広告大手の電通に勤めていた新入社員の女性が過労自殺した問題を機に、労働環境を巡る問題があらためて注目を集めています。数年前までテレビ番組制作会社に勤めていた都内の女性(28)は、自殺した女性のツイッターを見て、自身の過酷な体験と重ねています。上司から「ゴキブリ以下だ」と言われた、労働の実態とは? 記者が取材をしました。
過労自殺問題を受け、午後10時に一斉消灯するようになった電通本社ビル=10月24日午後11時58分、東京都港区、角野貴之撮影
出典: 朝日新聞
在京キー局の子会社に就職
女性は都内の私立大学を卒業後。小さい頃から大好きだったテレビの世界で働きたいと、テレビ局を中心に十数社の面接を受けた。
希望の局からの内定は得られなかったが、在京キー局子会社の番組制作会社から総合職の内定をもらうことができた。「激務だ」とは聞いていたが、テレビ業界で働けることがとにかく嬉しく、就職を決めた。
週に2日は徹夜 寝ずに出勤も
バラエティーの特別番組のチームにADとして配属されると、出演者の控室の準備、再現ドラマへの出演、食事の手配など様々な仕事を任された。
数十人いる先輩たちの好みを把握し、毎朝コーヒーを入れるのも女性の仕事。銘柄を間違えるときつく怒られることもあった。一方、同期の男性がお茶くみをさせられることはない。疑問を感じつつも「どんな仕事でも必要なこと。頑張ろう」と言い聞かせた。
上下関係は絶対。時には理不尽なことでも責められた。コーヒーチェーンで買ったコーヒーを席に置いていたら、女性の先輩に「お金があるのね。私はコンビニのコーヒーなのに生意気」と嫌みを言われた。それからは中に何が入っているか分からない入れ物を用意して飲み物を飲むようにした。
勤務時間は長時間に及んだ。午前10時~午後10時が平均的な勤務だったが、お昼休憩は15分程度。トイレなどでの離席も5分まで。先輩が目をひからせ、少しでも長く離席すると嫌みを言われ、離席する際はホワイトボードに名前を書くように命じられた。
複数の番組を任されるようになると、週に2日は徹夜した。先輩の中には後輩に仕事を命じ、夜の街で飲み歩いてから仕事が終わっているか確認しに来る人もいた。
常に先輩におびえながら、怒られないように仕事を進めた。朝5時まで働き、始発で帰宅。家でシャワーをあびて1時間ほど仮眠をして出社した。起きられずに遅刻してしまい、先輩の叱責を受けてからは、仮眠をやめた。そんなときは、個室トイレに座ったまま寝てしまったこともある。
一カ月に徹夜明けの1日しか休みがもらえないこともあり、残業時間はひどい時で月に170時間近かった。給与は額面で40万円を超えたこともあったが、時給に計算しなおせば、コンビニのアルバイトより低かった。
体重は9キロ増 全身にじんましん
ストレスから深夜勤務の合間に夜食を重ね、先輩が離席した隙を見計らって甘い菓子を大量に食べた。気づけば入社から半年もせず体重が9キロも増えていた。朝起きると全身にじんましんが出ていたこともある。
番組完成後の打ち上げは毎回朝まで。男性社員から、居酒屋で誰も食べたがっていないバニラアイスを注文され「エロっぽくなめて食べろ」と命令されたこともあるが、かたくなに断った。ディレクターから「ADなんてゴキブリ以下だ」と言い放たれたこともある。
理不尽な言動に接し、余裕を失っていく中、体だけでなく、心にまで変調が出始めた。常に情緒不安定で、道で人とぶつかると怒りがこみ上げた。今では信じられないが、相手を蹴り返したこともある。
人に会う時間もなく、友達は減っていった。久しぶりに会っても、「人相が変わった」「怖い」と言われたが、「そんなことない」と強く反論した。「今思えば異常な状態だった。当時はそんなことないと思っていましたが、顔つきまで変わっていたのだと思います」
病院に行かせてもらえず後遺症
体も悲鳴をあげていた。寝不足のまま、ロケ現場で重い荷物を持って走っていた時に道路の段差につまずき、足首をねんざ。痛みに耐えられず会社に戻ったが、先輩に話すと、「歩いたなら大丈夫だろ」と病院には行かせてもらえなかった。
そのまま3日働いたが、足の腫れはおさまらない。痛みで眠れなかった。部長に直談判して許可をもらい、4日目に病院に行けた。医者からは驚かれ「手遅れだ」と告げられた。痛みは治ったが、足首の下の骨は、治療せず働き続けたせいで変形し、今でも出っ張ったままだ。
「好きな靴を選べなくなりました。細めだった足首が、自分で言うのもなんですが自慢だった。それが太くなってしまって、今でも悲しいです」。女性は出っ張りにあたらないように選んだスニーカーをはいた足首を記者に見せ、悲しそうに話した。
過酷な体験を語った女性
先輩「忙しくても死なないから大丈夫」
「これでは健康を害していい番組が作れない」。上司や先輩に職場環境を改善した方がいいと伝えたこが「これがうちの業界。ルールに従え」と口々に言われた。
あまりの忙しさを先輩に相談しても「どんなに忙しくても死なないから大丈夫。まだ死んでいないから大丈夫」「テレビで生きて行くなら、思いきり染まるしかない。まずは性格から変えないとダメだ」と言われた。
「ああ、これがここでの普通なんだな」と思う半面、女性には違和感しかなかった。あこがれていた世界とは言え、体も心ももたない。辞めたいと何度も思った。
それでも、女性を踏みとどまらせたのは、大きな仕事も少しずつ任されるようになっていったからだ。応援してくれる両親にも、いい報告をしたい。頑張り続ければいつか本当に評価してもらえるかもしれない。昔から曲がったことが大嫌いな性格。自分が声を上げ続ければ、職場環境が改善されるかもしれない。そんなことも思った。
評価が裏目 先輩から嫌がらせ
1年目の冬。初めて撮影現場の責任者を任された。収録後、アナウンサーら出演者からは「あなたのおかげでやりやすくできた」「ありがとう」と評価してもらえた。「会社に入って初めて、ほんとに嬉しくて、泣きました。今まで色々あったけど、やっと認めてもらえるんだって」。
ところが、そのことが気にくわなかったのか、女性の先輩社員からの嫌がらせが始まった。休日に呼び出され、週明けでも間に合う仕事を命令され、編集室にカギをかけられ閉じ込められた。
「枕営業している」「どうせコネがあるんだ」。こんな根も葉もないうわさをされたこともあった。「頑張ってやっと評価してもらったのになんでこんな仕打ちを」。あまりにも理不尽だと感じ、いつかは辞めようと決心した。
それでも、春前には新しい職場への異動が決まり、「まだもう少し頑張れる。きっと本当に認められるはず」と自分に言い聞かせた。
◇
高学歴の人が憧れの職業に就くと、劣悪な労働環境が見えにくくなることがある。
甲南大学准教授の阿部真大さんは、朝日新聞の取材に「高学歴の『エリート』といわれる層の長時間労働には冷たくなかったのか」と問題提起する。
阿部さんは、専門性があり転職が容易な外国のエリートと違い、他社に移りにくく人材の流動性が低い日本の雇用環境の中では「組織で経験を積むことが最大のキャリアアップになっている」と指摘している。(朝日新聞11月30日「(耕論)過労をなくすには」)
独立行政法人労働政策研究・研修機構がまとめた長時間労働者の割合の国際比較(2014年)によると、日本は21.3%。北欧スウェーデンの約3倍、ドイツと比べても2倍も多さになっている。
日本 21.3%
アメリカ 16.6%
カナダ 11.8%
イギリス 12.5%
ドイツ 10.1%
フランス 10.4%
イタリア 9.7%
オランダ 8.9%
デンマーク 8.3%
スウェーデン 7.3%
フィンランド 7.9%
香港 30.8%
韓国 32.4%
オーストラリア 14.6%
ニュージーランド 15.1%