わりに斬撃や刺突に強く、各種【状態異常】を無効化し、疲労もせず敵を滅ぼすまで襲いかかる、アンデッド系ダンジョンモンスターの“スケルトン”種である事は明白である。
そして強力そうな武具で武装し、鋭そうな牙や骨の造形に竜の特徴が出ているので、今出てきたのはスケルトン種の中でも上位に位置する竜の牙を素材に造られたとされる“スパルトイ”種だと分かる。
アンデッド系ダンジョンモンスターは基本的に光や火に弱いのだが、竜の牙という特上の素材によって構成されているスパルトイはそれらに耐性を持つ。
打撃も同じように耐性があり、半端な攻撃では罅すら入らないだろう。
また過去、戦場を駆け抜けた猛者達の魂が宿るとも言われる存在であり、高い戦闘技術に加えてアンデッドらしく多少の損壊程度では動きを止める事がない。
他の【鬼哭迷宮】でも幾度となく戦ってきたが、中々に手強い難敵だ。
しかも眼前にいるのは通常のスパルトイ種ではなく、その上位種である、黒い粘液というスパルトイとはまた違う意思で動く“粘液”種と共生したブラックウーズ・スパルトイだ。
武器を使用した武術だけでも面倒なのに、黒粘液の予想外な攻撃なども含めて考えれば決して侮れるものではない。
そんな十六体のスパルトイ達は音無き咆吼を発し、空虚な眼窩に揺らめく赤い光が私を捉える。
そこにあるのは、ただ侵入者であり敵である私を屠るという純粋な殺意のみ。
そして『私を殺す』という目的を遂行するためだろう、スパルトイ達は私の進行方向を塞ぐように陣形を組み始めた。
身がすっぽりと隠れる大盾と鋭く太い長槍を持つ十体のスパルトイ達が前に出て、左手に持つ大盾で壁を作り、その隙間から右手の長槍を構える。
一般的に“ファランクス”と呼ばれる密集陣形だ。
通路の横幅は十メドル程度しか無いからか、一列五体で二列に並ぶ事で厚みが出来ている。
そして複合骨弓を装備した五体のスパルトイ達は盾壁の後方に控え、魔杖を持つ一体のメイジ系スパルトイは更にその後ろに陣取った。
現出の予兆を確認した時点で更に加速しながら距離を詰めていたが、妨害は間に合わず、僅か数秒で完成した陣形はある種の城砦に等しい。
前衛で押し止め、複合骨弓で狙撃し、メイジが放つ現代では失われた強力な【古き魔法】で敵――つまり私だ――を粉砕するつもりなのだろう。
隙らしい隙の無い、堅実な陣形だ。
一応、左右に隙間はあるが、明らかに壁を使う狩り場なので誘導されると危険だ。
近づけば近づくほど、感じる重圧感は増大していく。
――足を止まれば飽和攻撃で殺される。
――出し惜しみせず、短期決戦にするべきだ。
そう判断し、私は得物である黒銀に輝くハルベルト――【終焉齎す斧滅鬼槍】の柄を握る両腕に力を込める。
【終焉齎す斧滅鬼槍】は我が金夜叉家の家宝の一つであり、数千年前の【神代】に実在した鍛冶師が鍛造し、文献にも残されていない【■■■】という先祖の誰かが愛用していたとされる、由緒ある品である。
また家宝だが使われぬまま秘蔵されていた訳では無く、数多の戦場で実際に使用され、数え切れない程の敵の血肉を貪りながら、それでも壊れる事無く現代まで継承されてきた正真正銘の【神代遺物】の一つである。
【神代遺物】とは一般的に現代とは異なる法則に基づいて機能する、詳細な原理などの解析が不可能な特殊能力を秘め多種多様な品々――その多くは【神代】に造られ、主に【鬼哭迷宮】や【古代遺跡】などで得られる――の事を示すのだが、その一つである【終焉齎す斧滅鬼槍】にも当然、様々な能力が秘められている。
振れば斧刃から万物を切り裂く水刃を。
突けば穂先から万物を貫通する雷撃を。
刺せば突起から万物を焼却する劫火を。
叩けば石突きから万物を破砕する衝撃を。
そして埋め込まれた宝玉に宿る【神獣】を解放すれば、五象の破壊が吹き荒れて敵を打ち砕く。
今私が所持している他の【神代遺物】――現代では解明も再現も出来ない【亜空間収納】を可能にする【収集家の黄金指輪】、指定した物品等の情報を読み解く【鑑定者の指輪】、【失われた神】の力の一端を一時的に身に宿せる【カナメデスの神冠】、空間単位で離れていても特定の相手と通話できる【生きた黒宝玉】、無限に鮮血を貯め続ける【鮮血餓吸の聖杯】など――と比べればまだ再現や理解がしやすい、【神獣】以外は単純な能力ではある。
だがしかしそれ故に様々な場面で使い易く強力だ。
それにその常識外れな頑丈さもあり、数十年の付き合いになる私の相棒である。
「ッツウウアアアアア!!」
戦意を燃え滾らせ、スパルトイ達を威圧するように咆哮を発す。
そして疾走速度は微塵も緩めず、それどころか加速しつつ、全身の筋肉を怒張させながら【終焉齎す斧滅鬼槍】を横一閃に振り抜いた。
私が修めている複数の武術の理を組み合わせた一撃だが、現在私が装備している、ダンジョンモンスターを討伐した時に数千分の一の確率でドロップする【怪骸原型】を主材料として製造された、魔導式怪物遺鎧【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】の強化生体剛筋による強力なパワーアシストもあって、一閃は音速をやや超えた速度に達する。
【終焉齎す斧滅鬼槍】の重量は五十二キログム。武器としては非常に重く、それが高速で振り抜かれた結果、轟ッ、と破裂音と烈風を撒き散らし、勢いの乗った斧刃から五メドル以上の巨大な黒い水刃を射出した。
黒い水刃は私の意思により薄く細く圧縮されながら飛翔し続け、最前列のスパルトイ達が構築した大盾の鉄壁に着弾する時にはただの線にしか見えなかった。
そして鋭く重い水刃の一閃は突き出されていた長槍を両断し、頑丈なはずの大盾と、その奥に居た五体のスパルトイ達を覆う黒粘液を切断し、そして頑丈な骨まで届く。
破損した武具と黒い粘液、それからスパルトイ達の斬られた骨が少し遅れて床に転がった。
先制攻撃により一枚目のスパルトイ達は大盾と長槍を破損した。
だがまだ死んだ訳では無い。まだ五体とも活動を続けている。
先の一撃は、普通なら致命傷である。
肉を持つ生物なら腹部を横に開腹され、臓物が飛び出ても可笑しくは無い。
それどころか、胴体が真っ二つに斬り飛ばされるような一撃だった。
だが、アンデッドであるスパルトイ達はこの程度では倒れない。
装備を壊し、その骨を斬っても、スパルトイ達の致命傷となる訳ではないからだ。
そしてそれはスパルトイ達を覆う黒粘液もまたしかり。多少体積が減ったところで、大きなダメージにはなっていない。
ウニュウニュと不気味に触手を伸ばし、宿主を求めてか、あるいは獲物を求めてか、とにかく蠢いている。
半壊しつつもまだ動く一枚目のスパルトイ達に迫りながら、今度は五連続で刺突を繰り返す。
穂先から放たれる雷撃は雷鳴を轟かせながら前方を穿ち、邪魔なスパルトイ達に更なる追い打ちをかける。
残っていた武器は弾け飛び、三体のスパルトイの胴体が吹き飛び、二体のスパルトイの頭蓋骨が木端微塵に粉砕される。それぞれを包んでいた黒粘液は電撃で痺れたのかスパルトイからずり落ちてボタボタと床に垂れ、まるで水溜りのように広がっていく。
そして雷撃の衝撃は骨体という事もあって比較的軽いスパルトイ達を吹き飛ばすには十分過ぎる程の威力があったらしく、後方に居た二枚目の大盾持ちのスパルトイ達さえも巻き込む。
とは言っても二列目の構えられた大盾に阻まれ、吹き飛んだスパルトイ達は鈍い音を響かせながら床に転がるだけに終わったが、陣形には僅かな乱れが出来ていた。
確実にトドメを刺せたのは二、三体程度であり、まだ半数近い大盾持ちのスパルトイが残っている訳だが、今は少しでも壁に穴が空けば十分であり、そして狙い通りに隙が生まれた。
「邪魔、だッ!」
隙を逃さぬよう勢いそのままにスパルトイ達に突っ込み、邪魔しようとした腰椎から下を失っているスパルトイの胴体に脚部装甲で包まれた足で前蹴りを繰り出した。
上半身だけのスパルトイは残された両腕を構え、前蹴りをその身で受ける。
渦を描くように絡みつく両腕の動きは力の流れを支配する達人のそれ。半端な威力では体勢を崩されかねない合気の技だ。
ならば肋骨その他を跡形も無く粉砕してやる、そう意気込んだ前蹴りは絡め取るような両腕の流れを蹴り破り、胴体に着弾。
しかし両腕によって勢いが僅かに逸らされ、下半身が無い分軽かった事で力が分散し、黒粘液の粘弾性とスパルトイの強度に耐えられて、罅が入るだけに終わった。
舌打ちしつつ足を引くが、スパルトイはまだ足にしがみついている。足の下から怨念に輝く双眸で私を見上げ、残った両腕を巻き付ける。
ならばそのまま踏み潰してやる、とばかりに踏鳴を行い追撃を仕掛けるが、肋骨内部で風船のように膨らんだ黒粘液によって衝撃が吸収される。罅が入っていた肋骨は砕けたが、それだけだった。
そして膨らんでいた黒粘液がズゾゾゾと蠢き、私の身体を這い上がろうとその触手を伸ばし始めた。
最初からこれが狙いだったようだ。決死で受け、一矢報いる捨て身の戦法。
嫌いな戦法では無いが、今は邪魔だった。
即座に<爆轟>と呼ばれる脚部装甲に内蔵された武装の一種を起動。脚部装甲に備わる幾つかの噴出孔から生体炸薬<ブラディパル>による爆炎と爆風が噴出される。
噴出は一秒にも満たない僅かな間だけだったが、至近距離から放たれた業火と暴風によって、罅の入っていたスパルトイの残された上半身は黒粘液ごと爆発四散。
爆炎はそのまま床を舐めるように広がった。
それを見ながら、私は<爆轟>の噴出に乗って跳んでいた。
跳んだ勢いのまま前に進んでいると、大盾を構えて突進してくるスパルトイが居た。
丁度良い高さだったので、大盾の上面を踏み、無防備な頭部に向けて巨大で分厚い斧刃を振り下ろす。
身を捻られて狙った頭蓋骨は外されたものの、鎖骨から骨盤までを両断した。
全身の骨が地面に散らばり、転がって逃げる頭蓋骨を地面に降りるついでに狙うが、そのスパルトイを包んでいた黒粘液が投網のように広がって覆い被さろうとしてきたので一時中断。
触られる前に斧刃の反対にあるピックで突き刺し、次の瞬間には劫火炎上。
黒粘液は内部から燃え上がり、黒い蒸気を上げる。明らかに危険そうな黒蒸気を潜り抜けて先に進む。
強引に二重にあった前衛の盾壁を突破して、まだその奥に居てガタガタと音を響かせる複合骨弓持ちのスパルトイ達に突っ込み、【終焉齎す斧滅鬼槍】で薙ぎ払う。
今度は斧頭では無く石突きの部分であった為、衝突した際には黒粘液はアッサリと飛散し、その下にあるスパルトイ達の骨は面白いように粉砕されていく。
それは石突きが衝突した衝撃を何倍も、何十倍にも増幅する能力があったからだ。
上位種らしく打撃耐性はあるが、他と比べて打撃に弱い“スケルトン”種である事に変わりないスパルトイ達にとって、それは致命的な攻撃だった。
本来なら黒粘液がある程度までの衝撃を吸収するのだが、今回のような場合は衝撃が強すぎて、その効果が発揮できていないのである。
最初の一振りで一体が空中分解しながら吹き飛び、もう一振りで更に二体が砕け散った。
骨片が散弾めいた勢いで飛散し、通路に骨粉が降り積もる。
「このまま――ッツ、流石に容易くはない、かッ」
攻撃は十分通じるが、しかしやはり、スパルトイ達は容易な相手ではなかった。
側面から迫る首を狙った鋭い槍の一閃を、丸みを帯びた肩部装甲で何とか逸らす。
激しく火花が飛び散り、耳障りな金属音が鼓膜を震わせる。
不愉快な音に顔を顰め、攻撃してきた上半身だけのスパルトイの頭部を石突きで殴打し、増幅された衝撃が頭蓋骨を粉砕する。
その際、胴体に張り付いていた黒粘液が触手槍を放ってきた。触手槍の先端は切り落とされた長槍が埋め込まれ、直撃すれば積層装甲でも場所によっては貫通しそうだった。
しかし速度は若干遅かった事もあり、身体の傾きによる最低限の動作で躱し、穂先を突き刺し雷撃で黒粘液にトドメを刺す。
その際、返り血のように飛び散った黒粘液の欠片によって、内蔵武装の分だけ太くなっている前腕部の右手装甲が僅かに溶解。異音と共に明らかに危険な煙が立ち昇る。
放置すれば継続的に積層装甲が溶かされかねない強酸性らしき体液を手を振った勢いで周囲に散らしつつ、長槍とは別に装備していた長剣を抜き、高速で連続攻撃を仕掛けてくる別のスパルトイの懐に踏み込み、その胴体に背中から衝突。
「ハッ!」
繰り出したのは使用する怪物遺鎧の特性を利用する【怪鎧武術】の技の一種で、<爆山靠>という技だ。
全身各所の<爆轟>を使用する事で身体は一つの砲弾と化して敵を粉砕する技であり、その威力を物語る様に、スパルトイと黒粘液は抵抗すら出来ずに分解しながら吹き飛んだ。
邪魔な敵は倒したが、そこに生まれるのは僅かな遅滞だ。
それに思わず顔を顰める。
脊椎を粉砕され、四肢を失い、半分以上が無くなっても、スパルトイ達は頭蓋骨が壊されない限り動く事を止めない。
頭蓋骨だけでは殆ど動けないが、頭蓋骨があれば時間は必要だが周囲の骨を繋ぎ合せて復活するし、先程のように半壊した程度なら手にする長槍で、あるいは長剣で、地面を這いずりながらでも襲いかかって来る。
だから私も時間があれば頭蓋骨を狙うのだが、明確な弱点だけにスパルトイ達も集中して防御する為、普通に相手しては時間がかかりすぎた。
黒粘液もいるので、手間は更に増えている。
手間取れば手間取るほど背後に置き去りにした数体のスパルトイ達が追随し、距離があったためまだ無事だった複合骨弓を持つ二体のスパルトイだけでなく、現状では敵陣で最大火力を誇るメイジ系スパルトイ達が攻撃する機会が増えていく。
現状、止まらず進むには多少の被弾覚悟で行くしか無かった。
最小限の動きでやり過ごそうと決めた瞬間、僅かな集中の途切れを狙ったのだろう。
一体は目立つ場所から、もう一体はいつの間にか死角に移動して、複合骨弓持ちのスパルトイ達が私に向けて骨矢を射掛ける。
十数メドルほどの至近距離。それも別々の方向から同時に高速で襲いかかって来る。
まるで対物ライフルによる狙撃のような赤い燐光を宿した二本の骨矢を、咄嗟に身を捩って回避する。
本能に従った回避行動によって骨矢は積層装甲を掠めるだけに終わったが、掠っただけで積層装甲の表層は削られ、また無理に避けたせいで体勢が崩れた。
その瞬間を逃さず、メイジ系スパルトイが“大炎禍の轟塊”という【古き魔法】を発動させた。
【古き魔法】は現代の発展を支える三大技術体系――【生体式】、【機甲式】、【魔導式】――の一つである【生体式】に似て、行使する術者の才能や力量、その日の体調や精神状態によって威力や射程などが全くの別物のように変動する不安定なシロモノだ。
【機甲式】や【魔導式】のようにある程度誰が使っても安定した結果を出せる類のモノではないが、卓越した術者による【古き魔法】はそれだけに恐ろしい。
そしてメイジ系スパルトイが生み出したのは、一メドル以上の轟々と猛り燃え盛る一つの巨大な青白い火炎球だった。
熟練の術者と遜色ない大きさと色であり、直撃すれば骨すら残らないどころか、下手すればこの通路の一部が崩壊しかねない程の破壊力が秘めた火炎球。
メイジ系スパルトイは魔杖の先端に出現されたそれを私に向け、弾丸のように射出した。
「クソッ!」
私の背後には立て直した大盾持ちのスパルトイが数体追い縋って来ている最中であり、近くには複合骨弓を持つスパルトイ達が居る。
私に直撃しても、この距離ではその余波が仲間を襲うだろう。
つまり“友軍誤射”になる訳だが、そもそもスパルトイ達の狙いは敵である私の排除だ。
排除できるならどれ程の犠牲が出ても問題は無く、それゆえに躊躇いが無い。
産みだされたばかりのスパルトイ達にとって、私を消せるなら自爆してもいいという訳だ。
とはいえ、やられる訳にはいかないのだが。
「――ツ!」
火炎球の軌道を一瞬で見極め、素早く【終焉齎す斧滅鬼槍】による刺突を繰り出した。
一筋の雷槍となった一撃はメイジ系スパルトイ達の傍を離れたばかりの火炎球と空中で衝突し、爆炎と爆風を巻き起こす。
メイジ系スパルトイの姿が爆炎に呑み込まれるよりも先に見えたのは目も眩む閃光。同時に凄まじい衝撃が通路を駆け抜けた。
私はその一瞬前に床に伏せ、普段は腹部の積層装甲と一体化している一対の副腕と、全身各種にある内蔵武装の一つである杭を駆使して身体を固定し、至近距離で爆撃されたに等しい衝撃をやり過ごす。
轟く爆音でそれ以外の音は聞こえない。
視界の隅に背後から迫っていた大盾持ちのスパルトイ達や、複合骨弓持ちのスパルトイ達が爆風によって呆気なく吹き飛んでいくのが映るが、次の瞬間には通路を舐めつくすような青い爆炎で、強化魔導硝子越しに見える視界は埋め尽くされた。
何とか見える床は熱量の凄まじさを物語る様に溶けている。
私が装備している【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】が特殊耐炎耐熱加工処理されていなければ、全身大火傷を負っていた所だろう。
あるいは蒸し焼きにされていただろうか。
まあ、どちらにしろ、対策無しでは生身は全身こんがり焼かれていたのは間違いない。
やはり直接生死に関わる武装は最上級品で揃えるに限る。
内心ではそんな事を考えつつも、その威力に顔は歪んでいる。
やはり【古き魔法】は恐ろしいものだ。
(中々の威力だが、次は無いッ)
火炎球の爆風はすぐに納まったので顔を上げると、爆煙が立ち込め、その中でも分かる青炎はまだ通路のアチラコチラで燻っていた。
この程度なら大丈夫だろうと判断し、溶けた床に引っ付いていた手足を剥がし、私は即座に立ち上がって先程メイジ系スパルトイが居た場所へ走り出す。
ヒト型のダンジョンモンスターとして低確率で出現する事が多いメイジ系のダンジョンモンスターは、通常のダンジョンモンスターと違い、【古き魔法】を使う燃料である魔力を使って【魔力障壁】と呼ばれる堅牢な防御膜で周囲を常に覆っている。
術者の意思次第で【魔力障壁】の強度は上昇し、更にその内側で服のように身体に沿わして覆う【魔力障殻】による二重防壁で守られている。
その為、通常のダンジョンモンスターよりもかなり死に難く、火力のあるメイジ系は回復を担当するヒーラー系と共に真っ先に潰さねばならない存在とされている。
そして今肝心なのは、二重防壁に守られていた筈のメイジ系スパルトイは至近距離で爆発に巻き込まれたとしても、まだ生きている可能性が高いと言う事だ。
生き残って居れば、爆煙によって視界の悪い今の状況で更なる【古き魔法】を紡いでいる可能性が高い。
さっきは上手くいったが、次も成功するかは分からない。
出来る時に排除しなければならず、その時が今だった。
通路は火炎球による爆煙の影響で一時的に視界が悪いが、気配を探って突き進む。そして経験と勘、そして高感度センサーでもある頭部装甲の触角によって、メイジ系スパルトイの気配をハッキリと捕捉した。
近づけば互いの姿を視認できたのだが、ある意味予想通りに【魔力障壁】と【魔力障殻】で暴発を耐えたメイジ系スパルトイが居た。
しかも魔杖を使って新しい【古き魔法】の準備をしていたところだ。少しでも躊躇えば危なかった。
一度は放たれてしまったが、今度はコチラの番である。獰猛な笑みを頭部装甲の下で浮かべた。
表情など無い筈だが、メイジ系スパルトイが驚愕し恐怖したような気がした。
「砕けろッ!」
しかしそんな事は私にとってどうでもいい事だ。
右手に持つ【終焉齎す斧滅鬼槍】ではなく、左腕の拳で【魔力障壁】を全力殴打。
強化生体剛筋によって強化された全身を使った一撃の破壊力は凄まじく、硬質な【魔力障壁】は押し潰されたゴムボールのように大きく歪み、弾き飛ばされる直前に左前腕部の手の甲側に内蔵された魔導式雷射杭【砲弾蟻ノ毒砲杭】が機能する。
魔導電磁加速により秒速三千メドルという超高速で撃ち出される、長さ五十セルチ直径五セルチの鋭利な特殊生体合金製【毒砲杭】は【魔力障壁】を紙のように破壊し、その下にある硬い【魔力障殻】諸共にメイジ系スパルトイの頭部を粉砕。
のみならず、余波だけでメイジ系スパルトイの全身は骨粉と化した。
スパルトイを包んでいる黒粘液も余波で飛散したが、直接的なダメージ自体は少なかっただろう。
不定形である“粘液”種はその程度で死ぬほど優しくは無い。
しかし毒砲杭から分泌される致死性の生体呪毒<ヴェム・アグナ>が黒粘液を汚染する。
飛散するまでの一瞬で全体に回った致死量の数百倍の生体呪毒により、断末魔も残さず黒粘液が蒸発する。
広範囲に飛散し蒸発した事で発生した汚染された強酸性の煙を【終焉齎す斧滅鬼槍】の一振りで一時的に退け、そのまま移動。
浴びれば積層装甲でも溶ける呪煙を背後に残し、私は邪魔が無くなった通路を突き進む。
動けるスパルトイはまだ残っているが、警戒する必要があるのは遠距離攻撃できる複合骨弓持ちの二体だけだ。
距離が出来れば回避する事は私にとっては難しい事ではないし、これ以上相手をして手間取れば、別のダンジョンモンスターが追加されてしまう。
こんな通路で挟撃されれば、流石の私でも切り抜けるのは困難だ。
それを回避するにはまずこの通路を抜ける必要があり、だからスパルトイ達を全滅させずにさっさと進むのである。
とはいえ、確かに追撃の対策は必要である。
そこで今回は土産を置いて行く事にした。
「背部格納庫第三生成巣解放、後方に【振動破砕爆弾蟻】を三匹設置」
という事で、現在私が装備している怪物遺鎧【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】の四角い金属製の背嚢のような背面格納庫の下部から、音声認識によって排出された風船のように膨らんでいる三匹の魔導式使役蟲【振動破砕爆弾蟻】が床に落ちる。
ゴロゴロと床に落ちたキャビテーション・ボムアント達はそれぞれ間を開けて配置についた。
準備が出来た所で、背後から骨矢が飛んでくる。それを横に飛び退いて回避。骨矢が少し先の通路の壁に深々と突き刺さる。
(追って来るか……ならお土産は、完売だな)
大盾持ちだったスパルトイ達が荷物になる大盾を捨て、腰に差していた長剣を抜き、追ってくるような音が聞こえる。
スパルトイ達は骨体だから軽く、そして力がある。
当然余分な荷物を置いた今、その疾走速度は風のように速くなっているだろう。
複合骨弓持ちも先の射撃でこの距離では回避されると思ったのか、距離を詰めているのが気配で分かる。
このままスパルトイ達を引き連れていっても状況は悪化するので、距離を詰めて来るのは悪い判断ではない。そうしなければ私を殺せない以上、スパルトイ達に選択肢など無い訳だが。
全て、私の狙い通りに事が進んでいた。
「カカカカッ、カッ!」
動く度に上下の歯が当たって鳴る特徴的な音が、スパルトイ達を待ち受けていたキャビテーション・ボムアントによって消し飛んだ。
キャビテーション・ボムアント達が追跡していたスパルトイ達の足元で自爆し、周囲五メドルと限定された範囲で超震動を引き起こしたからだ。
ゴパンという音と共に空気が弾け飛び、至近に居たスパルトイ達の骨体と黒粘液が飛散する音が聞こえる。
地雷とも言える攻撃はスパルトイ達の意識外からの攻撃となったらしく、それ以降は何も聞こえない。どうやら残存していたスパルトイ達が全滅したようだ。
また全滅したスパルトイ達が居た場所には幾つかの魔晶石と、骨や武具系の【迷宮素材】がドロップし、床に転がっている筈である。
本来ならドロップアイテムは全て回収した方がいいのだが、あえてそれを無視して通路の先に急ぐ。
通路の残りがあと僅かなココで、物欲にかられれば待つのは“死”だと、私は経験で知っていたからだ。
「ああ、やはりそうなるか」
一心不乱に走り続け、通路の終わりに近づくと、唐突に床に巨大な亀裂が走った。
足下から噴出する突風に煽られ、不安定な足場を跳躍しながら突き進む。時には<爆轟>を使用する為に全身に仕込まれた噴出孔から爆炎を発し、飛翔するように突き進む。
亀裂は数十メドルほどとかなり巨大だ。転倒でもすれば、現出する新しい大型ダンジョンモンスターに喰われてしまうだろう。
しかし何とか通路の先まで走り抜け、転がり出るように通路の先にある空間――大きな広間に到達した私は背後を振り返った。
そして見たのは、床に発生した一際巨大な亀裂であり、亀裂から現出してくる全長四十メドルはありそうな青銀色と白金色に輝く二頭の龍だった。
青銀色の龍は、良く見れば青銀色の身体が液体的で僅かに流動しているように見える事から、液体のような流動性の高い龍体であらゆる攻撃をほぼ無効化する“青水銀龍王”だ。
白金色の龍は、その特徴的な白金色に輝く龍鱗と龍殻に同色の白金雷を帯びている事から、恐るべき白金雷で敵を攻撃し、敵の攻撃を防ぐ“白金雷龍王”だ。
「意表を突いた罠、何だろうが……これは、酷い」
まるでこの世を支配しているとでも言うかのように通路に君臨する二頭を背後から見ながら、ポロリと本音が転がり出る。
両方とも高位の【鬼哭迷宮】の最奥に座す【迷宮主】として特別扱いされるべき存在であり、このような普通のダンジョンモンスターのように亀裂から現出していいような存在ではない。
というか、そもそも【帝王】類が出てくるなど普通の【鬼哭迷宮】ではありえない。
各種族の頂点とも言うべき【帝王】類は極々限られた場所にだけ確認されているだけであり、長い歴史を紐解いても【帝王】類殺しなどそうは居ない。
現代では三十年ほど前に別の【鬼哭迷宮】で私が数体ほど殺したが、それ以降は話を来た事が無いので、誰も殺していないのだろう。
ともかく、一頭で一国の軍隊に勝るとも言われる常識の外で生きる龍が二頭が同時に現出したのは、私のような侵入者を確実に殺す為だったのだろう。
今回は後先考えず突き進んだ事でギリギリ通り抜けられたが、もし少しでも速度を落としていれば、あるいはスパルトイ達にあれ以上手間取っていれば、強力無比な二頭の【龍の息吹】によって“死に戻り”していたのは間違いない。
そうでなくても、あの巨体を使った突進を通路で繰り出されるだけでも絶望的だ。
通路の幅は十メドルほど、高さは十二メドルほどとそれなりに余裕があるので二頭は少しだけ動けているが、空間が制限される通路はほぼ二体の身体で埋め尽くされ、僅かな隙間も動く度に消えては現れる。
何にしろ、この通路で二頭の攻撃を防ぐ手段などあまり無い。抵抗すらさせてもらえずにただ終わった筈だ。
ただ【屠竜装備】が手元に一式あれば、あるいは私の【奥の手】が使えれば、もしくは通路ではなく開けた空間だったのなら、二頭を相手にしても生存できただろう。
しかしそれはあったかもしれない“もしも”であり、そうでない今は考えるだけ意味が無い。
ともかく、今回は運良く戦闘を回避する事の出来た二頭の龍達は、キョロキョロと獲物を探すような仕草をしていた。
すぐ傍に私が居るのに、私という存在を認識できないかのようなその様子から、私はある確信を得た。
「通路とこの広間は、隔たっているのか」
少し分かり難いかもしれないが、通路とその先の広間は構造的には繋がっているが、通路と広間の境界で空間がズレているようだ。
だから通路に現出した二頭は通路を抜けた私を発見する事ができず、居ない獲物を探して首を動かしている。
十数メドル程度の距離しか離れていないのに、優れた索敵能力を持つ筈の二頭が私を見つけらない事こそが何よりの証拠だった。
ただし気をつけねばならないのは、調子に乗って二頭に攻撃しようものなら即座に発見されてしまうだろう。
空間が隔たり、向こうからコチラが認識できないようになっていたとしても、そうなれば攻撃されるのは確定事項だ。
今の状況も攻撃せず、正確に言えば発見される前に別の空間にある広間に逃げ込めたからこそ、こうして区画を移動した程度で襲われる事無く冷静に周囲の様子を窺える訳だ。
「助かったが……ついでだ、撮っておこう」
何にせよ、今は絶好の機会だった。
【帝王】類を二頭もこれ程の至近距離で撮影できるなど本来ならあり得ない事なので、しばらく二頭の様子を取り出した撮影魔導具などを使って観察する。
【帝王】類と対峙した時はそれこそ死闘を繰り広げる時であり、呑気に撮影などできない。遠距離から撮影したモノでも放出される魔力によって不明瞭になり、近距離ではその速さからブレるので、詳細な写真や映像は大変貴重な品で滅多に手に入るモノではない。
いや、恐らく世界中でも今まで無かっただろう。
しかし私はこんなに近くで長時間撮影できる好機を得たのだ。
それを逃すなどある種の冒涜になるので、標的が居ないので不貞腐れたようにとぐろを巻いた二頭の様子をつぶさに観察し、掛け替えのない情報を収集する。
それから一時間程、何もしないまま現出時間――敵と交戦中は動かない――が過ぎて【鬼哭迷宮】の床に二頭が呑み込まれて消えるまでの間、夢中で撮影を続けた。
うむ、今年の世界的な権威があるガルデミア賞の映像部門を始め幾つかの部門賞はコレで総なめ間違いなしだな。
それに、新しい仕草や癖など幾つも発見できたので、専門家にとっては垂涎の品となっているな。
百数十年来の友人であり【熾天魔導師】という階位を持つ【ハイエルフ・ロード】のマーティス・ベスロトット・アーバンクライオスに高値で売ってやろう。
などと思いつつ、改めて現在地である広間を観察した。
「ここは……≪ガーダブラヌ灼熱砂漠≫にある【赤砂漠の四角錐禁鬼墓】のような宗教色と、謎解きや特殊な仕掛けの多い【謎解き鬼の苦悶塔】が混ざったような感じだな」
縦横高さが三十メドル以上はありそうな広間には、壁面全てに巨大な装飾が施されていた。
まるで太古に起こった実際の出来事や、現代では失われた神話を表現したような様々な紋様だ。
槍や剣を持ち、強大な竜に立ち向かう者達。ネコのような耳や尻尾を生やした少女が、軍勢に立ち向かうような姿。王冠を掲げる猿と、錫杖を掲げる犬。玉座を囲む一匹の蛇と、堕ちる隕石。輝く太陽を突き刺す黄金剣。島を飲み込む鯨。星を喰らう鬼の顔。
その他多くの特別な意味がありそうな装飾や、実際に動かす事が出来るパズルのピースのような石版群。
床には謎解きのヒントのように古代語で様々な事が綴られ、真正面にある壁には巨大な口を閉ざした鬼の頭部のような石像がある。
力だけでは進めない、という事なのだろう。
恐らくココで、特定の謎を解き明かす事で先に進む道は出現する様になっている。
そしてここを進めば、最奥まであと少しだ。
そう思ったのも、広間には呼吸する事でどんなに鈍感なモノでも感じられる濃密な【神秘】の香りが充満しているからだ。
まるで心身どころか魂まで活性化する様な【神秘】の恩恵は、傷ついた身体の回復だけでなく、連戦で破損した【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】の自動回復の促進や、消費した【奥の手】の燃料補給など多岐に及ぶ。
しばらくここで休憩する準備をしながら、私は先に進む準備も平行して行った。
まずは右手人差指に嵌めている【収集家の黄金指輪】から【生きた黒宝玉】を取り出し、“死に戻り”して待機中の部下と連絡をとる。
普段は魔導式通信機でやり取りしているが、こうして【鬼哭迷宮】の内外でやり取りするにはこれを使うしかない。
数秒だけ間が開いたが、返事はすぐにあった。
『こちらブライド。カナン様、ご無事ですか?』
渋い声が【生きた黒宝玉】から聞こえてくる。
「何とか進んできたが、謎解き系に遭遇した。知恵を貸してくれ」
『ハッ、何なりとお申し付け下され』
通信相手であるブライド爺は、私の教育係であり、専属執事でもある三百五十歳を越える古き【吸血鬼】の一人である。
長い月日によって多種多様な血が混ざり過ぎた結果、一括りにするしかない【ヒト】の多い現代では稀有な存在である【血統保有者】であり、その中でも更に数が少ない長命種として蓄えられた知識の量は膨大である。
日常生活だけでなく、【鬼哭迷宮】内でも頼りになるが、やはりこうして謎解き系と遭遇した時には誰よりも頼りになる存在だった。
『では、その詳細を――』
広間について詳細に教え、互いに頭を悩ませながらも謎解きを終えて先に進んだのは、それから二時間程度後の事だった。
まさか四方の壁全てを使った馬鹿げた量の謎解きになるとは思いもよらなかったが、私は広間の先に足を進めるのだった。
※ ※ ※
長い通路を駆け抜け、謎解きの広間を過ぎた先に在ったのは、明らかに【迷宮主】である、三十メドルはあるだろう巨大な“黒天魔竜鬼混沌巨人”が待つ【ボス部屋】だった。
黒銀の剣鱗を持つ竜、黒鉄の剛皮を持つ鬼、六つ目の山羊頭の悪魔が胴体部分で混ざり合い、六つの巨大な腕にそれぞれ巨大な武器を持ったトリオキメイラは、【帝王】類に勝るとも劣らない存在だったと言える。
私も単鬼ではかなり厳しい相手だったのだが、幸いな事に、謎解きの広間にて【神秘】を補充し、使用可能になっていた【奥の手】もあって、何とか勝利する事は出来た。
勝利した証拠として、三メドル級の超大型魔晶石と、三つの巨大な宝箱が目の前にある。
魔晶石は現代の主流エネルギー源であり、これほどの大きさなら大都市を数年動かせられるだろう。
また三つの宝箱の中には【鬼哭迷宮】でしか得られない【迷宮素材】が詰まっている。
そしてトリオキメイラ程の【迷宮主】から得た宝箱となれば、その中には上質な【迷宮魔具】――【鬼哭迷宮】から得た【神代遺物】の事。言い方が違うだけで同じ枠組みである――が複数入っているモノだ。
それなりに満足いく結果ではあるが、これを得る代償として長年愛用している【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】が専門の工房で修理するまで使い物にならない程損壊してしまった。
備わった機能の一つである【自動修復】によって内部の重要な箇所は修復されて致命的な破損がない事だけが不幸中の幸いだが、修復するのに貴重な素材を消費しなければならないし、修理に必要な総額を考えると頭が痛い。
また今は積層装甲の下にあるので直接見る事は出来ないが、トリオキメイラの攻撃によって積層装甲の一部が【自動修復】するまでの間だけだが内部にめり込んだりして全身各所から血が流れ、複雑骨折している手足や折れた肋骨が痛む。
私はヒトよりも遥かにタフなのでそんな状態でも少し動けるが、気を抜けば痛みで意識が途切れそうで、しかも出血多量で“死に戻り”しそうだ。
【鬼哭迷宮】から富を得るのは、何時だって命懸けだ。
「あーあ、あーあ。ここまで死にそうなのは、久しぶり、だな」
出血多量で途切れそうになる意識を意思の力で繋ぎ止めながら、【迷宮主】を倒した報酬として得られる宝物の全てを【収集家の黄金指輪】に収めていく。
詳細な分類は後ですればいい。
「報酬は……お、良いのがあるな」
その際、報酬にあった虹色の小瓶に入れられていた魔法薬を一本使う事にした。
飲んだ魔法薬は【スピネル印のエクシルク】という、【神代遺物】の中でも特に有名な回復系の最上級魔法薬だ。
少量飲めば死者でもブレイクダンスを踊り出す、と謳われるだけあって、【スピネル印のエクシルク】の回復力は圧巻の一言だ。
折れていた骨は自動的に正しい位置まで戻り、失っていた血肉や斬れていた神経が再生され、血管や皮膚が繋がっていく。
【自動修復】の際に大半は体外に出たが、それでも残っていた積層装甲の断片までポロリと転がり出る。
普通の魔法薬なら在るはずの痛みも不快感も全く無い。深部にこびり付いていたような疲れすら溶けていく。
若干身体が熱いが、その程度だ。
「これで体調は回復したな。後は、久しぶりの御馳走だ」
数秒程度でほぼ体調は全快したが、後は【使徒血鬼】としての本能に従って【鮮血餓吸の聖杯】に注いだトリオキメイラの新鮮な血液を飲む。
口内にある吸血牙から体内に取り込まれるトリオキメイラの鮮血に内包された特濃の【神秘】は極上で、以前飲んだ事のある竜種や巨人種の【帝王】類に勝るとも劣らない上質なモノだった。
全身を満たす【神秘】は枯渇寸前だった魔導炉を満たすどころか拡張し、全身の細胞が一つ上の段階に引き上げるような感覚がした。
一時その心地よい感覚に酔いしれ、改めて現状を確認した。
「ふぅ……これだけでも挑んだ意味があった訳だが、まだ奥には何があるのか?」
通常なら、【迷宮主】を討伐すれば出入り口までの転送陣が出現する。
転送陣は一方通行であり、一度乗れば消失してしまう。他の【鬼哭迷宮】と同じように今回も【ボス部屋】にそれは出現したが、それと同時にまだ奥に続く小道がヒッソリと新たに出現していた。
隠すように出現したそこからは、隠蔽されたような【神秘】の香りが漂ってくる。
少しだけ思考し、結局進む事にした私は現状ではただの重しにしかならない【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】を脱ぐ。
「っと、改めてみると、酷いやられ様だ」
臓物のような生温かい生体細胞に包まれた内部から出た事で、【鬼哭迷宮】の中でも特に濃い【神秘】で満ちる【ボス部屋】の空気を直接肌で感じる。
心地よさに身を震わせる私の前では、脱ぐために前面部が開いた【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】が膝をついた状態で固まっていた。
まるで巨大な蟻を無理やりヒト型にしたような外見。私の身長よりもやや大きい二メドル五十セルチ程の異形。
どこか禍々しい頭部装甲には高感度センサーである触角や、普段は面頬となっているが近接戦では敵を噛み砕く可変式の<大顎>といった武装が備わり、血のように赤く染まった大きな複眼は敵の動きを事細かく見る事が出来る。
全体的に丸みのある黒い積層装甲で覆われている体躯は逞しく、内部から膨れ上がるエネルギーを凝縮しているようだ。
また内蔵武装によって肥大化している前腕部と下肢、そして数種類の使役蟲などを収納している背部格納庫は特に目を引くだろうか。
普段なら素材となった“砲撃黒蟻王”を彷彿とさせる重圧感を放っているのだが、しかし積層装甲の大半がひび割れ、あるいは砕け、一部では内部組織液が漏れ出している今はただ痛々しいだけだ。
自分自身の力不足についてしばし反省し、気持ちを切り替える。
「さて、と。取りあえず、着替えるか」
専用の搭乗服による電子的補助が必要になる機甲式はともかく、生体式と魔導式の怪物遺鎧は装着者の肉体と直接触れ合っていた方が操作性や反応速度などが明らかに良くなる為、脱いだ私は下着だけの姿を晒している。
正確に言えば右手人差指には【収集家の黄金指輪】、右手中指には【鑑定者の指輪】、頭部には【カナメデスの神冠】など必要最低限で最重要な装備を装着しているが、衣服の類は灰色のボクサーパンツしかない。
ここでは誰にも見られないとはいえ、流石にこのまま下着一つで進む訳にはいかない。
私は露出狂ではないのだから。
それに下着は血に濡れているので、ヒタヒタと肌に張りついて気持ちが悪かった。
そこで身体をタオルで拭った後、新しい下着に着替え、生体式繊維製の黒金色に染められた生体式強化服【瞬雷ノ鬼衣】に着替える。
防御から攻撃まで全体的に優れている怪物遺鎧では無いが、繊維系と革系のドロップアイテムで編まれた【瞬雷ノ鬼衣】は速度に特化している。
その分装甲は薄いが、急所は生体装甲によって補強され、ある程度までの衝撃を吸収し、生命維持などが可能な優れモノだ。
一先ず着替えた私は、改めて濃密な【神秘】を含む空気を吸い込んだ。
呼吸する度に【神秘】を含む空気が肺を満たし、閉じていた魔導回路が活性化するようだ。
「すぅーーー、はぁーーー。すぅーーー、はぁーーー。あー、空気が美味い」
ある程度満足いくまで呼吸を続けた後、重量のある【終焉齎す斧滅鬼槍】を、破損している【砲撃黒蟻ノ遺鎧】と一緒に収納する。
生身でも扱えない事は無いが、速度重視の【瞬雷ノ鬼衣】を装備した今、重量で動きが鈍くなるのは避けたかったからだ。
「さて武器は……この辺りでいいか」
そして生身で扱う主武装は、銃剣が取り付けられた長方形の箱のような形をした機甲式散弾銃【蹂躙する者】に。
副武装は、斧刃が超高熱を帯びる事によって敵を溶断する魔導式片手斧【熔攻斧・三式】に交換する。
その他にも、装着者の気配を遮断する眼と鼻と口の孔と額の一本角しかないヌボッとした表情を張りつけたダンジョンアイテムの一種である黒鬼面【隠遁鬼の闇面】を始め、自動的に攻撃を防いでくれる二枚の機甲式浮遊盾【モーアーイの浮遊防盾】、一定以下の攻撃を防ぐ流動性の【魔力障壁】を自動的に展開してくれる生体式使役蛇【魔晶ノ白蛇】、生体機能の底上げをしてくれる生体式強化具【狼兵の腕輪】、弾薬や回復薬などを素早く取り出せる小さいが空間拡張されたポーチが付いた魔導式収納具【拡張型戦術ベルト】、音も無く風のような速度を出せるようになる生体式強化靴【音無しの疾風靴】などを装備していく。
【迷宮主】を倒した事でここから先に敵は出ない可能性は高いが、確定した事ではないので、最低限の備えは必要だ。
もしかしたらココから先は【迷宮主】を討伐する事でのみ進む事が出来る、より困難な試練が待ち受ける裏領域の類である可能性もあるのだから。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」
強靱な生命力を誇る深層のダンジョンモンスターを相手にする為、【蹂躙する者】の二十連ドラムマガジンに装填されているのは、対人では国際法で使用が禁止されている生体式特殊弾<APFEHE弾>だ。
簡単に言えば、撃てば猟犬のように敵をある程度までだが自動追尾し、装甲を貫いて突き刺さって爆発する数本の生体矢を放つ特殊弾である。
スライドを引き、薬室に初弾を装填。
準備が出来たので即座に撃てるように安全装置を外し、私はゆっくりと確実に小道を進んで行った。
とはいっても、慎重に小道を進んだのはたった百メドル程度の距離だけだった。
ダンジョンモンスターが現出する事も無く、罠も設置されていない、ただの小道である。
どこか拍子抜けしつつも行き着いた先に在ったのは、厳重に封印された巨大な扉がある空間だった。
「これは……≪巨人型≫でも入れそうだな」
扉の大きさは軽く十メドルを超えている。
その強さから討伐数が少ない巨人種の【怪骸原型】で造られた怪物遺鎧である≪巨人型≫でも十分入れそうな大きさだ。
もっとも、その大きさからここまで来るのに窮屈で苦労するだろうから、あまり意味は無い想像だ。
「しかし、これまでに無いほど素晴らしい作品だな……」
そんな扉の左右には、扉と同じくらいの巨大な鬼の像がある。
細部に至るまで精巧な鬼像はまるで目の前で生きているような躍動感があり、見上げながらもゴクリと唾を飲み込んだ。
明らかに、先程討伐したトリオキメイラよりも強い鬼だ。
数多の【鬼哭迷宮】に潜ってきた経験と私の身に流れる【鬼の因子】から、鬼像は【帝王】類だとは分かるのだが、詳細までは不明だ。
ただ、現代で戦った事のある鬼の【帝王】類よりも遙かに強大である事は間違いない。
【神代】にはこのような鬼が居たのだろうか。
そう思いつつ、次は扉の中央に施された、夜空に輝く北煌七魔星を模したような装飾に目を向ける。
北煌七魔星のような装飾の周囲には、何かが古代文字で書かれているようだ。一先ず計測魔導具や撮影魔導具などを使って扉全体を調査しながら、書かれた古代文字を解読していく。
所々難しい表現があったり、まだ解読されていない古代文字もあったが、それでも全体像は不明瞭ながらも見えてくる。
「えーと、重要な部分は……『■■を受け■ぐ者来■り時、鬼■門は開き■■。汝、試練を踏■せし証、七宝鍵を此処に■■』……って所か。多々解読できない部分はあるが、なるほど、宝鍵はここで使うのか」
他にも色々と古代文字で綴られているが、それは帰ってから見直せばいいだろう。
古代文字解明に命を費やしている友人も居るので、それに丸投げしたって良い。
今は先に進む為に何をすればいいのか。それを綴った文を部分的にだが解読できたので、私は道中で討伐した【守護者】級ダンジョンモンスターから手に入れた七つの宝鍵を取り出した。
そして適合する宝鍵を北煌七魔星にある鍵穴に入れていくと、最後の一つでガチリと音が鳴った。
すると七つの宝鍵が入れられた扉はゆっくりと自動的にコチラに向かって開き、内部からはこれまで以上に濃厚な【神秘】が噴出してくる。
濃密過ぎる【神秘】に吐き気すら覚えつつ、私は開かれた扉の外から内を窺った。
「うぷっ。っ、ふぅ。なんて濃い【神秘】の奔流だ。それにしても、一体、何があるんだ? ……これは、霊廟、なのか?」
扉の先には、むせ返る程の濃密な【神秘】に満ちた、空間が広がっている。
そして何を見てそう思ったのか。それは私自身分からない事なのだが、ただ見ただけで霊廟である、そう思ったのだ。
高い天井から降り注ぐ月光のような優しい光に薄らと照らされてた室内。
痛い程の静謐で支配されたそこは、扉を境にして別の空間だと見ただけで分かる。
まるで時間が停止したかのような霊廟を前にして、私はしばし立ち竦んでいた。
霊廟があまりにも恐れ多過ぎて、一歩踏み出す勇気がすぐには湧かないのである。
「ッ、ふぅ。ここまで重圧感があると、何が待っているのか……楽しみで仕方がないな」
それでも何とか気合を入れて一歩を踏み出し、霊廟に入る。
するとまるで頭の中の靄が晴れたような不思議な感覚と共に、私はそれにようやく気がついた。
霊廟の最奥には、ただ在るだけで世界を支配しているような雰囲気を漂わせる黄金の棺があったのだ。
扉から最奥までは三百メドル程の距離があるものの、そんなモノは関係ない。
ただ目を向けただけでその存在が分かるほどの、圧倒的な存在感だった。
そしてその棺に入れられている者が何者であるにしろ、それは尋常ではない何かなのだろう。
そしてその棺の少し奥に鎮座し、まるで棺を守っているようにして佇んでいる四腕の鬼の像もまた同時に認識した。
鬼の像も外の像のようにまるで生きているような躍動感があり、この距離ですら鼓動を感じられそうだ。
それは錯覚だとは分かっていた。だが、それでも圧倒された。
そして、あれはただの石像ではない、古代の神を祭った神像なのではないだろうか。
神像が溢れ出る【神秘】は、そう思わせる力は十分あった。
そうなると、神像に守られた棺には一体何が入れられているのだろうか。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
誰も知らない、未知がそこにはあるのだ。
心の奥底から湧き出てくる純粋な恐怖と、それでも尚衰えぬ事なく溢れ出る好奇心。
長年追い求めていた物をようやく見つけたという歓喜、開けてはならないモノを開けたかもしれないという後悔。
その他にも複雑な感情が混ざる、混沌とした思考が巡る。
(入る前に神像を認識できなかったのは、【認識阻害】などがあったからか。それよりもあの神像の造形は……確か、【鬼哭迷宮】から産出された古文書に描かれたモノではないか? ……となれば、棺に入っているのは、まさか!?)
しかしそれを切り替え、私は足を進める。
入り口から最奥まで真っ直ぐ続く道。その左右には一定間隔で整然と並ぶ天井を支える巨大な石柱があった。
外からは分からなかったが、ゆっくりと歩んでいると、石柱と石柱の間に、最奥の神像とはまた違う石像が安置されているのを見つけた。
神像と同じく、大小様々な白銀の棺を守っているように佇む、まるで生きているような石像群だ。
ヒトサイズのモノから、巨人サイズのモノまで、大きさだけでなく種族もバラバラなそれ等が数十体。
神像がある奥に向かうにつれて、より鮮烈な、より強大な、命の息吹を感じられる石像が並んでいる。
私は一歩進む度に、自身が矮小な存在だと感じた。ちっぽけな蟻がヒトの足元を通るように、私は強大な存在の足元を通り過ぎているのだ。
蟻は恐怖などは覚えないだろうが、しかし私は恐怖で押し潰されそうだ。
だが、気を強く保ちながら進むしかない。
これほど多くの感情を抱いたのは、どれほど昔だったろうか。
そう考える余裕すら無く、ただただ無心で足を進める。
そしてようやく、私は神像の前に到達した。
気がつけば石畳に向けていた視線を、神像の足元から顔に向けて上げていく。
近くで見ればよく分かる。神像は生きている。そうとしか思えないほど細部に至るまで彫刻されている。込められた桁外れの【神秘】の量も、そう錯覚させる要因ではあるだろう。
ブルリ、身体が震えた。
恐怖からだろうか。畏怖からだろうか。
それは間違いない。しかし、一番大きいのは安堵だろうか。
まるで母の腕に抱かれていた赤子の頃のような。
あるいは大いなる守護者に背中を優しく押されたような。
もしくは遠い祖先から自身に流れる血の系譜を感じた様な、大いなる安心感。
自分でもハッキリと説明できない感情の奔流に揉まれていると、知らず知らず、私は跪いた。
そして手を合わせ、ただ祈る。ゴチャゴチャと考えるのは後回しにしたのだ。
……どれ程祈りを捧げていただろうか。数分だったかもしれないし、数十分か、数時間と過ぎたかもしれない。
それはともかく、私は立ち上がり、再び神像と向き合った。
そして最初とは異なり、神像が私を見下ろしているのに気がついた。
その眼には確かに知性の光が宿り、その口は言葉を紡ぐ。
『【資格者】を確認。【封謐棺】を解放する』
神像の厳かな声で紡がれた簡潔な言葉。
その意味を深く理解するよりも先に、安置されていた黄金の棺がゆっくりと開いたのだった。
「な、何だ!?」
即座に飛び退き、【蹂躙する者】を構える。
棺などから“死者の王”や“砂漠死王”といったアンデッド系ダンジョンモンスターが出現する事は、ままある事だ。
神像の守る棺からもしダンジョンモンスターが出てくれば、万全の状態ではない今は即ち“死に戻り”するという事になるが、どうやら杞憂だったらしい。
待っても開いた棺から何かが出てくる気配は無く、その代わりとしてまるで火山の噴火のような勢いで、黒く可視化されるほど濃厚な【神秘】の噴流が巻き起こった。
一呼吸するだけで全身の細胞がより良く進化していくような、心地良くも息苦しい、何とも表現し難い感覚に必死で耐える。
『録音を再生する――『好きに使え。その身に流れる血の赴くままに』――以上だ』
暫くすれば勢いも落ち着き、気分も持ち直したので、棺――【封謐棺】というらしい――にゆっくりと近づいて棺の中を覗きこむ。
するとそこにあったのは、数十冊ほどの書物と、赤黒い布で覆われた長い槍か棒のような何か。
そして数十はあるだろう極上のダンジョンアイテムや宝石類の山と、一際異質な雰囲気を纏う銀色の二本腕。
【鑑定者の指輪】を使わなくても分かる、眩暈がしそうになる程の貴重品ばかりな訳だが、私の目は書物に吸い寄せられていた。
恐らく最初の一巻だろう書物を手に取り、壊れないよう慎重に開く。
古代文字で綴られた書物を、私は読んでいく。
<◎><◎><◎>
“一日目”
これまで歩んできた約一年の出来事を自分なりに綴った記録――日記帳、とでも言えばいいか――が何処かに紛失してしまった。
多分、正妻であるカナ美ちゃんとかが持っていったのではないか、と睨んでいる。
何処にやったのかと問い詰めてもいいが、面倒なので二冊目として最初から新たに書く事にした。
丁度別の大陸に向けて出発する、という新たなスタートを切ったところだったので、心機一転してここから進めるのは悪くないだろう。
別にわざわざ書かなくてもいいかも知れないが、折角なので俺の経歴をざっと振り返ってみよう。
俺の現在の名前はオバ朗という。
だがかつては■■■■という名前の■■だった。
しかし妹的存在兼■■■■■という、説明するのは少々複雑な関係にあった■■■という年下の女の子に夜道で滅多刺しにされてしまい、気がつけば■世界で緑の肌と小柄な体躯が特徴的な亜人――小鬼に■■していた、というのが大体一年前の事になる。
人生何があるか分からんモノだが、どうにも■を怨む気持ちになれなかった俺は、どういう理屈か分からないがこうして■■した事だし、ウダウダせずに全力で生きる事を決意した。
殺された事は悪い事だが、記憶をそのまま引き継げた事と、【■■能力】という【■能力】を持ち越せたのは運が良いと言うしか無いだろう。
記憶は自己を形成する大事な要因の一つである。
最初は厳しい自然界では弱者に分類されるゴブリンに■■してしまったが、これまで色々と濃密だった一年を生き残れたのも、危険な生物や■能力犯罪者を殺したり、その他にも少々特殊な経歴を持つ記憶が備わっていた事が大きいのは間違いない。
だが記憶だけあれば生き残れたか、と言えば違うだろう。
この世界にある【存在進化】という、人間以外の存在に適用される上位種に成り上がる特殊な法則と、何より例外を除いてほぼ何でも喰う事が可能で、一定確率で喰った対象が持つ特性や能力を【■■■■■】して自分の力に変えてしまう【■■能力】があればこそ、俺はあの濃密な一年を過ごす事が出来たのだ。
勿論、仲間達の力もあればこそであるが、それはまた後で記す事にしよう。
ともあれ、一年でゴブリンから【金■夜叉■■・■■種】と呼ばれる存在にまで【存在進化】した俺は、現在は青く澄み切った大海にて船上の住人となっていた。
乗っている船の名前は≪アンブラッセム・パラベラム号≫という、世にも珍しい世界を航海する豪華客船型の【神代迷宮】だ。
≪アンブラッセム・パラベラム号≫が大きいからか、あるいは【神代ダンジョン】だからかは不明だが、大波が来ても小揺るぎもしない為、船酔いになる者は居らず、快適に過ごせている。
ちなみに、【神代ダンジョン】とはこの世界に存在する【■■】が自分達の存在を広め、自身に【■■】を捧げさせる為に造った迷宮の事で、その仕様は色々と種類がある。
■■■■■■の一環なのでそれぞれの個性が色濃く出るのが特徴的で、普通に生死をかけて挑戦する迷宮から、カジノのように娯楽系で攻略者を集める迷宮まで幅広い。
そんな【神代ダンジョン】の一つである≪アンブラッセム・パラベラム号≫を手中に収めた俺は、現在新大陸までの船旅を満喫中な訳である。
危険に満ちた大海を渡る、初めての大航海。
それにドキドキしつつ、俺はカナ美ちゃん達と戯れる。
≪アンブラッセム・パラベラム号≫にはカジノやプールなどがあるので、遊ぶのはもってこいだろう。
ああ、しかし。新鮮な大海の食材は美味いなぁ。
グイッと一杯飲む酒は最高だった。
≪◎≫≪◎≫≪◎≫
書物はどうやら、誰かの日記だったらしい。
所々解読不可能な個所もあったりしたが、ここまで読んだだけで、私は自身の身体が震えているのを止める事はできなかった。
「≪アンブラッセム・パラベラム号≫、だと? 十八番目の【鬼哭迷宮】じゃないか……。それを、手中に収めた? おい、これはどういう事だ?」
現代の文明を支える【鬼哭迷宮】には謎が多い。
どれほど昔から在ったかすら定かではない。内部の資源が枯渇しないのか分からない。内部で死んでも【再誕神殿】で復活できる理屈が分からない。
謎を上げればきりが無いほど、【鬼哭迷宮】は謎の塊だった。
その謎の多くはまず、過去を紐解く事が肝心だとされている。
その由来を知る事が出来たなら、その他も分かる事は増える筈だ。
しかし幾つかの文明が生まれては滅んできた過程で、【鬼哭迷宮】が出来たのではないかとされている、現代とは【世界の法則】の一部が異なる数千年以上前の【神代】について、正確に記した文献や石版は消失している。
今では時折【鬼哭迷宮】から歴史書のような書物がドロップする事がある程度であり、資料が少なすぎて研究が進まない、専門家達が多いに頭を悩ませる分野の一つとなっているのが現状だ。
だと言うのに、明らかにこれは【鬼哭迷宮】の、いや日記からすれば【神代ダンジョン】か。
ともかく、それ等について何かが分かるかもしれない。
これは深い関係者どころか、それこそ根本的な原因が書いたのでは無いか。私はそう思えてならないのだ。
一番最初にあった筈の日記が無くなっているのは不満だが、私は棺の中にあった全てを回収する事にした。
もちろん品々がどれも素晴らしい、という事もあるが、それだけではない。
恐らくはこの日記を綴り、この神像の元となったのだろう存在が神像に録音していた『好きに使え。その身に流れる血の赴くままに』という言葉。
それに従い、ありがたく受け継ぐのが、ここまで到達した私の義務のように思えてならないからだ。
「歴史的大発見だが……これは暫く秘匿しておいた方が良さそうだ」
ともかく、この貴重な日記の解読は進めるが、僅かに見ただけでも衝撃的過ぎたので、世界に発表するのはかなり先か、あるいは私の胸の内に仕舞い込むか、または信頼できる身内だけで受け継ぐかのどれかにしようと心に決める。
取りあえず現段階では私だけで解読は進めるつもりだが、他にも考えねばならない事が多過ぎた。
ふう、と溜息を一つ洩らす。
そうしてあれこれと悩みながらも数時間程霊廟を隈なく精査し、結果として黄金の棺とはまた別の、神像すぐ近くに在る絶世の美女の像の棺を開ける事が出来た。
入っていた天女の衣のような美しいドレス類と、世界を虜にしそうな魔剣や魔銃やその他諸々と、何かの血液が封入された無数の小瓶などを回収する。
それ以外の棺はどうしたって破壊する事も開ける事も出来なかったが、僅か二つの棺を開けただけで、過去どの【鬼哭迷宮】で得た品々よりも莫大な価値ある品を手に入れる事が出来た。
というか、【神代遺物】を分類する時、これ以上無いとされる【世界神話級】の品が数多くあるのだが、この明らかに特別な霊廟といい、ココは【鬼哭迷宮】の中でも特別な存在なのではないだろうか。
「名残惜しいが……今回はこれ以上得られそうにないな」
写真も映像も撮り終え、これ以上はどうしようもないと判断した私は、一旦帰る事にした。
しかしまた、ここには訪れる事になるだろう。他の棺には、きっと何かが足りないだけなのだ。
次は一族総出――それこそ分家である【八陣十八将】の家長全員で来るのはどうだろうか。
私で二つの棺が開いたのだ。分家もいれば、また何かしらの変化があるかもしれない。
「しかし、これから忙しくなるな」
ともあれ、日記の解読は急務だ。
私達の一族が収集し継承し続けている膨大な【鬼哭迷宮】や【神秘】などに関する資料を見ながらの方が捗るだろうから、一旦実家に帰る必要がある。
それに【始まりの鬼哭森殿】についても、【神秘保護指定区】に入る条件で、ある程度は情報を公表する必要がある。
どこまで公表するか、その辺りも考えねばならないのだから面倒だ。
やる事が多過ぎるのも、考えモノだった。
「さて、一先ずは外で合流して、屋敷に帰ろう」
やるべきを事一旦思考の外に追い出すようにそう言いながら、私は霊廟を出る。
それがスイッチとなったのだろう。出たのに合わせて、ゆっくりと門が閉まっていく。
振り返ってそれを折角だからと見ていると、最奥にある神像の眼が赤く光ったのに気がついた。
『■■■■』
声は小さく、また距離が遠過ぎて、何を言っているかまでは分からない。
しかし確かに、神像は言葉を発した。
咄嗟に手を伸ばす前で、門は閉ざされる。
ある種の衝撃に襲われて立ち尽くす私の前で、門が開く事は無かった。
閉じる前に見た、神像の慈愛に満ちたような笑みは一体何を意味しているのか。
私は悩みながら、しばしの間立ち尽くす事となる。
簡単、用語説明Q&A
Q:怪物遺鎧って何?
A:ダンジョンモンスターを殺すと低確率で得られる、生体金属に変化した死体――【怪骸原型】を元にして作られた全身鎧。パワードスーツ、強化外骨格、のようなもの。
元と成ったアーキタイプの能力を使える為、元が強ければ強いほど強力なモンスターアーマーになる。
神々が実在した【神代】と比べ、【職業】や【存在進化】などが失われた現代では、【鬼哭迷宮】といった危険地帯に潜るのにはほぼ必須の兵装となっている。
Q:生体式、機甲式、魔導式って何?
A:簡単に言えば、
生体式=生物の能力を強化・拡張した技術。疑似生命体。個体差が激しいが、上限が高い。
機甲式=機械。一定の規格で作れるが、絶対的な力を持つ訳ではない。安価で大量生産できる。
魔導式=生きた機械。生体式、機甲式のいい特性を取り込んだハイブリッド。ただし価格が一つ二つ高い。
どれがいい、という訳ではない。時と場合によって変化する。
軍としてなら均一化が容易な機甲式が向いている。個としてみるなら生体式、あるいは魔導式が向いている。
ただ一長一短で、絶対的な差は無い。ただ三つの中では魔導式が一番良い。
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