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【社会】

女性議員増は英国流で? 100年前活動家ひ孫「意志があれば道開ける」

議連の国会議員らと意見交換するヘレン・パンクハーストさん(左)=30日、東京・永田町

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 百年前、英国で女性たちが参政権を求めて激しい社会運動「サフラジェット」を起こした。運動の中心人物のひ孫で、DVや貧困など女性の権利問題に取り組む大学客員教授ヘレン・パンクハーストさん(52)が来日し、三十日、女性議員の増加を目指す国会の超党派議員連盟と意見交換した。「意志があれば道は開ける」。日本の女性たちへのエールだ。 (柏崎智子)

 パンクハーストさんは、運動を描いた映画が来年一月に国内で公開されるのを前に来日した。二十世紀初頭、英国の女性たちは参政権が認められないことにしびれを切らし、運動を展開。率いたエメリン・パンクハースト夫人らは世間の関心を引くため、商店への投石や無人家屋の放火、郵便ポストの一斉破壊など人命を奪う以外のさまざまな行動に出た。

 投獄や警官隊による暴行など厳しい弾圧を受け、一九一二年三月からの一年間で三百六十七人が逮捕された。それでも女性たちは命懸けで訴えた。一八年、制限付きながら三十歳以上の女性に選挙権が認められ、二八年には男女平等の普通選挙が実現。現在、日本の衆議院に当たる英国下院の女性議員比率は29%で、衆議院の約三倍だ。

 議連との会合でパンクハーストさんは、英国で女性議員が増えた一因として、候補者の一定比率を女性に割り当てる「クオータ制」を政党が取り入れたことを挙げた。

 九二年、労働党が各小選挙区の候補者リストに必ず一人は女性を入れることとし、九七年の選挙では勝算がある選挙区の候補者の半数を女性に。これで女性議員が三十七人から百一人へ増えた。

 これを見て、保守党も重点区などで候補者リストの半分を女性とし、女性比率を20%まで伸ばした。一方、第三政党だった自由民主党は消極的で、「今では議席があったか記憶にないほどの存在になった」。

 議連は現在、各政党に候補者を男女半々にする努力を求める法律の制定を目指す。民進、共産などの野党案は五月に提出済みだが、今月開かれた自民党の部会では「女性の社会進出が増えても世の中はよくなっていない」などと反対意見が出て、与野党の足並みがそろわず難航中。自民党の関係者は「反対は一部。なんとか法案の提出にはこぎ着けたい」と話している。

 ◇ 

 映画「未来を花束にして(原題サフラジェット)」は来年一月二十七日から、全国で上映される。

◆日本でも明治時代から機運

 国内で女性の参政権を求める動きは明治時代からあり、高知県で楠瀬喜多という女性が「戸主として納税しているのに女だから選挙権はないのはおかしい」と県へ訴えた。全国的に盛り上がったのは大正デモクラシーの時期。尾崎行雄ら普通選挙権を求める男性たちの運動とともに、平塚らいてう、市川房枝らが「新婦人協会」を結成するなど動きが盛んになった。

 しかし1925年に認められたのは、男子のみの普通選挙権だった。抱き合わせで治安維持法も制定され、民主的な空気はしぼみ、女性の参政権は「時期尚早」などと否定された。その後、戦時色が濃くなると、女性の参政権は見向きもされなくなった。

 女性がようやく参政権を獲得できたのは、敗戦で連合国軍総司令部(GHQ)の統治下に入った45年12月。翌年の初の衆院選挙では、39人の女性議員が誕生した。

 

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